(雨音の響く山里) 生協運動連載、深呼吸エッセイより 
    
 

 夜中に突然辺りがしんと静まり返る事がある。絶え間無く鳴き続けていた雨蛙が、何かの拍子に一斉に鳴き止むのだ。おそらく、夜空を滑空するフクロウか、夜遊びに出た飼い猫、あるいは狸やイタチの気配を感じたのかもしれない。その時、あらためて辺りは蛙の声で満たされていたんだと気付かされる。そしてしばらくの静寂が続き、一匹が遠慮がちに鳴き始めると、何事も無かったかのように再び蛙の大合唱が始まるのだ。そんな事が一夜のうちに何度か繰り返され、山里に暮らす子供たちはその鳴き声を子守唄代わりに眠りにつくのである。

田植えは終わり、稲がすくすくと伸びようとするこの頃。たまに道路を走る車の音以外は人工的な音はほとんど無く、稲架小屋のトタン屋根を叩く雨音や、水路を流れる水音が降り頻る雨粒の合間を擦り抜けて伝わってくる。それをかき消すかのように、盛んに谷間に鳴き声を響かせている蛙たち。時にそれは、その存在すら忘れさせるように辺り一帯に染み渡り、湿度をたっぷりと含んだ大気と共に人々の脳裏に心地よく季節のリズムを感じさせてくれる。


深緑に彩られている里山や耕地、そして点在する民家の赤瓦や、ふるさとの面影を感じさせてくれる萱葺きの屋根など、そのすべてが雨に濡れると、それぞれが持つ本来の色を取戻し、落ち着いた色調の風景が広がって行く。そんな目から見える景色と耳に届く音の景色、さらに辺りに漂う湿度感たっぷりの香りが、盛夏をむかえる前の、この季節の山里そのものを物語る。

 人々のたゆまない営みによって築かれてきた山里の風景。そこで暮らす人々は先祖から託された大地を守り、生活としてあるいは生き方として稲を育て、畑を耕している。そんな風景に心癒されるのは、農耕民族としての血がそうさせるのだろうか、または大地そのものから何かを感じ取るのだろうか。いずれにしても、そんな山里の風景は私たちの心に安らぎを与えてくれる大切な環境なのである。

 

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