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随筆 イベント諸々
  
               遠山 多華   
                                                                        島根日日新聞 平成16年8月26日付け掲載

 このところ、毎日三十度以上の炎暑が続く。今年の暑さは格別だ。齢のせいかとも思うが、若い者も応えるらしい。やはり異常気象なのだ。
 八月八日の日曜日は、出雲おろち祭であった。今年は、私の住む鳶巣の地区からも出場するという。そのパレードに、身体障害者、老齢者を特別参加招待するという案内を受けた。今回が初めての企画である。喜んで参加することにした。
 愛いっぱい号という車椅子のまま乗車出来る福祉バスである。身障者の男性と卒寿の老女が二人ずつ、それに付き添いの人が加わる。ほかには踊り子達も含めて六十余名だそうだ。出雲の中央病院跡へ夕刻の六時に集合する。
 おろち祭参加は二十六チームに及び、大規模なものである。それぞれが『おろち』をかたどって表現した飾りで、我こそはという思いが満ち、壮観であった。
 鳶巣のおろち号も、丹精込めたユニークな装いだ。その車の後に、福祉号が続いての出発である。もちろん、私達は踊るわけではない。踊りの後に続いてのパレードだ。しかも、鳶巣の踊りが先頭である。踊り子は母娘で、赤い中華服に髪形も合わせ、異色で凝ったものになっていた。
 くにびき中央通りを太鼓に合わせてのパレードで、華やかなものである。汗いっぱいの熱演だ。道路の両側は見物の人達で溢れ、まさに壮観だった。バスで続く私達も、興奮して拍手を惜しまない。
 高瀬川通りにある大梶七兵衛翁の像も目を瞠り、ご満悦のように見えた。
 途中、ひと呼吸をしながらの出雲市駅終点まで、悠長なパレードは一時間も続いた。鳶巣は先発だったので、後続の踊りが全部観られなかったのが残念ではあった。とにかく、楽しさいっぱいの感激に浸ることが出来た。
 長生きをすれば良いことがありますよね、と同乗の人と手を握り合って別れを惜しんだ。
 翌九日の夜は、いずもの花火大会である。連日のいずもは、燃えに炎えている。 私の家は倖せにも、去年から花火の上がる場所が、武志町の河川敷公園に替わり、近くなったから真正面に見える。
 かつての屋根裏文士の棲んでいた部屋を改築したので、そこから観る花火は最高だ。ただ、電柱が邪魔をして眺めを少々塞ぐけれども、まずまずのお座敷花火で格別である。
 河川敷には駐車場がないので、鳶巣のコミュニケセンターに車を停める。そこから近くまで、用意された車で移動するというから、いろいろ便宜も図られている。
 孫娘の嫁ぎ先は花火が見えない位置にあるので、そこの家族総出で花火を観に来るから賑やかだ。手料理をつまみ、ビールを飲む。これも楽しからずやである。 空を焦がすなどとも言うが、連発の花火はまさに夏の夜の風物詩である。
 パッと上がって散り、ドンと鳴る音の間が短い。距離が近いからである。昔と違う新鮮な花火が上がるたびに、(オー、オー)と感嘆の声。曾孫二人もおおはしゃぎだった。
 約一時間の花火は仕掛けを最後に終わり、元の闇が更に深くなった。 
 孫娘が帰ると言うが、曾孫二人の姿が見えない。探してみると、母屋の応接間のソファーで他愛もなく横になっていた。しきりにお寿司をつまんでいたので、お腹もふくれて眠くなったのだろう。花火にも飽きたのかもしれない。起こすのは可愛相だった。
 空を染めて上昇し、そして散華する花火。人間模様を織りなすとも思える花火。私は、すぐに寝つかれないかもしれない。

八月十四日、新聞に載せられた運勢は、『書きものには良い日。レポートや論文など良し』とある。それに促されてペンを取った。

◇作品を読んで

 三年前に始めた『青藍』は、今回で百六回となった。原稿用紙でそれぞれが平均五枚程度とすれば、五百枚である。長編小説の枚数になる。積み重ねというのは恐ろしい。これをまとめて本にすれば、見事な創作集になる。
 随筆は、書き手が見たり聞いたりした日常の些細なこと、珍しいことを題材にし、印象などを交えて書いたものである。だから、思い付くままを徒然に書く。
 こうして書かれた作者の作品数は、四月から数えて二十を超えた。五ヶ月で二十編だから月に四編となり、おおむね一週間に一作品を作り上げている。旺盛な創作意欲と努力に感心するばかりである。内容は主として身辺の出来事であり、長い人生を歩んで来た作者の回顧や記録的なものになっている。まさに人生の積み重ねである。