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随 筆 山小屋の夜
    
               萱野 あざみ
                                                                        島根日日新聞 平成16年10月7日付け掲載

 山小屋「白雲荘」の泊り客は、その夜、七百人もいたらしい。私達のツアー四十一人も、その数に入っていた。
 白銀荘は、富士山の八合目にある比較的大きい方の宿だった。軒先を入ると、すぐが玄関で一畳ぐらいの広さのたたきになっている。靴を脱いで上がると、十畳ぐらいの板の間があった。登る途中、持って来た昼食のおにぎりを食べた場所だ。
 休憩所兼泊り客の食堂である広間の左手が受付を兼ねた売店で、ジュース、お茶、缶コーヒーなどが並べてあった。中央奥は、簡単なカーテンで仕切られた調理場らしく、二、三人のバイトの女の子達が、手際よくお客の夕食や明日の弁当を盆に重ねて運んでいた。
 夕食といっても、発泡スチロールに入れた薄いカレーライスだけであった。それでも暖かいご飯とカレーは、登山客にとって嬉しい食事だ。
 たたきに座って重たい靴の紐をとき、脱いだ靴を持って左手奥へ行くと、背丈よりも高い靴箱がずらりと並んでいた。私は明朝の早い出発を考え、取り出しやすい入り口に近いところへ場所をとった。
 通路の奥にも部屋がいくつかあるようだったが、私達の部屋は靴箱の右手の階段を数段上がった二階の部屋だった。
「ゴツン、 あっ、やってしまった」
 誰かの声が聞こえた。天井が低くて、ところどころに出ている梁に頭をぶつけたらしい。
 屋根裏の広さは、六畳の部屋を二つ繋げたくらいである。屋根裏だから天井が低く、立っては歩けない。腰を少しかがめて進まないと頭をぶつけてしまう。裸電球がぶら下がっていて、これにも注意だ。細長い部屋の真ん中に通路があって、左右に布団が隙間なく敷いてある。予想していた以上の雑魚寝になりそうだ。
 すぐに係りの人が来て、ここでの過ごし方と寝方を教えてくれた。今夜はシーズン最後の土曜日で特に混むから、柱と柱の間に頭と足とを交互にして七人ずつ寝ること。奥は男性の方から詰めて、続いて女性が同じく七人ずつ寝ること。畳一枚半の広さに七人である。寝るというより、疲れた体を横にして休める自分の場所という感じだ。狭くても寝る場所があるということに感謝である。この部屋には他の団体客も泊まっていたので、八十人ぐらいはいたようだ。
 私達の団体四十一人は、今朝八時に五合目を出発して、三千七百七十六メートルの山頂に全員が到着したのは、夕方の五時ごろになっていた。やっと登りついた富士山頂上は、一面の霧で視界は全く無く、冷たい風が絶えず吹きつけるので寒かった。
 暗くなる前に八合目の山小屋まで下りなくてはならない。ゆっくりする時間もあまりなかったが、富士山頂でいただく熱いコーヒーやぜんざいは、感慨深いものがあった。
 くたくたになった足で、一時間程下って山小屋に到着したときには、頭痛と吐き気がますますひどくなっていた。七合目の辺りから突然車酔いの症状が出て腹痛、頭痛、吐き気を感じた。高山病だそうだが、初めての体験で、その後はずっと下りるまで高山病と一緒だった。
 夕食は半分しか食べられなかった。食べておかないと体力が続かないと思い、カレーに向かったのだが残してしまった。缶ビールを飲んでいる人もいたのだが、私は食欲がなかった。
 食事が終わるとすぐに場所を空けてくれ、という係りの人の声に追い立てられた。後は、もう自分に割り当てられた狭い寝床で、横になるしかなかった。リュックを顔の上のフックにかけて、隣の人と頭を反対のほうに向けて恐る恐る足を延ばした。やっと今夜は富士山八合目山小屋白雲荘で泊まるのだ、という気持ちになった。 
 翌朝、二時三十分起床で三時に出発。ご来光を見ながらの下山予定をもう一度疲れた体に言い聞かせながら横になった。時計を見るとまだ七時三十分だった。見回すと、私よりもきつい高山病でぐったりしている人もいる一方で、元気いっぱい大きな声で喋ったり、笑ったりしている人もいる。体力の差だろうか……などと考えているうちに、いつの間にか眠っていた。

◇作品を読んで

 山歩きが好きであり、森林インストラクターでもある作者は、名峰富士山に登った。山頂に着いたのは午後五時で、一面の霧のために何も見えず、冷たい風が絶えず吹きつけていた。登ったと思う間もなく下りなくてはならない。熱いコーヒーとぜんざいが、思いの中に強く残った。
 富士山頂を制覇したことよりも、山小屋「白雲荘」での印象が強烈だった。普通なら、頂上からの眺め、途中の植物などの情景を書くのだろうが、そうではなく、狭いところで過ごす一夜を題材にした。心に響いたことだけを書けば、力強いということを思わせる作品である。山小屋というのは、登山をしない人には馴染みがない。読んでみて、なるほどそうなのか、と思わせられるのも、こういう作品の妙味でもある。