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 童 話 かわいいくーちゃん
    
               森 マコ
                                                                        島根日日新聞 平成16年10月14日付け掲載

 私は斐伊川に住んでいる仙人です。
 年齢は三百十八歳。三百十八年間、斐伊川の上を風に乗って漂っています。残念ながら私の姿は、くーちゃんにしか見えないのです。私を見つけようとする人なら私がわかるはずなのに、今まで私を見た人間は、くーちゃんだけです。
 くーちゃんは、私を見ました。だから私も、くーちゃんのことをお話します。

 くーちゃんは、津森空(つのもりそら)と言います。簸の川小学校の一年生です。一年生にしては、背の高い子どもで、ピョロッとしています。まだ赤ちゃんだった頃、心臓の手術をしました。喉からおなかにかけて、茶色のスジが、一本残っています。言葉数が少ないので、同級生は「くーちゃんは、心臓の手術の時に、心も取っちゃた」とからかいます。そんなことはありえないのです。けれども、くーちゃんは、どんなときでも「はい」としか言わないから、誰もがそう思うのです。
 くーちゃんの手術の時に、私はダイヤモンドを埋め込みました。
 それが原因ではないのですが、くーちゃんは無口な子どもです。
 くーちゃんには、お父さんもお母さんもいません。わけがあって、今、おじいさんと二人で暮らしています。おじいさんは、くーちゃんと話すときに、どもります。くーちゃんとだけでなく、誰と話すときでも、とてもとてもどもるのです。
 だから、おじいさんは「そら」と呼ばないで、「くー」と言います。そのほうが言いやすいからです。
 くーちゃんは、おじいさんが好きです。
「くー、くー」と呼ばれると、幸せな気持ちがします。
 昨日のことでした。くーちゃんとおじいさんは、二人で楽器を作っていました。
 音楽の時間に「きらきらぼし」をみんなで合奏したり、一人で演奏したりするためです。
 くーちゃんは、ビスケットのカンをボールペンで叩いていました。それを見て、おじいさんが裏の竹藪から竹を切ってきて、かまぼこ型に小さく割りました。くーちゃんは、ビスケットのカンに、短く切った竹を並べ、ビスケット木琴という名前をつけました。
「ボールペンで叩くのもなんだなあ」と、おじいさんが言ったので、庭に落ちていた石を拾ってきて、くーちゃんはバチにしました。石のバチで叩くとカンコンカンと、かわいい音が出ました。嬉しくて、明日、学校で「きらきらぼし」を演奏するのが待ち遠しくなりました。くーちゃんの目は、まるでお星様のようにキラキラしています。
 今日は、朝から雨です。
 くーちゃんは、ビスケット木琴が雨で濡れないように、自分の服の下に入れました。ちょうど、おなかのあたりに、ビスケット木琴があたります。落ちないように手でしっかりと押さえて学校に行きました。強い雨のために、黄色い合羽の裾が足に張り付き、気持ち悪くて仕方ありません。でも、音楽のことばかり考えていたので、思ったよりも早く歩けました。
 学校に着いたときには、ひどいありさまでした。合羽の前ボタンはほとんどはずれて、腰から下はずぶ濡れ、帽子も脱げて濡れたネズミです。
「あらあら……くーちゃん」
 靴箱の前で出迎えていてくれた、道子先生は言いました。
「くーちゃん、ランドセルは?」
 くーちゃんは、おなかから、ビスケット木琴を出して、道子先生に手渡しました。木琴を触った道子先生は、くーちゃんが「おはよう」と言ったように思えました。ソッと蓋をあけようとしたとき、小さな音がしました。「はい」と言ったように聞こえました。
 道子先生は、くーちゃんのことをいつも「かわいいくーちゃん」と呼びます。
 一時間目は算数です。
 くーちゃんは、窓の外ばかり見ています。
 道子先生の出す引き算があまりにも簡単すぎて、たいくつになったからでしょう。
 外に居る私を見ると、くーちゃんは、大きなあくびをしました。くーちゃんのあくびのために、教室の空気はくーちゃんの口の中に吸い取られたようです。私はわざと怖い顔をして言います。
「くーちゃん。前を見て、黒板を見て。道子先生の唇を見て」
 声が聞こえたのか、暫く道子先生の唇を見ていたくーちゃんは、今度は自分の下敷きを眺め始めました。アクアスへ行った時、記念にもらった、魚がぎっしり印刷されている下敷きです。ごていねいに下敷きをかざして、道子先生の唇を見ています。
「くーちゃん。聞いてるの?」
 道子先生が言います。
「はい」
「わかった?」
「はい」
「わかっていないでしょう」
「はい」
「かわいいくーちゃん」
「はい」
 あらららら らら……らっと。
 やっと、四時間目の音楽になりました。
 くーちゃんの演奏する順番になりました。くーちゃんがあわてて前に飛び出したので、友達の楽器を踏んでしまい、その楽器がキューと鳴りました。
 道子先生は見逃しませんでした。キュー楽器を拾い上げると、それに頭を下げながら、「くーちゃんが、あわてて踏んでしまって痛かったでしょう。許してね」と言っています。
 道子先生はくーちゃんに体を向けて、「くーちゃんの代わりに、キュー楽器さんに謝っておきましたよ」と言いました。
「はい」
 くーちゃんは、顔だけをキュー楽器さんに向けると、目をつむりました。
 落ち着きを取り戻したくーちゃんは、ピアノの前に立ちます。くーちゃんはビスケット木琴を打ちながら、替え歌まで歌いました。
「虫が好き、虫が大好き。大きくなったら、ぼく、虫のおとうさん」
 友達は笑いましたが、道子先生の目には涙が光りました。「はい」としか言わないくーちゃんが、ビスケット木琴を打ちながら、替え歌まで歌ったからです。
 その時、くーちゃんの心臓に埋め込んだダイヤモンドが、金色の道を通って道子先生の心臓へと移動しました。そうして、体の中でキラッと一回転すると、そのダイヤモンドは、道子先生の瞳から涙と一緒に流れ出てきたのです。
 私は、道子先生の涙とダイヤモンドを両手で受けると、飴を口に入れるように、そっとダイヤモンドを唇に含みました。
 私も泣きました。道子先生の涙が止まらなくなったからです。私が代わりに泣いたら、道子先生の涙が止まるかもしれないと思ったからです。
 くーちゃんは自分の演奏が終わると、安心しきってしまったのか、また窓の外を見ています。
「給食まであと五分だからね。もうちょっとだよ」
 苦笑しながら、私はそうつぶやきました。
 夕方になりました。
 道子先生が、くーちゃんの机の前で立ち止まって何か考えているようです。私は、道子先生を抱きしめたくなりました。
 肩に腕を回すと、道子先生の独り言が聞こえます。独り言は、だんだんと涙声に変わっていきました。
「かわいいくーちゃん。私のかわいいくーちゃん」
 道子先生の唇にそっとキスをしました。四時間目からずっとなめているダイヤモンドを、道子先生の心臓に埋め込むためにです。

◇作品を読んで

 物語を書くヒントは、日常の生活の中に幾つもあるはずだ。そのときに大切なことは、書くという意識を常に持ち続けていることではないだろうか。そうすれば、好奇心や感性が豊かになると思う。
 作者は斐伊川の彼方に、空飛ぶ仙人を見た。どこにでも行け、何でも見ることができる仙人になってみたいと思った。その仙人が見た空想の世界のお話である。どんな大人でも不思議な夢を見ることがある。夢と空想は、子どもばかりではなく大人であっても、生きる力につながっている。
 小説や童話に限らず、書くということは空想する、夢を見るということではないだろうか。優しい言葉で、面白いお話を子どもたちに語る。それは書き手の優しさでもあり、子ども向けの創作の基本は、まさしくここにある。そんなことを考えさせられる作品である。