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第2回 墜ちる鳩   森 真沙子/引用は 「転校生」 角川ホラー文庫より
 
 平成16年1月19日掲載

春岡 前回は開高健の『新しい天体』という小説で、冬の松江、宍道湖の情景、さらに山陰の食べ物の話でしたが……。
江波 今回は学園もの、学園小説です。もちろん、そういうジャンルはないのですが、つまりは学校が舞台という小説で、角川ホラー文庫にある森真沙子の『転校生』という連作小説を紹介しましょう。
春岡 ということは、いわゆる学校の怪談というわけですか?
江波 怪談と言えなくもないですが、実は小泉八雲もちらりと顔を出します。
春岡 いわゆるホラー的な小説ということになりますか?
江波 そうですね。森真沙子という作家は、昭和十九年に横浜で生まれ、函館で育ってます。奈良女子大の文学部を卒業して、週刊誌記者となります。昭和五十四年に『バラード・イン・ブルー』で、小説現代新人賞を受賞しています。初期の作品はヨーロッパへの憧れを基調にしたサスペンスやモダン・ホラーで、この時期は耽美的な作品が多いようです。その後、時代小説も書いて、平成五年に『転校生』で学園ホラーという新分野を開拓したというわけです。
春岡 なかなか多彩な作家ですね。
江波 ということになりますね。『転校生』という文庫本は連作小説で、教室などの名前が一つひとつのタイトルになっていて、美術室、音楽室、寄宿舎など五つあります。
春岡 今回の小説は何なのですか?
江波「墜ちる鳩」です。墜ちるという文字が面白いですが、正しくは「図書室」で更にサブタイトルが「墜ちる鳩」なんです。
 私は、『転校生』に松江が舞台の小説が載っていることを知りませんでした。著者から、こういうのがあるよ、ということで送ってもらって初めて知ったんです。
春岡 小泉八雲、ラフカディオ・ハーンとなると、どうしても松江が舞台……ですね。
江波 松江の県立高校。学校名は書かれていませんが、描写の状況からすると……。
春岡 え? 種明かしは?
江波 ゆっくり見ましょう。主人公は、有本咲子で、父の転勤の関係から転校を繰り返すわけですが、それぞれの学校で、いろいろな事件に遭遇するという構成です。
春岡 面白そうですね?
江波 その学校の一つが松江なのです。
――幾重にも霞む山なみに囲まれたこの松江は、町なかに堀割や川や湖を抱えた、陰影に富んだ城下町である。
 学校までは自転車で十分くらい。城山公園の下を抜けて行く通学路に、ラフカディオ・ハーンの旧居があって、行きに帰りにその侘びたたたずまいを横目に、走り抜ける。――
春岡 ということになると、学校は……。

平成16年1月20日掲載

江波 どうですか、学校名は見当が付きますよね。
春岡 城山の下を通って、学校まで家から十分。そして、ハーンの旧居がある……。
江波 次には、こう書かれています。
――図書室にもハーンの著作や研究書が揃っていて、わたしはここに転校してきて初めて、平井呈一の訳による小泉八雲の怪談集を読んだ。
 この学校には怪奇小説や恐怖映画に趣味のある国語の塚本先生がいるおかげで、ふつうは児童書や教育書や文学全集がいばっている図書室に、思いがけない異端や幻想怪奇系の書物がけっこう揃っていた。
 転校して二ヵ月くらい、わたしは夢中になってこうした書物を読み漁った。
「あんた、そう本ばっかし読んでないで、たまには映画も観ましょうよ」
 あまり友達と交わろうとしないわたしを気づかって、そう誘ってくれる友達もいた。
 川田郁江は宍道湖畔の菓子の老舗の娘で、家によく甘いものを持ってきてくれる。世話好きで、あちこち連れて行ってくれるただ一人の親友だった。――
春岡 私は松江の様子がよく分かりませんが、小泉八雲旧居近くの高校といえば、県立松江北高校しかないと思いますけど。
江波 確かに、この小説には、高校はどこの、という名前がありませんが、城山公園の下を抜けて行く通学路に、ラフカディオ・ハーンの旧居があって、と書かれ、しかも、学校までは自転車で十分くらい、とありますから、これはもう、県立松江北高校ということになります。
 こういう小説の面白さは、地元の人が読むと、舞台はどこだろうと探す楽しみもあるわけです。
春岡 確かにそうです。 
江波 もっとも、この小説のように特定の名称が書いてないものもあったり、反対に地名や場所の名前がそのまま出ているものもあります。たとえば、川田郁江という女子生徒は宍道湖畔の菓子店の娘ということになっています。これはどこでしょうか。宍道湖畔にある菓子店、しかも老舗の店はありません。強いて言えば、松江大橋北詰の四つ角からすぐの、通称は中通りと言いますが、そこにある店かと思います。
 広く言えば湖畔ということになるでしょうが、多分、取材に来て目に止まったのが、その老舗の菓子店で、たまたま宍道湖に近いという程の意味だと思います。
春岡 舞台探し、モデル探しというのは面白いですね
江波 そうですね。事件が起こります。有本咲子が読もうとする本、全て、黒崎薫という人が必ず読んでいるというのです。
春岡 名前が変わっていますが、女?

平成16年1月21日掲載

江波 黒崎薫の名前は、そう言えば男か女か分かりませんね。でも、これが実は、キーワードというのか、あっと驚く名前……。
――黒崎薫っていったいどんな生徒だったんだろう。
 いつしかわたしはその人物について、非常な関心を抱くようになった。――
 というわけで、咲子は国語の塚本先生に黒崎薫のことを聞きます。黒崎は三年前に卒業するはずだったが、その半年ほど前、学校の三階の窓から飛び下りて死んだのです。十月十三日でした。十三日です。そして、咲子は図書室の奥の棚で不思議な本を見付けます。
春岡 何か意味深長ですね。
――奇妙な本を手にした。『墜ちる鳩』……。そんな白抜きのタイトルが目に飛び込んできた。パンフレットのように薄い本で装丁は黒で統一され、中央に能面が一つ浮き出ていて、その頭に白い鳩がとまっている。著者名は、猿岡喜六。
 昭和十五年に、松江の山陰第一新報社という所から出されていて、カバーの破損が目立ち、活字も旧仮名を使った読みにくいものだった。何げなく貸出カードを見て、ギクリとした。そこにもまた黒崎薫の名があったのだ。――
江波 咲子の目を引いたのは、その本の返却日なのです。三年前の十月十三日となっていたのです。黒崎薫の亡くなったのは、三年前の十月の連休開け、つまり十月十三日か十四日ということだったからです。
 その序文には、ハーンが、怪談集に入れようとしていた怪談の中に、一編だけ収録しなかったものがある、と。
春岡 それって、本当なのですか?
江波 どうなんでしょう。でも、これは小説ですが。(笑)ハーンが載せなかった怪談が、「墜ちる鳩」という一編です。これが小泉八雲の怪談以上に面白いのです。もちろん、著者の創作です。約四ページ半ほどの怪談ですが、ところが、その最後に、『この後、読むな。読んだ者は呪われる。』と鉛筆の書き込みがあったのです。
 更に、『ラフカディオ・ヘルン、殺人を犯せしか?』というタイトルの一文があって、なぜ恐怖をそそる怪談を採用しなかったか、という考察があります。実は、『日本瞥見記』と『杵築雑記』に出雲大社で巫女の舞を見たと書かれていることと関係がある、小説にはそう書かれているのです。
春岡 実際のことと虚構が入り交じっていますね。でも、小説ですよね。
江波 この辺りは、猿岡喜六が書いているのですが、なかなかに面白いですね。そこで咲子は、『日本瞥見記』と『杵築雑記』を借りて読むのです。ところがです……。
春岡 先生、焦らさないで下さい。

平成16年1月22日掲載

江波 その二冊の貸出カードにも黒崎薫の名前が書かれていた……となると。
春岡 えっ、何か符号する……。
江波 ええ、小説にもそう書かれています。
――もう一度、『墜ちる鳩』を見直してみる。猿岡喜六といういかにもペンネームめいた奇妙な名前。筆者の年齢や不自然さを隠す、もってまわった文語調の文体。その気になって見ると、何となくわざとらしい表紙の汚れ……。――
春岡 ということは、黒崎薫が自分で作った本ではないですか?
江波 さすが春岡さん。名推理です。
――そして、突然、アッと思った。
 さるおかきろく、くろさきかおる……。
 なぜこんな簡単なことにすぐに気がつかなかったのだろう。このペンネームは、黒崎薫のアナグラムではないか。『墜ちる鳩』は本ばかりでなく、その内容も黒崎薫の創作なのだ!
 彼は死の直前、この偽本作りに熱中し、出来上がった本に貸出カードまでつけてこっそり書棚に収め、いたずらをこの世にしかけて死んだのだ。
 そしてたぶんわたしが、見事に化かされた初めての人間だったろう。――
春岡 くろさきかおる、と、さるおかきろく、それぞれ六文字で、その並び順を少し変えたのですか……。書いてみると分かりますね。くろさき、の、さ、を最初にして、それに、かおる、を逆さにしたものを付けた、ということです。そうすると、さるおか、になりますよね。きろく、も、くろさき、の文字を逆に読んだということです。
 登場人物と一緒に、読む人も見事に引き込まれてしまいます。凄いですね。こういう小説が、郷土を舞台に展開しているというのも、これまた凄いと思います。
江波 実在の人物、つまり小泉八雲が登場するというのも、興味ある書き方です。
春岡 この後、咲子はどうするのですか。江波 閲覧室には、もう誰も居なくなりました。夕暮れと雪のせいで早く帰ってしまったのです。咲子は二時間近くも本と向き合っていたので疲れを感じます。借りた本を返し、図書室を出ると、小さなフロアーがあり、正面は大きな窓になっていて、ボタン雪がガラスにサワサワサワと降りかかっています。右側の壁に大きな鏡がはめ込まれ、咲子は影の濃い嫌な自分の笑顔を見るのです。
――疲れているんだわ。そう思って、鏡に背を向けた。だが、なぜか体が強張っていて、磁石で吸いつけられるように鏡に向かったままだった。戦慄が背筋を駆け抜けた。鏡の中のわたしがゆっくり動き出す。――
春岡 これも怪談かと思えるのですが。どうなるのでしょう。

平成16年1月23日掲載

江波 怪談ではなくて、黒崎薫に闇の中へ誘われているとかはどうですか?
春岡 あるいは……。
――鏡の中のわたしがゆっくり動き出す。
 サワサワサワ……という雪の音が、耳の中に大きく響いた。はるか遠くで微かに、下校の家路≠フチャイムが鳴っていた。気がつくと、わたしは窓に向かって磁石で吸いつけられるように歩いていた。
 鏡の中のわたしは、微笑んでいる。鏡の辺りに、何か言いようのない甘美なものが漂っていて、理性のおののきとは別に、うっとりと魅せられているのだ。
 サワサワサワ……と雪が舞う。――
江波 サワサワサワという雪の音が、繰り返し使われていますが、緊張感を高める効果がありますね。
春岡 つまり、何かが咲子に迫るというような感じですか。
――狭いフロアは雪の音と、氷の中のようなシンとした気配に満たされていた。
 鏡はもう切れている。だがもう一人の自分は鏡から抜け出て、わたしを誘うようにそのまま進んでいる。窓がすぐ前にあった。わたしはもう一人の自分のしぐさを真似て、窓の鍵を開け始めている。ここは三階で、下はコンクリートのテラスだということが、電撃のように頭に閃いた。わたしは今から、飛び下りるのだろう。落ちて凍り、氷の結晶に閉ざされて死ぬだろう。
 痺れるような感覚が、墜ちていく自分の姿に甘美な魅惑を感じていた。吸いつくほど冷たい鍵の感触を指先に感じながら、わたしは確信していた。黒崎薫は窓から飛び下りたと先生は言ったが、こここそが彼の死に場所だったのだと。彼もまた、もう一人の黒崎薫に招かれて、甘美な呪縛のうちに向こう側に飛んだのだと。
 静かに窓を開ける。――
春岡 やはり誘われているのですね。
――凍りつきそうな寒気が雪と共になだれこんで来て、まともに顔に吹きつけた。その冷たさにたじろぎ一瞬わたしは動きを止めた。
 その時、階段を誰かが駆け上がってくるパタパタ……という足音がした。
「有本さん……!」
 悲鳴のような郁江の金切り声がした。
 気がついた時、わたしは大きく放たれた窓の枠をまたいで、呆然と座っていた。
 何があったのか当分思い出せなかったが、何かの媚薬でも飲んだような恍惚感だけが、頭のどこかにいつまでもたゆたっていた。それが時折ぬらりとぬめる時、その奥に何者かの顔がぼんやりと見えるような気がした。――
江波 赤山という場所に松江北高校があるわけですが、思い浮かべて読むと……。

平成16年1月24日掲載

春岡 私は松江に住んではいないのですが、それでも、こうして身近な場所とか名前が出ると嬉しいものですね。
 この五つの短編小説を集めた『転校生』は、他にどこの場所が登場するんでしょう。江波 最初の「理化室」は、東京の隅田川の辺りで、両国の進学校です。次の「美術室」は、鎌倉の海を見下ろす場所にある女子高校、三番目の「音楽室」は、瀬戸内海とK島が窓から見える高校で、高松から琴電で四十分の所にあると書いています。
春岡 地名というのは出て来なくても、見当が付くというわけですか。
江波 それがまた面白いかもしれません。四番目は松江ですね。最後が、奈良にあるS女子学園で高等学校から大学まであるという設定です。
春岡 やはりそれぞれ取材をして書かれたんでしょうね。
江波 そうですね。「図書室」という小説では、著者が創作した怪談がありますが、ハーンも松江に来て怪談を書くわけで、そういうおどろおどろしい雰囲気というか、そんな何かが松江にあるのでしょう。
春岡 この小説の著者の森真沙子という作家もそうだったということですね。いわば旅人から見た松江という町は、静かだけれども意外な面を持っているというのか。
江波 そういう見方をすると、案外、松江という町はミステリー的でもあるかな、とか思ってしまいます。
 ところで、『江波さんの出雲小説図書館』では、出雲地方を舞台にした小説を中心にして紹介したいと考えているのですが、そう言うと、皆さん、えっ? この地方を舞台にした小説がそんなにあるんですか? と聞かれるのです。ところがですねえ。あるんです。ざっと見ても七十、隠岐を入れれば、もっと増えます。
 舞台を島根全体に広げると三百冊はあります。もちろん、小説だけではなく、随筆なども含めると、大変な数になります。
春岡 すごい数ですね。誰が書かれたものであっても、小説でも随筆もですが、自分の住んでいる場所が出て来たり、よく知っている土地の名前が出ると読んでみようって気になってしまいます。
江波 山陰、島根、出雲地方というのは、いったい何がそういう作家を惹き付けるのかということです。風景が美しいということだけではなく、別の何かの魅力、作家が訪れてみたいという魅力を島根は持っていると思うのです。ですから、島根、出雲、松江などを舞台にした小説を読んでみると、この地方のまた別の魅力が分かるかもしれません。
春岡 そうですねえ。確かです。本を読むというのは、そんな楽しみもあるのですね。
江波 では、次回をお楽しみに。

墜ちる鳩 終わり