(畦塗り) 生協運動連載、深呼吸エッセイより 
    
    中国山地の頂稜部に雪の便りが訪れる頃、その懐に抱かれている集落では、それぞれの習わしで冬支度が進められてゆく。深い雪に閉ざされる牧場では家畜の冬ごもり。母屋や納屋の軒先に整然と積まれてゆく多くの薪。向こう一年間で消費する予定の漬物作りなど、それらは地域それぞれに、あるいは農家それぞれに伝えられてきた、冬を向かえるための農事であった。かつて、どこの農山村でも行われていたそんな営みも、時代の流れと共に変わり、今では見かけることも随分と少なくなっている。

 とはいえ、人々がその地で暮し続けてきた以上は、細々とながらも先祖伝来から受け継がれてきた風習がどこかにか、残されている。目に見えるもの、見えないものに関わらず、それは大地に流れる時間と、人々が暮していく時間が同じくらいの速さだった頃に、自然の摂理の下で考え出された、生きる為の術ではなかったかと思う。

 心身に流れる自然界のリズムと受け継がれてきた営みのリズム。理由は分からなくとも、そのリズムが五感のどれかを刺激したときに、郷愁という言葉に代表されるような何某かの感情を覚えるのだろうと思う。

 枯れ野色に移ろう山間の耕地は、程なく雪に覆われて静かに眠る。それまでに、中国山地の頂稜が間近に望める吉田村の山間でも、幾世代も前から受け継がれてきた当たり前の方法で、冬支度が進められていく。大万木山(おおよろぎやま)から流れ下る吉田川の辺では、葉をすっかりと落した木々に沢庵漬にする大根が今年も懸けられた。「そこに懸けるのは、凍てつく夜でも川霧に包まれて凍みが入らないから」と、初老の婦人は言う。冬ざれの谷間に、里人の温もりを感じさせてくれるそんな光景も、時の流れの中で、何時かは見られなくなる日が来るのかもしれない。雪に閉ざされる日々が直ぐそこまで来ている山間の里を歩いてみると、温もりと淋しさのそれぞれが心に染みてくる。
 

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