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第9回 鰻のたたき   
                内海隆一郎/引用は 「鰻のたたき」 光文社
 
 平成16年3月8日掲載

江波 内海隆一郎さんという作家をご存知ですか?
春岡 ええ、名前は聞いたことがあります。確か、斐川町のアカツキハウスに住まいをされていたことがあると記憶してます。
江波 そうですね。暁の超特急と呼ばれて、世界的なスプリンターと言われた吉岡隆徳さんの実家を改造したのが「作家の家」で、アカツキハウスと名が付けられています。
 斐川町の今在家というところなのですが、斐伊川堤防の南側という位置になります。隣りに春日神社という神社があります。
春岡 その内海さんの小説というのは?
江波 『鰻のたたき』です。
春岡 鰻のたたき……。面白そうですね。料理の話ですか?
江波 料理じゃないのです。恋物語ですよ。『鰻のたたき』は、平成五年の今からちょうど十一年前ですが、光文社という出版社から単行本として出版されていますが、初めて出たのは、『小説宝石』です。雑誌なのですが、平成四年の新春特別号でした。
春岡 普通は、雑誌に小説が出て、それから単行本になりますね。
江波 そうですね。単行本が出てから二年くらいして、今度は文庫本になるというのが、普通のパターンですね。
 そういう話もまた面白いんですが、それはさておいて、この小説にはモデルがありますし、舞台になった実在の料理店もあるんです。
春岡 え? それどこなんですか?
江波 それはですね。松江なのです。
 松江大橋の北詰、カラコロ広場とか堀川遊覧船の発着場がありますが、あの辺りは京店とも言います。その京店の四つ角から東へ三軒目の「川京」さんという小料理屋が舞台でもあり、モデルなんです。
 経営者は園山達也さんという方ですが、家族でやっておられる店です。小説では、店名が「川郷」となっていて、(かわごう)と読みます。
春岡 身近な話ですね。
江波 ええ、そうです。だから、こうやってモデル探し、というと俗っぽいですが、郷土が舞台になっている小説を読むと面白いんですね。しかもですね、この小説は、平成四年四月に、テレビドラマになって放送されています。旅情サスペンスという番組だったんですが、その店の店主が小林稔侍、女将さんが藤田弓子でした。
 タイトルは、『夕映えの松江・鰻のたたき』というのですが、そこに出てくる店の名前は「湖郷」でした。(こきょう)と読ませています。
春岡 名前の付け方も、なかなかに面白いですね。
江波 書き手の苦労するところですが。

平成16年3月9日掲載

春岡 山陰、出雲、松江となると、やはり古都であり、湖があって、湖都なのですね。江波 雲の国……とかもよく使いますし、夕映えという言葉も、山陰にはそれこそ映えます。
春岡 最初のあたりに、店の様子が書かれています。
――松江市内では名のとおった店だが、間口一間半のカウンターだけの小さな店で、椅子の数は十五席しかない。だから予約しておかないと入れないこともある。
 客席に比してカウンターのなかは、店主夫婦が料理をつくったり、酒を燗したりするだけのスペースが、ゆったりとってある。
 いい料理をつくるには厨房が狭くてはいけない。そのぶん客の席が少なくなったとしても仕方ないことだ。――
 というような店ですが、実際の「川京」さんも確かにカウンターだけです。それに、いい料理を造るためには、広い調理場が必要だというのは、まさに店主のこだわりというか信念ですね。
春岡 こういう店は常連の人が多いのでしょうね。
江波 そうらしいです。
――[川郷]は鰻の店という触れ込みだが、よくある蒲焼専門店ではない。
 宍道湖や中海でとれる魚なら、なんでも料理する。ネタが新鮮なのは当然だが、その料理法が独特なのでファンが多い。
 なかでも鰻のたたきは、常連たちに定評がある。これが食べたいために通う人もいる。
 天然の鰻をつかって、鰹のたたきのように調理する。にんにく、ねぎなど十種類もの薬味をのせた鰻の味はうっすらと脂を残して、えもいわれぬ美味である。――
春岡 私は、鰻のたたきというのは、食べたことがないんです。
江波 珍しいでしょうね。
――「宍道湖と中海でとれる鰻は、それぞれに味がちがうんですよ」
 店主の講釈がはじまる。
「いま両方を白焼きにして、お出ししますから、食べくらべてみてください」
 とても素人の舌ではムリな比較だが、そう言われて食べてみると微妙にちがいがあるような気がしてくる。――
 店主の講釈とありますが、これも実際のことなのです。
春岡 そうですか。鰻のたたきもですが、お客と店の人のコミュニケーションがあるというのも、なんとなく微笑ましいですね。
――夕方の六時が川郷の開店時刻である。
 おかみさんが、暖簾を出すと、まもなく寒風と一緒に五人連れが入ってきた。――
江波 松江に赴任していた畑中という人が転勤になるので、その送別会です。彼らが帰ると、店に四十ばかりの女性が来ます。

平成16年3月10日掲載

春岡 その女性は、誰でしょうか。
江波 それがですね、この小説に中心になるという女性……。翌日の開店前の店主と女将さんの会話です。
――「あの女の方でしょ、まるで覚えがないの」
「ずいぶん懐かしそうにしてたじゃないか」
「そう、……地元の方じゃないわね」
「今夜、ご予約いただいたんだろ?」L
「ええ、開店と同時にみえるって」
 おかみさんは、ふと入口のほうを見た。
 そろそろ開店時刻である。
 店主が暖簾を出しに行くと、入れちがいに二人の女性が入ってきた。
「いらっしゃいまし」
 おかみさんが顔を上げて笑顔をつくった。
 昨夜の中年婦人が、二十歳ぐらいの若い女性をともなって立っていた。――
 四年前に、松江に単身赴任をしていて、四年前に東京に帰った立花という人の奥さんと娘さんなんですよ。
春岡 それがまたどうして、松江まで訪ねて来るのでしょう。
江波 つまり、小説は山場にさしかかるというわけですね。
――「早いもんですねえ、立花さんが松江から転勤で、東京へお帰りになったのが四年前ですもの。……それで、お亡くなりになって」
「今年が三回忌なんですよ」
「もう、そうなるんですねえ」
 鰻のたたきをつくっている店主が黙って聞きながら、目をしばたたいた。
「単身赴任で松江には五年間いらしたんですよね、支社長さんで。……よく、お子さんたちの自慢話をなさってましたよ」
「子供たちの学校のことがあったものですから、とうとう五年ものあいだ一人暮らしを我慢してもらいまして」
 ビールを一口飲んでから女性客が言った。
「やっと家族のもとに帰ってきたと思った
ら、その二年後に亡くなってしまいまして」
「お父さんったら、また単身赴任」
 娘が茶目っけを見せて言った。――
春岡 最後の台詞は、いいですねえ。上手いなあと思います。
江波 そうですね。それから、また常連の人が入って来て、立花の思い出話を一緒にするのです。親子は、それで帰ってしまうのですが、さらに、立花のことを知っている二人連れが来ます。
――「例の彼女は、いまどうしてるかね?」
 酔いのまわった目をして言い出した。
「ほら、立花さんが捨ててった彼女だよ」
 店主は、じろりと険しい目を送った。
 おかみさんも硬い表情になった。――
 春岡さん、意外な展開になりましたね。

平成16年3月11日掲載

春岡 よくある単身赴任の浮気ですか?
江波 よくある、と言えばそうでしょうし、浮気といえばそうですが。ともかく、閉店をした後の店主達のやりとり。
――「赴任地で長いこと一人暮らしをしてれば、遊び相手の一人や二人できるのは当たり前だという、いい見本になっているんだよ」
「立花さんと彼女の場合は、そんなんじゃなかったのにねえ。……そうでしょ、遊びじゃなかったはずでしょ?」
「ああ、立花さんは松江に帰ってくることになっていた。……お子さんたちが無事に学校を出たら、奥さんと別れて、会社も辞めて、こっちに来るって約束していたんだ」
 店主はコップの酒をあおった。――
江波 翌日のことです。昨日の親子のうち、娘が店にやってきます。そして、女将さん達に聞くのです。父には松江に好きな人がいたのではないでしょうか? とね。
春岡 ですから、本当にそうだったわけでしょう。
江波 そうなんですが、店主夫婦は否定します。
――「あらまあ、なんということでしょう」
 おかみさんは、楽しそうに笑った。
「どうして、そんなことをおっしゃるの?」
「わたし、そんな気がしていたんです」
 娘は真剣なまなざしで言った。
「亡くなる前、父がしきりに松江に電話をしたがりました。……集中治療室で危険な状態だったのに、もがくような感じで、右手を上げて電話をかけるしぐさをしたんです」
 店主は顔をゆがめた。
 おかみさんは目をそらした。
「松江に、松江に、と二度かすかな声で言いました。初めは、うわごとだと思いましたけど、父の目から涙が流れていたんです」
 娘が夫婦を交互に見て言いつのった。
「亡くなったあとに、そのときのことを何度も思い出しましたが、だんだん意味が分かってきたんです。……父は松江の誰かに知らせたかったんだと思います」――
 立花に好きな人がいて、いつか松江に戻って来て、その人と一緒になりたいと思っていたけれども、病気になって、それもかなわなくなったわけですよ。
春岡 難しい問題……。
江波 作者の内海さんは、その娘に言わせます。その辺りが、書き手の考えの出るところなんですが。
――「あたし、父に、もしそんな人がいたなら、いいなって思ったんです。……あの五年間が淋しくなくてよかったなって思ったんです。わたしたちのために、長いあいだ淋しい思いをさせてしまって、それが悲しくて」
 娘は泣き出していた。――

平成16年3月12日掲載

春岡 どう考えるか、やはり難しい……。
江波 でも、いい話だと思うのですが、どうでしょう。女将さんは、娘が帰るというので見送ります。
――「あれで、よかったのね」
 戻ってきたおかみさんが言った。
 店主が、ああと言った。
「あれで、いいんだ」
「それにしても、立花さんはよほど気にしてらしたのね、彼女のことを」
「そうだな、電話したかったろうな」
「声を聞かせてあげたかったわね」
「仕方がないさ、とつぜんなんだもの、心臓ってやつは」
 亭主が、ぽつんとつぶやいた。
 その横顔を眺めて、おかみさんが言った。
「あんたも、気をつけてね」――
 作者は夫婦の愛情をのぞかせていますね。こういう会話を読むと、どうしても実際の店の人を思ってしまいます。
 その夜、新しいお客がやって来ました。前任者が転勤したので、後任の支社長が店に顔を出します。そして、鰻のたたきを注文するのです。
――「それから、鰻のたたき」
 べつの一人が言った。
 初顔の客が目をかがやかせた。
「例の鰻のたたきですか?」
「そうそう、これが効くんですよ」
「ほんとかな?」
「前任の畑中さんなんか、ここで食べてアパートに帰ると、むしょうに東京が恋しくて泣きたくなったそうです」
「……ほう」
「奥さんが恋しくなってね」
 みんなが声を合わせて笑った。
 亭主が哀しげな目をした。――
春岡 最後の一行ですが、たったこの十文字ほどの中に、店主の立花を思う気持ちが込められていますね。
江波 そうですねえ。多くを語らず、短い文で何倍もの内容を言う……。
春岡 松江での料理というと、どうしても奉書焼きが出ないといけませんけど。
江波 そうです。
――「ねえ、おかみさん、鰻のたたきのあとは、奉書焼きを頼むね」
「はい、承知いたしました」
「おやじさん、今夜は、たっぷり講釈を聞かせて上げてくれよ」
 店主は、いつになく弱々しい表情をして、うなずいた。――
春岡 あ、この最後も店主の哀しい思いをうまく表現していますね。
江波 そうですねえ。やはり小説家はこうでなくちゃいけません。
 こうして、お客が帰り、ひっそりした店に店主夫婦だけになります。この後がいいのです。

平成16年3月13日掲載

春岡 短い小説ですから、こうして飛び飛びでなく、じっくり読みたいですね。 
江波 最後のところが、ほのぼのとした情感と、ある種のペーソスが感じられて、いいなあと思います。
――「おれ、鰻のたたきをメニューから外すよ」
 看板のあとに、店主が言った。
「おれ、罪なことをしてるようだからな」
「ばかねえ、あんた、なにを気にしてんの。なにが罪なことなのよ」
 店主は滅入ったようすで唇をゆがめた。
 おかみさんは呆れたように笑った。
「うちの名物料理を外すなんて、そんなの反対だわ、お客さんだって納得しないわよ」
「おれは、きめたんだ、文句言うな」
 店主はコップに冷酒を注いだ。――
春岡 本当に、鰻のたたきをメニューから外すんでしょうか。
江波 さあ、どうでしょう。それは何も小説には書いてないのですが、読者の想像にまかせるということですね。
―― 天然の鰻のいいのが残っている。
「立花さん、こいつが好きだったからな」
 料理にかかりながら、つぶやいた。
「人一倍、気に入ってくれたよな」――
 店主夫婦は、二人で酒を飲むことにしました。
――「立花さんも畑中さんも、いい人だったわねえ。……どうして、みんな東京なんかに帰ってしまったのかしら」
「へい、鰻のたたき、お待ちどう」
「あら、二本もつくったの?」
「中途半端はいけないっていうからな」
 店主がふくみ笑いをして言った。
「おれも一緒に食べてやるよ」
「効きめが、ほんとにあるかしら」
「それは、食べてみてのお楽しみだ」
 二人はカウンターに向かってならんだ。
 冷酒をすすりながら、箸をとった。
「因果な商売だな、まったく」
 店主が、ふっと言った。
 おかみさんが、その顔を横目に見た。
「鰻のたたきをつくるのが?」
「そうじゃない、お客と親しくなるのがだ。いくら親しくなっても、おれたちの商売には、必ず別れが付いてまわるんだから」
 亭主が目を伏せると、おかみさんも同じようにそっと目を伏せた。――
 この小説は、テレビドラマになっていますが、新聞のテレビ欄に載った番組解説には、「松江を舞台に純愛を描く」と書いてありました。湖都松江に起きた男と女の小さな恋物語ということでしょうか。私は、テレビドラマも見ていますから、小説と映像、つまり大橋や店の情景が重なって、ひどくリアルに思えるのです。
春岡 いい小説ですね。内海さんという作家の持ち味でもあるのでしょう。