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第18回 松江宍道湖殺人事件   
                広 山 義 慶 
                    引用は 廣済堂文庫版より
 
 平成16年5月11日から16日まで掲載

江波 宍道湖を舞台にした小説で、一番多いのはミステリーです。それも、長編旅情ミステリーというようなサブタイトルが付いています。
春岡 ほとんどが殺人事件とか。
江波 まあ、ミステリーならば、人を殺さないといけません。
春岡 なんか物騒な言い方ですね。
江波 そう言われれば確かに……。それはともかく、場所としては、この地方ではほぼ宍道湖が出て来ますね。
春岡 地名の次に、殺人事件と付けるとたいていは、それなりのタイトルになるのではないでしょうか。小説で読む殺人事件は、実際とはやや遊離していますから、たとえば電車の中で読むというような肩の凝らないものになるかもしれません。
江波 殺人というのは、普通の人にとっては別の世界のことですよね。
春岡 殆どの人は、自分が人を殺すなどということは思ってもいないことですから。
江波 殺人者というのは、特別の人だろうな、と思うわけですからね。ですが、衝動的とか思いもかけず自分が殺人者になってしまったということもあるわけですよ。いずれにしても、それなりの理由があると思います。
春岡 殺人に至るまでの心の動きとでも言えるものが知りたいですね。
江波 なるほど。実は、広山義慶という作家の「松江宍道湖殺人事件」という廣済堂文庫にあるものです。書店で、たとえば新書版の書棚から殺人事件という文字と一緒に、山陰、出雲、松江などという地名のあるタイトルの本を探しますと、それこそ一冊や二冊ではないのです。たとえば、津和野殺人事件、出雲神話殺人事件、松江密室殺人事件、松江出雲密室殺人事件、宍道湖殺人事件とかですね。それに……。
春岡 ややこしいですね。
江波 タイトルに、殺人事件という言葉が付くわけですが、その前が地名とか密室とかですね。ちょっと言い方が違うだけで。でも、内容は全て殺人事件……。
春岡 どうしても出雲でミステリーと言えば、出雲、宍道湖、松江ですか。
江波 小説の舞台になるというわけですが、いつも出雲や宍道湖で殺人事件があると大変です。
春岡 広山義慶という作家は……。
江波 昭和十年、大阪生まれで、早稲田の仏文を出て、児童文学の世界とか翻訳、TVドラマの脚本家などを経験して、昭和五十八年に『夏回帰線』で小説家デビューをしています。
春岡 回帰線ですか。アメリカの作家でヘンリー・ミラーという人の「南回帰線」とか「北回帰線」という小説がありますね。
江波 ヘンリー・ミラーが好きですか?
春岡 いえ、そうではなくて、回帰線という言葉が印象的でしたから。
江波 広山義慶という作家の作品には、「裁きは血の匂い」「野獣は血で裁け」「危険地帯の女」「伝説の落日」などがあります。
春岡 題名から想像すると、ハード・バイオレンス物ということになりますか。
江波 ですが、この「松江宍道湖殺人事件」は、ごく普通のミステリーです。
春岡 本の帯に、「美しい夕陽に隠された謎! 過酷な運命に翻弄される美人姉妹の封印された過去。悲劇的な殺人事件の真相は……」とありますし、表紙に宍道湖の西に沈む夕陽を背景にして、嫁が島がシルエットで浮かんだ写真があるから、まさに帯に書かれた言葉の通りかもしれません。
江波 宍道湖の落日は、宍道湖の周囲のどこから見ても絵になりますね。
――夕陽を見に来ませんか。人の心を悲しみ色に染め、殿方の号泣を誘うという夕陽です。そしてあの子の運命を狂わせたあの夕陽です。
 あの子からお聞きのことと思いますが、あの娘は夕陽の真っ只中で生まれたのです。
 忘れもしません。あの日の夕陽は異常でした。夕暮が来る前から空全体が朱色に染め上がり、陽は溶けた赤絵具のように毒々しく、この世の終わりかと思えるほど禍々しく、夕陽がすっかり湖の底に沈みきってもなお、しばらくの間、街並も、道行く人の顔も、家々の軒先も、木立ちの陰までもが赤く染まっていました。――
春岡 小説の冒頭ですね。序章という小見出しがあるから、終章もあって、夕陽で始まり夕陽で終わるとか?
江波 序章の次が第一章、最後が第十章ですから、ありませんね。最後の場面は、日御碕ですが。
 序章の中に、「昔から、高貴な運命を背負った子が生まれるときは、ひときわ夕焼けが赤いと言われています。」というのがあるのです。宍道湖の赤い夕陽は、そうかもしれません。
――東京から宍道湖の夕景を撮りに行くと出かけたカメラマンが水死体となって発見される。また彼と接触があったと思われる松江支局の新聞記者も行方不明となる。捜査を進める松江中央署の刑事たちは、地元で老舗和菓子店を切り盛りする北村雅子と、ひとつ違いで銀座クラブ・ホステスの妹・笙子に事件の鍵が隠されているのを知る。過酷な運命を背負わされた美人姉妹の秘められた過去と連続殺人の意外な真相とは?――
春岡 これは裏表紙にある文章ですね。
江波 粗筋とでも言えるものです。笙子は関本和雄という不動産会社をやっている男と暮らしているのです。笙子は、関本が悪い男だと分かっているが、別れることができない……。
春岡 ミステリーのパターンですか。
江波 パターンと言えばそうですが、ある意味で、分かり易いということになりはしませんか。
春岡 登場人物がかなり多い場合は、そうかもしれません。
江波 笙子は関本和雄という得体の知れない男、背中に刺青があったりする男と関わりがあるわけです。笙子には姉の雅子というのがいます。雅子と笙子の周りの男が次々と殺されて、松江中央署の刑事がそれを解決するというストーリーですが、詳しくは本を手にして読んでいただきたいですね。かなり手のこんだ筋立てで、最後があっと驚く結末ということもありますから。
春岡 そうなんですか。では、舞台が出雲ですから、その辺りの情景を柱にして……。江波 原稿用紙にして約五百枚の小説ですから、風景描写を中心にしてということで。
――岡沢春彦は、約束の時間より二十分ほど遅れてティールームの入口に現れた。
 午後六時十分前だった。
 宍道湖の夕景の時刻である。
 湖畔に建ったホテルの前庭が夕焼け色に染まり、湖面の向こう岸が落日の光芒を真正面に受けて朱色に燃え立ち、街並が一瞬、この世のものとは思えぬ夕焼け色に包み込まれる。
 松江の街が一日の内でいちばん輝く時刻だった。――
春岡 落日が午後六時十分前というと、季節はいつ頃でしょう。
江波 午後五時五十分ですから、今年のデーターでいうと、二月の十六日です。十月の二日も日没が、その時刻です。この小説ではその場面に、年内いっぱいには、とか、新年早々から新事業にとりかかって、などと書いてありますから、秋でしょうね。
春岡 もちろん、今年の事件ではないわけですが、そういう調べ方も面白いですね。江波 面白いというよりも、こういうことは小説を書く上で大事なことなのです。描写にはどうしても必要だし、正確さが大事です。
春岡 そう言われればそうですね。
江波 岡沢春彦は新聞記者で、毎朝新聞という大手新聞社の松江支局にいるのです。
春岡 毎朝と書いてマイチョウですか? 二つの新聞の名前を一緒にしたような。
江波 小説では、よくある手ですね。それはともかく、まず事件が起こった場面は。
――松江中央署に事件発生の第一報が入ったのは、十一月十七日の午前七時十三分だった。
「大野町の大野津神社の沖に溺死体らしきものが浮遊している」
 そんな内容の通報が夜勤明けの中央通信室へ飛び込んで来たのだった。
 通報者は大野町で漁業を営む六十歳の男性。平岩雄二と名乗った。――
春岡 大野の町に、平岩という名字の方?江波 ありませんね。雄二はよくある名前だから、もし平岩も雄二という名もあったらどうでしょう。もっとも犯人ではないのでいいですが、でも、狭い町ですから、作家が名前を付けるときには考えないといけないですね。
春岡 そうですねえ。登場人物の名前の付方というわけですか。
江波 大野町の大野津神社は、国道四三一の宍道湖沿いです。
――朝の宍道湖は太古の香りを漂わせる。水郷松江を訪れる観光客は、宍道湖の夕景に感動し、松江市も宍道湖の夕景を売り物の一つにしているが、宍道湖に生きて来た平岩雄二にとっては、一日の始まりの朝の宍道湖のほうがどれほど美しく豊饒であるかしれない。
 その豊饒の湖の水面に浮かんだ異物に、彼は腹立たしさを覚えた。神聖な場所を汚す夾雑物に思えたのだ。
 浮遊物の正体が次第にはっきりとわかってくるにつれて、彼は怒ったような形相で竹竿を操った。
 人間の死体だった。――
春岡 まず作者が、発見者より先に怒っているように思える描写です。
江波 ともかくこのようにして殺人事件がいくつか起きて、姉妹に関わる人が殺人事件に巻き込まれるのです。
――宗形警部が警察手帳を提示して来意を告げると、
「どうぞ、こちらでお待ち下さい」
 と、フロント・ボーイがロビーの片隅の応接ソファへ案内してくれた。
 宍道湖の南岸に建ち並ぶホテルの一つ、ホテル・大畑″のロビーである。今日の正午、テレビのニュースで身許不明の溺死者の似顔絵が放映されると、それらしき人物を見たという目撃者の通報が警察に舞い込んだ。その中にホテル・大畑の客室係の女性からの通報が含まれていたのだ。――
春岡 ホテル大畑というと、似たような名前のホテルがありますね。でも、宍道湖の南岸に立ち並ぶホテルの一つ、つまり国道9号線沿いということですから、私が想像したホテルとは違います。
江波 小説の読み方としては、やや邪道かもしれませんが、こういう見方もあるのでしょうね。
――城の濠に面して武家屋敷や小泉八雲の旧居などが立ち並ぶ塩見縄手は、相変わらず観光客で溢れていた。小春日和の陽射しの中を、さまざまなファッションの若い女性たちが、武家屋敷の白い塀を背景に写真を撮り合い、往来するクルマにクラクションで追い立てられている。若い女性は怯む様子もなく、屈託のない笑い声を上げて道を塞いだままだ。――
春岡 この作者は、かなり松江の風景に精通しているように思えます。
――宗形はクルマと人でごった返す塩見縄手を通り過ぎて右手へ曲がった。小さな坂を登り切れば、そこが奥谷町である。――
江波 八雲記念館を右手に見て曲がり、少し行くと人目につかないのですが、右へ行く細い坂道があるのです。
――北村家はすぐにわかった。坂を登り切った高台の端に、庭木の茂った古めかしい冠木門があり、その柱に 北村″と彫り込まれた青銅の表札が埋め込まれていた。
 門は固く閉ざされていた。右脇の潜り戸を押すと、小さな軋み音とともに内側へ開いた。――
春岡 西原から奥谷にかけては、こういう古い家があります。
江波 玉造温泉も舞台の一つなのです。
――三十分後、宗形が運転する白いカローラは国道9号線の玉湯町の交差点を左折して玉造温泉へ向かっていた。
 宍道湖に注ぐ玉湯川沿いの道を遡ると、やがて静かな山懐に抱かれたような温泉街の灯が夕暮れの中に見えて来た。
 玉湯川をはさんで両岸に旅館ホテルが立ち並ぶ道を進むと、道路の端に若い男が立って、宗形のクルマに向かって手を上げた。高木刑事と組んでいる津末という刑事だった。
 宗形はクルマをまがたま″という旅館の前へ乗り入れて駐めた。――
春岡 まがたま……というホテルはありませんね。
江波 でも、名前としては玉造なら考えられそうですよ。松江のことでは、和菓子屋が出て来ます。
――岡沢春彦は二十九歳。毎朝新聞松江支局学芸部記者。二年前まで東京本社勤務。その頃、関本和雄を仲介にして田上涼一と知り合ったと思える。 内野刑事の捜査によると、田上涼一は関本和雄にいかがわしいアルバイトをもらって小遣い稼ぎをし、岡沢春彦は関本を介してギャンブルに手を出し、関本に多額の負債があったと思える。
 尚、岡沢春彦は松江支局へ転勤になった当初、松江の和菓子を紙上で全国に紹介。その折りに松鶴堂へ取材で出入りし、松鶴堂の店を手伝っていた前島由希と知り合い現在に至る。
 前島由希は松鶴堂女将・佐々木雅子の姪であり、関本和雄の愛人の一人北村笹子の姪でもある。――
春岡 松鶴堂ですか。松江にはこの名前のお菓子屋さんはありませんね。
江波 そうですね。ストーリーとしては、雅子と笙子が、以前、東京で風俗の店に勤めていて、そのことで関本という男に強請られています。で、雅子が、その強請りにかかわった男を殺す、という筋立てですね。
春岡 出雲の周辺の風景は出て来ないのでしょうか。
――八島琴子の家は、大社線の荒茅駅に近い高瀬川沿いの古い家並みの裏手にあった。格子戸のはまった玄関のインターホンを押したのが、ちょうど約束の九時であった。――
江波 荒茅が出てくるというのも、なかなかの地理通ではないでしょうか。
春岡 最後の場面というか舞台は、は日御碕ということでしたが。
――宗形を乗せた覆面パトカーは、高木刑事からの無線連絡に誘導されて出雲市を抜け、大社町へ入っていた。北村笙子は出雲空港からタクシーに乗り、日御碕へ向かっているらしい。
 宗形班の他の捜査員たちも、全員宗形のパトカーの後に続いているはずである。
「こちら高木です。現在地、日御碕。容疑者は観光ホテル・ウミネコに入りました。場所は日御碕灯台手前百メートルを左折。すぐにわかります」
 午後二時三十五分。高木からの無線連絡がそう告げた。――
江波 ミステリーに最適ということなのでしょう。白い灯台と日本海……。
――パトカーのスピードが上がった。
 大社町を通り抜け、日本海沿いの大社日御碕線へ入った。風光明婚な観光道路を時速百キロ近いスピードで北上した。
 快晴だった。風が強い。日本海から吹きつける強風が、ときたま窓ガラスを鳴動させる。 海は荒れて、青黒い海原のあちこちに白い牙を立てている。
 道はS字型に曲がりくねり、季節外れのせいか行き交うクルマの影も少なく、腕に自信のある若い警官の鮮やかなハンドルさばきでたちまち大山隠岐国立公園へ入った。 
 十分後、前方の松の緑の上に、白い日御碕灯台が見え隠れした。――
江波 日御碕で、笙子と雅子が証言をして、犯人や事件の経緯が分かるのです。
春岡 最初にあったように、ゆっくり読むと面白いと思います。ところで、この本は手に入るのでしょうか。おそらく、書店にはないでしょうし。
江波 平成元年ですから、新刊としては駄目かと思いますが、古書店には探せばあるはずです。例えば、インターネットならアマゾンコムで検索すると出て来ます。確か、二百四十円くらいからありました。そこでなら手に入りますね。
春岡 テレビドラマにもなっているのではないでしょうか。
江波 そうです。平成二年十一月に、テレビ朝日系の「土曜ワイド劇場」で放送されています。
春岡 当然、ロケもしているはずですから、風景のシーンだけでも興味のあるところですね。では、また来週。

◇松江宍道湖殺人事件は、終わります。