(畦塗り) 生協運動連載、深呼吸エッセイより 
    
   まだ薄暗い朝方、露玉のこぼれる音が朝霧のベールの中から微かに聞こえ、畦道を歩いている足元は、川の中を歩いているかのように瞬く間にぐっしょりと濡れてしまう。辺りには深い霧が立ち込め、稲刈を終えたたんぼの中に立てられた稲架(はで)が朧に浮かんで見える。この霧の上空には澄み渡った秋の空が広がり、高台に上がると広々とした蒜山(ひるぜん)高原を埋め尽くしている霧の海が眺められるはずだ。その霧の海が朝日に染まる光景を求めて、多くのカメラマンや観光客が、まだ明けやらぬ高台を訪れるようになるのも、ちょうど収穫が始まろうとするこの頃からである。

 白みはじめた東の空が、微妙に色合いを変えながら日の出を向かえるまでの、ドラマチックな光景。それが過ぎると、明け色に染まっていた霧も次第に平凡な盆地霧となって薄れて行く。しかし、そんな光景も霧の底を歩いていては分かるべくも無く、幾分か明るくなった霧を通して太陽の輪郭が見えるようになるのは、日の出の時刻からは随分と過ぎてからのことだ。

 まるで雨でも降ったかのように稲穂や畦の草むらを濡らしている、こぼれんばかりの露の玉。それらも一足先に消えて行った朝霧を追うように、太陽が高くなるにしたがっていつの間にか小さくなって消えて行く。明け方にそんな情景が繰広げられていた事など、無かったかのように晴れ渡っている日中(ひなか)の高原では、半年振りに日差しを浴びた田面の土や、パチパチと微かな音を弾かせて乾いていく稲藁の香りが漂い始め、まだ赤く染まりきれないアキアカネと共に高原に秋の便りを伝えてくれる。

 深い朝霧や雨に濡れながら、秋の日差しの中でゆるやかに乾いて行く稲架干しの稲。その一穂一穂には太陽と大地の香りがあふれ、稲作を続けてきた人々の想いがいっぱいに詰まっている。 稲架、田面の切株、畦道のエノコログサ、そんな何気ない景色もまた、我々の心に安らぎと郷愁を感じさせてくれるかけがえのない風景なのだと思う。
 

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