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 日 記 十月十七日、日曜日
    
               遠山 多華
                                                                        島根日日新聞 平成16年11月4日付け掲載

 十月十七日 日曜日 晴れ
 そろそろ、秋冷の候といわれる暮らしやすい時季になった。
 今日は「いずも」の句会である。昨日の松江に続いて、連日の外出という事になる。川跡駅までは歩いて二十分足らずの距離であるが、風が少々寒い。近道に選んだ田圃道は、雑草が茂って思わぬ歩行困難の状態になった。やはり、いつもの道がよかった、急がば廻れかと一人合点し反省する。
 会場は、駅前のパルメイトの四階である。以前は市民会館横の「銀輪荘」で、歩けば十五分もかかって不便だったが、駅が目の前で最高にありがたい。
 出席者が三々五々集まるなか、私は前の方に席を取った。
 句会は、いつものように型どおりに進行した。ちなみに今日の句会の成果。
迎え酒などとうそぶく朝の猪口
方舟の迎え残り日抱いたまま
目線下げ同じレベルで子と和む
残り火に煽られレベルアップする
星流れ過去には触れぬ夢を抱く
北斗星一途な恋の黙秘権
 以上が入選句となる。和気あいあいの呼名だった。こうして句会に出席してそれぞれ呼名に応じることは、無上の歓びでもある。私がこの齢でおこがましくも、句会に出席する所以でもある。
 今回、一題で二句出し、一人の選者から二句共に入選というのがあったが、これは稀である。ちょっと驚き、考えさせられた。こうして毎回出席し、いろいろな経験を積むことによって、新しい発見をするのは嬉しいことだ。
 ともかく披講もつつがなく終わり、後は懇親の宴となった。乾杯、おめでとうの言葉が交され、団欒の場となる。今回は例句会に併せ、喜寿のお祝い会でもある。男女それぞれ二人ずつだが、そのうち二人は欠席で、男一人女一人だった。
 二人の喜寿の包み切れぬ悦びが伝わる。これから八十路を越えようとする意気込みのある頼もしい川柳人である。ご両人の未来に期待。飲んで食べて話し、皆大満悦である。
 終わって私は提案した。それは平野勲氏の画展を見ることである。句会をチャンスに、勲氏のファンである女三人が、出雲の文化工房に馳せ付けた。工房は伝承館の南に位置し、かつて杜若が咲いていた場所との記憶がある。今は舗装されたその一角に文化工房として新しい建物ができたのだ。平野氏の絵の展示会場である。すっかり面目を新たにしたこの土地にも、文化の風が吹いていると思った。 句会が終わってからの思い付きだから、既に午後五時。館内には人影がない。友人との話を終えられた平野氏に、一年振りにお会いできた。お互い寄る年波を感じるが、氏はとてもお元気そうだ。まだまだ眼が輝き炎えている。全国を旅し、祭りを求めての行脚を続けられる意欲には頭が下がる。
 祭りの絵は、一人一人のユーモアたっぷりの表情が繊細に描かれ、温かみの溢れる漫画である。大人にも子供にも親しまれる絵である。
「私の作品を飾って頂くことは出雲出身の私にとって光栄なことです。少年の頃から好きだった祭りを描いて本当に良かった。これからも一日一日を大切に前進しながら描いていきたい」と語っておられる。
 毎年、松江や出雲での展覧会には必ず案内をいただき、天の川の出会いほどではないが、お互いの元気さを確かめ合っている。
 平野氏と最初の出逢いは数十年前のことであった。尼緑之助師と松江での句会の折り、展覧会に行き、コーヒーを頂いたのが絆となり、年賀状の交換が続いた。
 そのうち、出雲一畑で展覧会が開かれた。そこで例の私のお節介が始まり、島根日日新聞にいち早く報告する。すぐ取材に行かれ、写真入りで載ったので平野氏から感激された事もある。
 平野氏はかつて出雲市役所で尼師と一緒に勤務しておられた関係で「川柳いずも」の表紙は平野氏の祭りの絵によっているが、川柳誌によくマッチして今日に至っている。
 私の家の廊下には、平野氏の「吉兆さん」の絵が架けてある。

◇作品を読んで

 日記というものは、考えてみれば、いろいろ面白い側面を持っている。たとえば、殆どの人がその日の天候を書くのはなぜだろうと思う。誰でも経験があるが、子供の頃の夏休みの日記の宿題は、ある意味で苦痛であった。暫く書かないと、何をしたか忘れることもさることながら、天候はどうであったかということは、まるで思い出せない。聞いたところによると、夏休みの終わりには、気象台には天候の問い合わせが急増するという。おかしさを通り越し、子供達が気の毒になる。
 この作品は日記として書かれたものである。原稿用紙でいえば約4枚半だが、毎日このような長文の日記を書かれてはいないようである。時々であれ、このような日記風の文章を書くということは、まさに書き手の生きている証である。なぜ日記を書くのかと問われれば、答えはそのことに尽きる。