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    私と「THE CROW」
                                   浜 森  M
                                                                          島根日日新聞 平成17年2月16日付け掲載

 黒地に、手書きの白い文字で小さくmarikoとかかれた音楽コンパクトディスクのジャケット。ほかには、何の飾りもないシンプルなデザインだ。
 知人から、松江在住の女性ミュージシャンが最近出したアルバムだよ、と手渡された音楽コンパクトディスクだった。
 アマチュアバンド好きだった私は、(へえ、地元のミュージシャンも頑張ってるんだ)、と思う以外は、何も感じず無心に聴き始めた。
 ジャケットのシンプルさに象徴されるような、ピアノの音が私の耳に響いてきた。その曲は、アルバム「mariko」のいちばん最初に収められている曲「THE CROW」だった。
 聴き始めると、私の頭の中は暗闇に包まれた。
 暗闇はスクリーンとなって広がり、やがて、その暗闇に溶け込んでしまうかのような黒いドレスを着た、黒い長い髪を持つピアノ弾きの女性が現れた。
 彼女は、肩を震わせて泣いているのではなく、不幸を背負ったかのような、しかめっ面をしているわけでもなかった。
 ピアノの音は、乾いたとでも言ったらいいのか、真っ黒な孤独感を奏で、私の心の中に響いた。
 その響きは、決して重くはのしかからず、むしろ癒されるように心地良かった。ピアノを弾くたびに揺れ動く黒く艶やかな長い髪は肩を伝わり、しなやかに背中に流れ、まるで彼女をいたわっているかのようだった。
 やがて、黒いグランドピアノの上に、一羽のカラスがぼんやりと浮かんできた。カラスに目を惹かれた。カラスは女性の肩に、時にはピアノの上に止まり、転々と居場所を変えた。だが、暗闇の中にキラリと光る二つの目は、ピアノを弾く女性をまるで見守るかのように、常に優しく注がれていた。孤独という闇を、まるで自分の黒い色で吸収するかのように……。
 脳裏に浮かんだスクリーンには、ピアノ弾きの女性とカラスが投影され、耳にはピアノの音以外は何も聞こえなかった。全ては暗闇の世界だった。
 しばらくすると、もう一つ、別のスクリーンが現れた。
 四方を壁に囲まれた暗い小さな世界で、お人形と一緒に過ごす幼い女の子が映っていた。小さな明かりが、どこからかともなく射してきた。女の子とお人形の周囲をほんのりと照らしていた。音もなく、孤独な寂しい世界だった。
 幼い女の子には、どこかで出会ったような気がした。幼い頃の私だった。懐かしさと寂しさが込み上げてきた。
 浮かんだ二つのスクリーンから伝わるものに、決定的な違いがあった。
 ピアノ弾きの女性とカラスは、お互いに孤独の存在を認めているのだが、幼い女の子、つまり私は、それを心の中で密かに否定し、反発しているのだ。
「THE CROW」の曲を聴きながら、二つのスクリーンを重ね合わせた。
 スクリーンが、一つになった。
 暗闇の中のスクリーンに、ピアノを弾く女性とカラス、そして黒いグランドピアノが映し出されていた。その向こうには、お人形と遊ぶ小さな女の子がいた。
 ふっと、子どもの頃の私を取り囲んでいた壁が崩れていった。
 孤独と共存するピアノ弾きの女性とカラスに、孤独は怖いものでも寂しいものでもなく、私と共存するものだということを教えられた。
 人は誰も、外からは見えない黒い部分、ブラックホールを心に抱えている。
「THE CROW}」は、私がブラックホールに吸い込まれないよう、そっと覆ってくれている気がした。

◇作品を読んで

 作品に書かれているmarikoは、松江市に住むミュージシャンの名前である。東京に持つ音楽オフィスを拠点に、島根はもちろん、関東や関西の大都市でライブなどの活動を続けているという。
 ピアノとヴォーカルの組み合わせ、更にジャズと昭和歌謡をミックスさせたような独特の世界に、作者はいつしか心惹かれて虜になった。そして、どうしてもその気持ちを文章にして残したいと考えた。
 marikoは独特の強烈な魅力、個性を持っていると作者は感じている。この作品も同様に個性的であり、確かな心象風景である。
 CDで聴くピアノの音から、作者は想像力を働かせる。音といえば聞こえてくるそれを言うのだが、我々は聞こえない音の存在があることを知っている。その音を想像する。豊かな想像力は物語を紡ぐことにつながっている。