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  心は青く
                              宮 崎 真 然
                                                                          島根日日新聞 平成17年6月3日付け掲載

〔目に青葉 山ほととぎす 初かつお〕とは、今頃の季節だろうか。それにしても、初かつおは未だ食していない。
 立恵峡の大屏風岩を右に見て、萌えるような青葉、若葉の滴りを潜り抜け佐田町に入った。平成の大合併によって出雲市内となった、佐田町の温泉ゆかり館≠フ駐車場に車を止めた。
「またやったか」――車から離れる間際に、車の中にキーを残したままロックした。悔やんでみてもはじまらない。この頃、とみにシルバーと呼ばれる年齢の域に入ったためか、呆けの始まりか、このような失敗を頻繁にする。
 シルバーは銀とか銀まがいの意味らしいが、最近しきりに年寄りのことをシルバーと呼ぶようになった。ひと頃、シルバー・グレーといって中年男性の魅力の形容に使われた時期があったことも覚えている。
 連休で車屋さんも休みかと、困り果てて駐車場から斜向かいの人家に飛び込んだ。奥のほうから声がして、出て来られた叔母さんに、事情を話して何か道具がないか頼んでみた。
 そうこうするうち、ご主人と思われる気のよさそうな、これもシルバーという言葉が良く似合う年格好の叔父さんが出て来られた、事情を話すと、あちらこちらと探され、曲尺(かねじゃく)を貸していただいた。
 運転席に差したままのキーは見える。ドアのロックは、しっかりとかかっている。焦る気持ちを抑えつつ、曲尺でガラスの隙間からロックを解除しようとするが、なかなかうまくいかない。五分経ち、十分が過ぎた。昼を大分まわった。皐月晴れを通り越して、真夏を思わせる太陽が脳天に容赦なく照りつける。
 何たることか。自業自得とは、まさにこのことかと思う。 
「知人に車のことに詳しい人がいるから……」と、叔父さんが四十絡みのその方を呼んで来られた。ドアロックを解除する専用道具まで持っておられる。道具を操りながら解除作業にとりかかるや、ものの五分も経たないうちに、カチッという微かな音と共にロックが外れた。
「ヤッタ! これで助かった。有難うございました」
 ジーンとする人の情けが、心に染みる。何度もお礼を言って頭を下げる。すたすたと、何食わぬ素振りで遠ざかる恩人を見送った。後ろ姿は大仏さんの背中のようにおおらかで、優しくまるまるとして大きく輝いていた。
〔情けは人の為ならず 〕と言う諺がある。文化庁が二〇〇一年一月に行った『国語に関する世論調査』に、〔情けは人の為ならず〕という諺の意味を問う二者択一の設問があった。(ア) 人に情けをかけておくと、巡り巡って結局は自分のためになる。(イ) 人に情けをかけて助けてやることは、結局はその人のためにならない。
 正解はアである。正解率四七・ニ%だった。六○歳以上の回答者の正解率は六五・二%で、年齢が下がるにつれて正解率は落ちる傾向にある。人の世に情けが無くなったら、歌の台詞ではないが「世の中真っ暗闇でござんす」ということになりかねない。
 情けという字は、立心偏に青と書く。人情、愛情、感情、温情、情熱、情感、などのように心の動きを表す意味に使われている。
〔情けは人の為ならず〕――情けを人に掛けると、いつまでたっても人に頼ってばかりで、自立できないからその人の為にならない。だから、情けは人に施しても無駄であるというように解釈する若者が多くなったので、世論調査の結果になったのではあるまいか。
 人に情けをかければ、その相手のためになるだけでなく、やがては巡りめぐってよい報いとなって自分にもどってくる。だから人には情けを掛けておくことは良いことだ。情けをかけるとは、人のためではなく自分のための行為ではなかろうか。善行は自分にも返って来るものだから、人には親切にせよという教えなのである。
 このところ中国では反日デモが繰り返され、わが国の大使館が襲撃され、建物を壊されたり、日本製品の不買運動も起こっているという報道を見聞きする。
 一九七九年から実施している対中国資金協力累計額は、一九九八年までに二兆二千億円となった。莫大な経済援助をしているわが国に対して、感謝こそすべきなのに反日運動、不買運動とは、いかがなものだろうか。報道によれば、中国では何年も前から国策として反日教育を実施し、それが反日デモという結果になっているという。日本からの対中経済援助は中国のためになっていないのでなかろうか。情けは他国のためならずである。どのように解釈するのが正しいのだろうか。だんだん頭が混乱してきた。
 ともあれ、情けとは、心を青くすることである。青は、青春・青二才・青い山脈・青い鳥……など『春』と共に、萌える若さの象徴に使われている。義理と人情は浪花節だけの世界ではない。今の世にあっても、暖かくほんわりとした人との関係を作るのに役立つように思える。

◇作品を読んで

 立久恵峡谷を眺めながら行く、新緑の中での行楽である。目的の温泉に着いた。ところが思いもかけず、臍を噬むことになった。車の中にキーを置き忘れ、ドアをロックした。「またやったか」とあるから、初めてのことではないようである。ドライバーなら、誰しも一度や二度は経験する。
 作者は親切な人達に出会い、安堵の胸を撫で下ろす。そして、それは日頃の思いにつながった。情けは人の為ならず、という諺の間違った解釈が若年層に多いのはなぜか。隣国と日本の関係はどうなのだろう。暗澹たる思いで、佐田町の湯につかった作者は、再び情≠ニいう文字から、人の世に何が大切かを考えた。
 行楽の日の出来事と思い巡らす数々のことが、よくまとめられている。読み手は、「そうだ、そうだ」と共感しながら読むのではないだろうか。