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随 筆
   黄 昏               園 山 多賀子

                        島根日日新聞 平成14年9月25日掲載

 立秋を過ぎて、この暑さである。昼寝の時間だが、眠れぬまま横になっていた。毎年のように異常気象だという。今年もそうらしい。
「これからテルミーに行って来ます」
 声だけを残して息子夫婦はさっさと出かけた。
 私を歯医者まで便乗させてくれればよかったのに、と思ったのだが、もう遅い。家族が、それぞれの位置で、自由行動をしているのだから仕方がない。
 歯医者に行くのは、盆頃に痛かった歯が、また疼き出したからだ。
 ちょうど、三時四十四分の増発バスに間に合う。自分のことは自分で動けるから倖せだ。手早く支度をして、外に出た。
 歯医者では、運よく余り待たずに治療が終わった。
 気がつけば、時計のバンドが切れそうだ。これは大変と、スーパーに駆け込む。ところが、中年の女店員が無愛想で、替えるのは難しい、と嫌な顔をした。
 仕方なく、以前に交換してもらったことのある中央通りの個人店に足を運ぶ。二十分くらいも掛けて快く付け替えてもらった。さらに、お茶まで(どうぞ)と勧められた。すっかり嬉しくなった。そこで時間を潰し、六時のバスに乗るため出雲の駅寄りのバス停に行こうとした。歩き出したが、それは逆方向であることに気がついて踵を返し、元中央病院前のバス停に向う。小さなことだけれども、そこまで考えるゆとりがあったなと、つまらない自負。
 定刻のバスに乗り込むと、ひとりの紳士から(やあ)と声を掛けられた。偶然だった。
「今、お帰りですか」
 そう言って、反対側の席に腰かける。久し振りである。よく電車で一緒になり、言葉を交わす人だった。お宅はどこか、お仕事は何なのか知らないが、確か一度だけ、単身赴任だと聞いたことがある。小柄だが、いかにも貫禄のある方だ。
「お一人で食事など大変でしょう。この頃は、何でも買えば足りるような良き時代ですからね」
 口に出してから、自分ながらはっとした。そんな私事に立ち入った話をした私を恥じ、口をつぐんだ。
「ええ……、まあ。あなたはお一人ですか」
 その人は、何のくったくもなさそうに答えられた。
「息子夫婦、それに孫との四人暮らしです」
 私はすかさずそう言っただけで、主人の居ないことは口に出さなかった。それきり二人共無言だった。五分位経って停車のベルをその人が押され、バスは間もなく止まった。
 立ち上りざま軽く手を上げ、微笑みながら、(じゃあー)。(お大事に)と、私も。よくある会話だったが……。確か、百円硬貨を投入し、従容(しょうよう/と振り仮名)と降りて行かれた。私は、その人の後ろ姿を目で追っていた。停留所の東寄りにはアパートがある筈だ。
 バスの中には、何時の間にか私一人だけが残った。過疎のバスは乗る人が少なく、どこも赤字路線だ。足のない老人はバスをこよなく頼りにしているから、いつまでもの存続を祈るばかりである。
「西林木まででしょう」
 なにかしらほのぼのとした憶いに耽っていると、心得た運転手はベルを押すことを忘れていた私を降ろしてくれた。
「ありがとう」
 陽はもう既に傾いていた。新しいバンドに替った時計は、六時三十分を指している。
 部屋に帰って灯を点ける。
「ただいま」
 亡夫の写真に向かって呟いた。
「遅かったなー」
 なじっているような遺影が、少し眩しかった。


講師評

 作者はある紳士にバスの中で出会い、二言、三言、言葉を交わした。顔馴染みであり、仄かな好意を持っている。「ほのぼのとした憶い」と「ベルを押すことも忘れた」という文に、それがよく表れている。そして、「亡夫の遺影が、なじっているようで少し眩しかった」で終結する。読み手は、この文章の底に流れる作者の思いを想像するのである。タイトルは、その内容によく合致し、情緒的でもある。
 短い文が重ねられており、歯切れがよく、しかも無駄がない。緊張感を持たせる文章である。こういう書き方は、場面の転換がごく自然にできる。そして、「あ、これなら私でも書ける」と読み手が思うのだが、それは、素直な文章だからである。 作者は、毎週のように作品を書いているが、それは、かなりな集中力と体力を要する。
 高齢ではあるが、作者のその情熱と若さ、意欲にただただ驚くばかりである。