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第10回 花いちもんめ   
                松田寛夫/引用は 「花いちもんめ」 講談社
 
 平成16年3月15日掲載

春岡 四月がもう目の前ですが、桜の季節も近いですね。何かいいご計画でもありますか?
江波 そうですねえ。特別にということでもありませんが、島根日日新聞文学教室が開かれていますが、四月から三年目に入りますので、新しい企画でと思っています。
春岡 そうなんですか。私も参加していましたが、いろいろ都合がありまして暫くお休みをさせていただきます。
江波 いいですよ。文学教室、と言うよりも文章教室ですが、参加してみたいという方があれば知らせて上げてください。
春岡 はい、分かりました。ところで、今回は、どういう小説を紹介していただけるでしょうか。
江波 さきほどの桜の話ではありませんが、『花いちもんめ』という小説はどうでしょうか。
春岡 というと、花にまつわる小説?
江波 いえ、違います。童歌に「はないちもんめ……」というのがあるじゃないですか。それから取ったタイトルです。
春岡 作者は?
江波 松田寛夫という作家です。ところで、網走番外地とか、新極道の妻たち/惚れたら地獄、横浜暗黒街/マシンガンの竜、などというタイトルを聞いたことがあるでしょう。
春岡 何ですか、突然に。映画のタイトルに確か……。
江波 そうです。東映制作の映画です。高倉健とかが出演するんですね。そういうのは好きなんですか?
春岡 いえ、私の好みではないんで。ただ、聞いたことがあるというだけです。
江波 そうですか。実は、そういう映画の脚本を書いていた人なんです。脚本家
春岡 じゃ、当然、この『花いちもんめ』も映画になっているのですね。
江波 そうです。昭和六十年に東映で映画化されていて、キャストは、十朱幸代、西郷輝彦、野川由美子、中田喜子などです。
春岡 なんか懐かしいという感じの出演者ですね。
江波 そうですねえ。今から二十年ほども前になりますから、映画を見ることはできませんが、ビデオ化もされています。レンタルビデオ店に未だあるかもしれません。借りて見ると面白いかもしれません。もちろん、小説を読んで、ビデオを見るということですけども。
春岡 そうなんですか。知らなかったです
江波 出雲地方が舞台の一つとして登場します。松江、平田の猪目洞窟、宍道湖やその北岸の様子、出雲の築地松、一畑電車、松江城の興雲閣などです。それに倉吉とか、ですね。
春岡 舞台は、広い範囲の山陰ということですが、この小説はひと言で言うと何を書いているのでしょうか。
江波 痴呆になった老人を抱えることになった家族……。

平成16年3月16日掲載

春岡 ということは、介護の問題ということになりますね。
江波 映画もですが、この小説が出版されたのは昭和六十年ですから、どうなんでしょうか。今のようには未だ介護というか、老人問題が浮かび上がって来てはいない頃と言っていいかもしれませんね。
春岡 同じようなテーマかと思いますが、昭和四十七年に有吉佐和子の『恍惚の人』という小説がありました。
江波 春岡さんのまだ幼い頃?
春岡 ええ、そうですが、それはともかくです……。三十年ばかり前ですね。
江波 有吉佐和子という作家を知らなくても、『恍惚の人』という本の名とか、そういう言葉を聞いたことのある人は多いと思いますね。
春岡 今の時代に読んでも、あ、同じようなことがあると思えるのも、ある意味でどうかという気もします。
江波 もしかしたら自分もそうなるかも、という思いがあるし、老人問題はなかなか難しいということですかね。
春岡 ところで、『花いちもんめ』ですが。
江波 あ、そうでした。小説の冒頭ですが、
大学の教授を定年退職した鷹野冬吉は、松江の郷土歴史史料館に勤めています。ある日、突然、目眩、つまり、立ちくらみがして、縄文時代の復元土器を床に落として壊してしまいます。
春岡 冬吉は、何歳ですか?
江波 明治四十四年生まれで、七十二歳となっています。もちろん、この小説が書かれた時のことですが。冬吉は、このところ、ちょっとした論文が書けないとか、頭がもやっとする、頭痛、肩凝りなどが起きるので病院に行って診てもらうのです。
――診療所は松江市の中心地、内中原町にあって、鷹野冬吉が勤める史料館から歩いて五分の距離にあった。――
春岡 冬吉は、痴呆という状態を自覚しているのでしょうか。アルツハイマーです?
江波 そういう設定です。老年性痴呆症の代表格がアルツハイマーで、専門的には進行性の記憶障害と言うんだそうです。あと五十年もすると日本人の平均寿命は、九十一歳になるという予想があるようですが、そうすると、こういう問題に目を背けるということはできませんね。春岡さん。
春岡 えっ。なんで、私なんですか?
江波 いえ、別に……。
春岡 年を取るのは先生が先ですよ。もっとも誰も同じように取りますが。
――診療所を出ると、朝から降りはじめた雪がいよいよ本降りになっていた。
 史料館まで、堀ばたの道を傘をさして歩いた。松江城の石垣が雪にかすんでいた。
 史料館は大正期の古い木造建築である。年末の慌ただしいときなので、見学者の姿もなく、もともと暖房のききがわるい、天井の高い館内は底冷えがしていた。――
春岡 これって、松江郷土館では?

平成16年3月17日掲載

江波 松江城の二ノ丸に建っている興雲閣でしょうね。明治建築の洋館で、県内にも少ないようです。明治三十六年に出来たのですが、明治天皇の巡幸の際、行在所にするということで建てられのですね。結局は、明治四十年に後に大正天皇となられた皇太子の嘉仁親王の宿泊所になったのです。一時期、松江市の教育委員会が入っていたこともありますが、現在は松江郷土館として、江戸の末期から明治、大正、昭和の貴重な文化的資料が展示されています。松江地方の資料ですが。
春岡 私も行ったことがありますが、天井が高いし、木造からでしょうが、冬は暖房が効かなくて寒そう……。
江波 診療所は、どこがモデルでしょうね。
春岡 月照寺の近くに、先生がよく行かれる病院があるじゃないですか。そこでは?
江波 どうなんでしょう。ところで、冬吉の家は……。
――冬吉の家は、松江市の西のはずれ、いまだに田園風景が豊かに残るところにある。
 バスは宍道湖の北岸に沿って走った。左手にみえる宍道湖も雪にかすんでいた。
 バス通りから雪が積もりだした田圃のあぜ道を歩いて門から玄関へ入ると、妻の菊代が機嫌のいいときにきまってくちずさむわらべ唄がきこえた。
  勝ってうれしい 花いちもんめ
  負けてくやしい 花いちもんめ
 花いちもんめの歌詞は、土地によって微妙に変わるようだ。――
春岡 この歌が小説のタイトルになっているのですね。
江波 そうなんです。物語ですが、冬吉は、勇退するように言われます。しかし、そのことを妻の菊代に言いそびれたまま、毎朝のように弁当を持って出かけるのです。
春岡 リタイアした人で、こんな状況になると、そうなんでしょうか。でも、二度目の勤めなんですから、あまり気負わない方がいいように思いますけど。
江波 そうですね。ゆっくり過ごせばいいんでしょうが、それが性格というもので。
――夫婦には一男二女がある。
 長女は出雲市の旧家に嫁ぎ、末の娘は……これがいまでもふたりにとって頭痛の種なのだが……結婚に一度失敗し、それから鳥取県の三朝温泉に流れていってバーをやっている。
 残る真ん中のひとり息子が、息子といっても四十五歳の働きざかりで、神戸でスーパーの店長をしている。その息子が、正月になると、いつも家族をつれて帰省してくるのだった。――
春岡 この家族と冬吉の物語なのですね。
江波 冬吉には三人の子どもがいます。奥出雲に嫁いだ長女の信恵、独身のまま温泉町でバーをやっている次女の光恵、店長になっている長男の治雄です。治雄には同じ店に勤める友子という愛人がいます。

平成16年3月18日掲載

春岡 物語を膨らますために……愛人。
江波 原稿用紙にすると、約三百五十枚の中編、いえ、長編の方に入りますかね。
――冬吉は廊下にいた。
 電気もつけず暗いなかで、両の掌で股間をおさえて、足踏みしつつうろうろしていた。
 菊代は驚いて声をかけた。
「おとうさん」
「お、お便所が……」
 冬吉は泣き声をだした。
 その瞳は焦点が定まらず、形相もすっかり変わっていた。
「お便所が、どうかしたんですか」
「わからんのです……どこに行きましたか、お便所はどこに……」
 菊代は悲鳴をあげた。
 冬吉の足もとを濡らして、小水が廊下に流れていた。――
 悲しいですね。誰もがこうなるというわけではないでしょうが、それからが大変だったんです。それはそれとして、冬吉が孫を連れて平田の洞窟遺跡に行きます。そして、事件なんです……。
――バスは宍道湖の北岸を西行した。
 やがてバスを降りて、歩いた。雲ひとつない、絶好のハイキング日和だった。――
春岡 そう言えば、平田には洞窟が……。――途中で昼の弁当をつかい、さらに車もほとんど通らない山のなかの道を一時間も歩くと、いきなり切り立った断崖の上に出た。
 眼下に日本海が広がっていた。
 その断崖のはしに洞窟遺跡の標識が朽ちかけて立っていて、その横に急な斜面を曲がりくねって海岸線におりる小道がついている。
 その小道をたどって海ぎわに降り立った豊は、壮大な眺めに息をのんだ。――
 豊というのは冬吉の孫なのですが、二人で洞窟に行くのです。その場所は小説では特定してはいないのですが、間違いなく平田の猪目洞窟遺跡だと思います。そこで冬吉の意識は昔に戻り、帰られなるという事件が起こります。
――一畑電車は松江と出雲の大社町を結ぶ私鉄である。
 松江を出た電車は、宍道湖を左手にみて走っていた。――
 更にまた、大社で教え子の結婚式に招かれてスピーチをするのですが、そこでも失敗をします。
――冬吉の様子がおかしいのに気づいて、菊代はもう一度ささやいた。
「おとうさん」
 ささやいて、あっとなった。
 冬吉のモーニングの裾から小水が流れだしていた。菊代と同時に、近くのテーブルにいた信恵夫妻も気づいたようだった。
 菊代はとっさに、目の前のコップのビールを冬吉の股間にぶちまけた。信恵もわざとビール瓶を倒し、床に溢れさせた。――

平成16年3月19日掲載

春岡 壮絶ですね。
江波 そして、そのことを自覚した冬吉は妻の菊代の見ている前で、死んでしまおうと思って、大社湾に入って行くのです。妻の菊代はそれを見て心臓発作を起こし、入院します。というようなことがあって、次女の光恵が三朝へ冬吉を連れて行くことになりました。
――光恵が冬吉をつれて三朝温泉に帰りついたのは夕方だった。
 前夜、出雲市の心臓病院で姉の信恵に冬吉を押しつけられた形となり、夜中にハイヤーで送ってもらって松江の家で泊まった。朝起きて、冬吉の身のまわりの物をまとめて、近所に当分の間留守をするからと挨拶をしてまわると結構時間がかかって、戸締まりをして家を出て、十五時三十五分の普通列車にやっと間にあった。安来節の安来、米子、伯耆大山、淀江と、すべての駅に停まっていって、倉吉に着いたのが十七時四十一分……そのころには冬吉の世話で疲れきって、タクシーを奮発して三朝までたどりついたのだった。――
春岡 家族と痴呆老人との葛藤ですね。
江波 それがテーマでもあるわけですから、そういうことになります。
 冬吉は、三朝温泉でも光恵のネグリジェを着て外を歩いたりします。光恵も、もうこれまでと投げ出すのです。仕方がないので、冬吉は神戸の治雄一家に引き取られることになります。ですが、痴呆は、徘徊とか幻覚というように進行するのです。治雄の妻の桂子は、自分が義母、つまり冬吉の妻に成り代わるしかないと覚悟を決めたのですが、桂子を妻と思い込む冬吉は、散歩に出た公園でキスをして欲しいと言うのです。そのお礼にと預金通帳を桂子に無理やりに渡します
 それを知った妻の菊代が桂子をなじるわけです。
――菊代はまたしても通帳を押し戻した。
「受け取ってやって下さい。おとうさんの気持ちなんでしょ」
 桂子は必死だった。またしても押し戻された通帳を拝むように差し出すと、
「お気持ちは十分に頂きました。誤解されておられたらいやですので、はっきり言わして下さい。キスしたといっても、いやらしい意味でのキスではありません」
「わかってますよ、そんなこと」
 菊代の声がかん高くなった。――
 そんなやりとりがあった後、菊代は倒れて入院するのです。ところが、冬吉がその病院に来て、菊代を連れ出します。
――集中治療室のなかで、冬吉は、死に瀕した菊代をみおろして立っていた。
 菊代の唇が、微かに動いて、呻くようなつぶやきが洩れた。
「……おとうさん……松江に……松江に、帰りましょう……おとうさん……」
 冬吉の痴呆の表情に、微妙な変化があらわれた。――

平成16年3月20日掲載

春岡 冬吉を松江に帰してやりたいような気持ちになりますが。
江波 冬吉は、妻の菊代の体に付けられている、いわゆる生命維持装置を取ってしまうのです。それがどういう意味の装置なのか、取ればどうなるかという判断もできなかったわけです。冬吉は菊代を背負って病院を出ますが、背中で妻は死んでしまいます。その後も家で包丁を持ち出すとか、家族の区別も付かなくなって、結局、冬吉は精神病院に入れられるのですが、息子の治雄はこれではいけないと思い、春岡さんの言うように松江に連れて帰るのです。勤めているスーパーでの勤務のことよりも、冬吉のことを大事にしたわけです。
――治雄は激情に駆り立てられて、松江めざしてひたすらに車を走らせた。
 傍らの助手席に冬吉がいた。
 中国自動車道から一八一号線をひた走り、四十曲の難所を越えて、米子から九号線を宍道湖まで来たとき、日没にさしかかった。
 治雄は湖岸の道に車を停めた。
 治雄は冬吉を抱きかかえるようにして外へつれだし、宍道湖に沈む夕陽を指し示した。
「おとうさん、宍道湖の夕陽ですよ。きれいでしょう、おとうさん。松江に帰ってきたんですよ。懐かしいでしょぅ、おとうさん」
 治雄は呼びかけたが、冬吉の痴呆の無の表情になんら変化はなかった。冬吉は、宍道湖の夕陽も、松江という言葉も、忘れてしまっていた。――
 家に着いても、冬吉は何の変化も見せません。そのうち、妻や子ども達も松江に来るのですが、やはり誰も疲れてします。小説の終わりに近いところで、冬吉が、土鍋の割れたのを一生懸命につなぎ合わせようとするところがあります。つまり、昔の自分の専門だった土器のことを思い出しているんですね。ですが、とうとう岡山にある施設に預けることになって小説は終わるのです。
 年を取ると、だんだん子どものようになって行くなどと言いますが、本当にそう思わせられたりもします。
春岡 誰もが冬吉のようになるかもしれないので……。
江波 登場人物を身近に感じますね。
 冬吉か、介護する立場となるかということですが、そういう場合の人と人の関わりということを考えさせられます。
春岡 年を取って行くということはどういうことか、更には家族とは何か、などと考えさせられます。
 昭和六十年に出版された小説ということですが、今の時代を予測していたということになるのでしょうか。
江波 そうかもしれませんね。小説というものは、ある意味で恐ろしいですね。
春岡 そうですね……。では、また来週に。

◇花いちもんめ 終了