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第24回 かきくけこ   
                佐木 隆三 
                    引用は 『土曜日の騎士』 河出書房新社 版 より
 
 平成16年6月22日付けから27日付けまでの島根日日新聞に掲載

春岡 毎週木曜日付の島根日日新聞に掲載されている『青藍』には、最近ペンネームらしい名前が増えて来ましたが、何か理由があるのでしょうか。
江波 いろいろな人がたくさん書かれるようになったこともありますが、ペンネームを作って楽しんでおられるということもあるように思います。
春岡 太宰治は津島修治というのが本名ですが、聞いた話によると、小説を書くと家族が怒るので、友達がそのペンネーム考えてくれたのだそうです。太宰権帥大伴の何とかという人が酒の歌を作っていたので、酒が好きな津島は、それで太宰。修治はどの文字も(おさめる)だから一つでいいということで治だけとしたらしいです。
江波 本名以外に別の名を持つということは、いわば別の人間になるということですから、自由に書けるということでしょうか。
 ペンネームというのは、自分で作るのですから気に入ったものにすればいいわけです。ですが、本人よりは読む人が困るというか、どういう意味か、どう読むのだ、となるとどうでしょうかね。
春岡 ペンネームと言っても、やはり名前らしい名前でないといけないのではないかとも思います。妙な名前で、見る人が何これ? と考え込んでしまったりするようなものでは……。
江波 ペンネームの話になってしまいましたが、確かにそうですね。犯罪小説をたくさん書いている佐木隆三という作家もペンネームで、本名は小先良三なのです。
春岡 どういう意味から?
江波 本名の、(こさきりょうぞう)をもじったもののようです。
春岡 なるほど、そうですか。ところで、今回の小説は?
江波 その佐木隆三の「かきくけこ」という淋しい小説です。
春岡 五十音がタイトルというのも面白いですが、淋しいというのはどういう……。
江波 それは、いずれ後でということにして、舞台は木次線の列車の中です。
春岡 列車の中というと、たとえば西村京太郎の『特急「おき三号」殺人事件』とか、山村美紗の『京都・出雲殺人事件』などのように電車がからむというミステリーでしょうか。
江波 それが違うのです。ミステリーでなくて、恋愛小説とでも……。
春岡 いずれにしても、木次線、つまり宍道から備後落合までの列車の中での話ということですね。
江波 「かきくけこ」は、『土曜日の騎士』という本の中にある短編で、宍道町、そして宍道駅から物語は始まります。
春岡 その本は手に入りますか?
江波 インターネット上で調べたら、東京町田市の古書店にありました。
春岡 さすが、インターネットですね。
江波 最初は、アマゾンコムと紀伊國屋で調べましたが、そこにはなくて、他の書店にアクセスしてみたのです。
春岡 どうしても欲しい人は、インターネットというわけですか。
江波 そういうことになりますか。『土曜日の騎士』は、 昭和五十七年に河出書房新社から出ています。ちょっと表紙が変わった感じでよくないとは思いますが。
春岡 変わった感じ? よく分からないことがあって、ミステリーですね。
江波 それはともかくとして、非常に会話が多い小説です。九十パーセントと言ってもいいかもしれません。それが、殆ど列車の中での会話です。
春岡 それもまた面白い……。
江波 登場人物は、梅子という女子短大一年生の女の子と啓介という二十歳の工員でメッキ工という設定になっています。このメッキ工というのが、ストーリーに関係するのです。二十歳ということも関係あるといえば、そうです。つまり十八歳か十九歳の短大一年生と一つか二つ年の離れた男の子というわけです。その歳が接近していることがね。
春岡 意味ありげですね。
江波 そうなんです。その意味が、小説を読んでいるとしだいに分かり、最後で、あっと思わせる文があるのです。
――松江ー備後落合をつなぐ、国鉄木次線は、九十八・九キロ。ほとんど、山の中を走る。
 二人が、宍道湖のほとりの宿を出たのが午前九時すぎ。山陰の朝は、とりわけ冷えこむ気がした。時刻表を確かめずに、駅へ歩き、どこ行きでもいい、来た列車に乗るつもりだったから、けっきょく木次線下り、九時四十二分発になった。
 二両編成のディーゼルカーは、途中駅の、出雲横田行きとのこと。べつだん、あてのある旅ではないから、啓介も梅子も、空いた列車の中で、のんびり構えていた。ただし、朝の冷えこみには、ふるえあがったので、進行方向右側の、陽の当るほうに席を取り、ブラインドを上げた。――
春岡 あてのない旅、時刻表も確かめずに列車に乗る……。何かありそうですね。
江波 小説ですから、それはもう。
――十月の半ば、まだ紅葉するには、早いらしい。それだけに、いたるところ、葉が落ちた枝に鈴なりの、朱い柿が目につく。
「あの柿、食べたいな」
 梅子が、いつもの、ひとりごちるような言いかたをした。――
春岡 柿ですか。
江波 その柿がキーワードの一つ。
春岡 もしかして、「かきくけこ」……。
――「私って、渋柿かしら、甘柿かしら」
 梅子が問うたのは、出雲大東駅を過ぎたあたりだった。――
■引用は『土曜日の騎士』河出書房新社。■写真は、江波潤一さん撮影。
江波 会話が、なかなかに意味深いのですね。この小説は。
――啓介はちょうど、昨夜買ったはかりの、二十万分の一の島根県地図を拡げていたところなのだ。東西へ二十キロメートルほどの、サツマイモのような形の宍道湖は、なるほど大きいものだと、改めて感心していたのである。――
春岡 どうしても宍道湖が出ますね。
――車両には、ほかに乗客が十人ばかり。どういうわけか、たいてい、年寄りなのだ。出雲弁とでもいうのか、のんびりした調子で声高だから、どこか声をひそめた二人の会話になど、注意を向けるはずはない。
「じゃあ、言ってごらんよ」
「ふーん」
「渋柿なの甘柿なの」
「難問だなあ」
 拡げたままの地図を、啓介は、横に置いた。
 国道54号線は、まっすぐ南へ走っているのに、国鉄線はヘアピンカーブのように曲りながら、進んでいるのである。だから窓の日射しは、右から入ったり、左から入ったり、目まぐるしく変る。
 しかし、車窓にはあいかわらず、赤い柿の実なのだ。
「梅ちゃんは、渋柿か、甘柿か」
 思わず、彼女のジーンズのズボンの、ベルトのあたりに、視線が行く。――
江波 ベルトの辺りに視線、というのも伏線なのです。この続きには、かなり際どい会話が出てきますが、それは省略して……。
――その昔は、本陣だったという、由緒ある旅館へ、タクシー運転手に連れて行かれたときは、面喰った。徳川中期の、出雲の国の代表的民家ということで、重要文化財に指定されているとか。
 そんなところへ、わぎわざ案内してくれたのは、二人が学生風に、見えたからかもしれない。玄関を入ってすぐの、駕籠や甲冑に、啓介が気圧されていると、梅子のほうが素早く、一泊二食付き六千円との札を見つけたから、安心して泊まったのだ。
 平屋の、広い建物だった。みしみし音がする廊下を、ずいぶん歩いて、通された部屋は、六畳間だが、離れのようになって、障子の外は左右いずれも、庭だった。――
江波 この小説は、昭和五十三年に『小説宝石』という雑誌に載せられたものですから、約二十五年前で、その当時は一泊六千円だったのですね。今の料金は三倍から四倍でしょうか。
春岡 小説というのは、いわば記録的な内容もあるということで、そういう意味では面白いじゃないでしょうか。
江波 そうですね。ところで、梅子が妊娠していることが会話で分かります。結末につながる伏線なのです。というより、前の夜に泊まった宿のことが詳しく……。
春岡 江戸時代の本陣宿で、国の重要文化財ですから、作者も泊まったのではないでしょうか。
江波 多分、そうだと思います。
――ディーゼルカーが、上り勾配を、あえぎながら進む。地図で確かめると、木次駅の手前から右に見える道路は、国道314号線である。その道路を走る車のほうが、列車より速い。
「ねえ、なにか話して……」
 いつのまにか、梅子が、横に坐っている。木次駅で乗客の大半が降りて、いま、前の車両には、ぜんぶで六人になった。――
春岡 長閑ですね。
江波 そうでもないのですよ。梅子と啓介が初めて会ったのは、正月でした。梅子は高校三年生だったのです。
――さらに山の中に入って、長いトンネルを抜けると、出雲八代駅だった。
「咽喉が乾いたわ」
 梅子が、あいかわらず、啓介の肩に頭をあずけたまま、つぶやいた。――
春岡 車内販売は、ありませんからね。
――「ねえ、あれ、飲まない?」
「だめだよ」
「やっぱり……」
 ちょっと梅子が笑った。言ってみただけで、そのつもりは、なかったらしい。
 啓介は、網棚のナップザックを、ちらっと見上げた。東京を発つとき、幾重にも新聞紙にくるんだブランデーの瓶を、梅子にも見せている。ゆうべ宿で、せめて三分の一くらいは、飲んでもいいのではないかと思ったが、栓を抜かなかった。やはり最後まで、とっておきたかったのだ。――
江波 これも伏線ですね。
春岡 もしかして、二人は死ぬんじゃないですか。
江波 そうなんです。二人は自殺するために、木次線付近の山の中に向かっているのです。
春岡 なぜ自殺、というか男と女ですから、心中でしょうが、どうしてそうしなきゃいけないのでしょう。小説は、ひとつもそういうことについて触れていませんが。
江波 それが小説の面白いところでしょう。短い会話が続いていますが、少し省略します。
――「いい奥さんになれる素質があると思うでしょ」
「思う、思う」
「ほんとに?」
「ほんとさ」
「じゃあ……私を、奥さんにして!」
 声がつまって、こんどは、大粒の涙だった。とっさに啓介は、自分の唇で、梅子の口をふさいでいた。
 朝食のときの、タクアンの匂いがする。もっと強く吸うと、ほのかに、ミルクの匂いもする。――
■引用は『土曜日の騎士』河出書房新社。■写真は、江波潤一さん撮影。
春岡 まだよく分かりません。
――ああ、母の匂いだ、と啓介は思った。かすかな、ほんのかすかな匂いを、なぜか記憶していた。その、はるか二十年前の、母の匂いを呼び戻すために、彼はいっそう強く、梅子を抱きしめた。――
江波 ここも伏線だと思います。絶妙な会話と散りばめられたキーになる言葉や場面が見事だと思います。
――終点の出雲横田駅には、十一時三十分に到着した。ここは島根県仁多郡横田町なのだが、ちょっとした盆地になっている。
 二人は駅舎の外のベンチに並んで腰かけていた。木造の、小さな駅舎には、売店さえない。
「私は啓ちゃんの言うとおりにする」
「うん」
「だから、あなたの思うようにして」
「そうだなア」
 こんなふうに、まるで梅子に任されると、とまどってしまう。
「この町だって、いいのよ」――
春岡 悲しい会話です。
江波 そうですね。
――駅舎の前から、道路がまっすぐ伸びて、百メートルほど行くと、T字路になる。
 ベンチから見て、突き当たりが、明るい日射しを浴びた、学校の運動場なのである。白い体操着の生徒たちが、なにやら教師に怒鳴られながら、かたまりを作って移動している。――
春岡 駅から見える小学校の風景は、本当にこの通りです。
江波 二人は暫くしてから、再び列車に乗るのです。急行ちどりが走っている時代ですが、梅子は急行は駄目だと言います。終着駅が広島で、そこまで行くと新幹線があって東京に帰りたくなる、と言うのです。
春岡 急行ちどりは、平成二年に廃止になりましたね。
江波 二人は、出雲横田から備後落合へ行くディーゼルカーに乗るのです。出雲坂根駅のスイッチバックに驚いたり、とりとめのない話を二人はしながら……。
――遠縁のものということで、紹介されて、梅子とはほんの二言か三言だけ、ことばを交わしたら、なんだかずっと以前からの、知り合いのような気がしてきた。いや確かに、どこかでつながっているはずなのだが、どうしても、思い浮かばなかった。――
春岡 まさか……。
江波 鋭いですね。そのまさかです。
――備後落合駅は、貨車の引込み線がたくさんあって、広い構内なのだが、人影はほとんどないのだった。
 改札口を出ると、すぐ下を谷川が流れており、商店らしい家が二軒だけ。ほかには、なにもないのである。
 降りたときから、二人の気持は、すぐに通じた。――
春岡 直接、書いてはないけれども……。
――結婚させてほしいと、梅子の家へ行って告げたら、母親が狂ったように、叫んだ。しかし、梅子は妊娠しているのである。そのことを、初めのうち、彼女は隠していたのだ。――
江波 梅子の母が「それで、あなたたち、まさか?」と言うのです。啓介は「おばさん、ぼくの責任です」と、潔く認めるのですが……。
――母親は、泣いた。身をよじって、苦悶の表情を浮べている。――
春岡 小説では、まだ書いてないのですが、読み手は見当がつくでしょう。
江波 梅子が母に謝り、産むと言うんですね。それを聞いた母親は何も言わずに、ふらふらっと部屋を出て行き、いつまで待っても戻らなかったのです。そして、高層アパートの屋上から飛び降りようとした母親が、間一髪の差で助けられたという報せがありました。
――そして二人は、駆けつけた親戚の者から、じつは兄妹だと、事情を明かされた。啓介にとってのおばさんは、私生児として産んだ彼を、兄夫婦の戸籍に入れて東京へ出て行った、実母だったのである。
 血のつながった二人を、いつか会わせたいと、イトコ同士として紹介したのが、こんなことになった。――
春岡 ため息が出ます。
――「なあ、梅子」
 橋を渡ったところに、割合大きな食料品店があって、弁当・仕出しと看板がある。弁当は、駅弁のことかもしれない。
「弁当を買って行くか?」
「いいわ、これがあるもの」
「おいおい、渋柿だぜ」
「私はあなたと、かきくけこ……」 
 ニッコリ笑って、梅子が体をすり寄せてきた。
「ほんとうは、渋柿のほうが、おいしいんでしょ」
「……」
「行こう、啓ちゃん」
「ああ」
 とりあえず、谷川の上流へ歩けば、まちがいないだろう。二人は歩けるだけ歩いて、人目のつかないところで、ブランデーで酔ったあと、啓介が職場で手に入れた、青酸カリを飲むつもりなのだ。
 秋の太陽は、すでに傾きかけて、谷川ぞいの道を行く二人は、日陰を選ぶかのように、いくぶん急ぎ足に山間に消えた。――
江波 悲しいですね。赤い柿、彩りの濃い奥出雲の秋の風景と二人の死は、場違いのようにも思うのですが、しかし、美しい小説ですね。
春岡 何も言えませんが……。でも、いい小説です。
江波 そうですね。ではまた来週。