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  赤い花なら曼珠沙華
                                   原 正雄
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 秋の彼岸が来ると、今まで気配もなかった場所に決まったように顔をのぞかせるのが曼珠沙華である。
 筆先のような円錐形の花蕾をつけた茎は、一週間ばかりで三、四十センチに伸び、葉を伴わず林立して開花する。あまりにも鮮やかに映えた真っ赤で、火事花の異名を持つほどである。
 畦や土手に、道端や墓地周辺に、その姿を見ると、秋の深まりを感じる。いつ頃からという確かな記憶がないが、斐伊川土手にも戦前からあちこちに生えていたように思う。数本から十数本の群生で、何十本、何百本とまでは広がっていない。チューリップのような球根が、子球、孫球へと繁殖していくのだろうが、同じ所では自然の摂理か、広がりが抑えられるようである。花が実をつけたものを、鳥によって媒介されるのこともあるだろう。点在しているのも不思議ではない。
 燃え上がるような花は、妖しさと艶やかさを漂わせ、謎めく花として、火事花のほかにも多彩な異名を持っている。地方によっても違うようだが、彼岸の頃に咲くのでヒガンバナ(彼岸花)と言い、マンジュシャゲ(曼珠沙華)は古代インドの梵語で天上に咲く≠フ意味である。今ではこの二つが全国普遍でオーソドックスな呼称となっている。カジバナ(火事花)、カンザシバナ(簪花)、キツネノタイマツ(狐の松明)という言葉からは、燃えるような花のイメージを受ける。
 シニビトバナ(死人花)、ユウレイバナ(幽霊花)と、縁起の悪い名で呼ばれた時もあった。昭和二十年頃までは死人は土葬であり、野犬などが掘って食したことから、毒性の強い、この花を植えたためであると伝えられている。また、そのこともあって、子どもたちが怖れる、墓地の周りに植えられたとも。
 土手や畦によく見られるのは、ネズミに穴を開けられると水が漏れることもあるので、そのために植えたと言われてもいるが真偽のほどは分らない。
 このような人里植物の多くは、先人が無意識のうちに、暮らしの知恵によって定着させ、今に伝えている。
 半世紀余り前、私たちが子どもの時代には、綺麗ではあるが縁起のあまりよくない呼び名から、無気味な花と見られていた。今では園芸品種も多く出回り、新興団地などの花壇に植えられて光彩を放っている。
 これと類似のことは数多く見られる。イチョウ(銀杏の木)やサルスベリ(百日紅の木)は寺院に植えるものだが、今は紅や白色のサルスベリやイチョウの黄葉に魅せられ、一般家庭でも庭園樹として普及している。その変化は戦前の神仏への思いと、戦後の科学教育に起因するものであろう。
 物の見方、考え方は時代の流れや、年を重ねる事によって変化してゆくことが多い。子どもの頃に見ていたヒガンバナと、高齢者となって見る曼珠沙華は、その妖しさが郷愁を誘う花に変わるように、である。
 この花を目にすると、「赤い花なら隻珠沙華 阿蘭陀屋敷に 雨が降る……」と唄われた『長崎物語』を思い出す。
 昭和十四年に由利あけみが唄い、戦後ののど自慢で多くの日本人を魅了して大ヒットした。曼珠沙華は一躍脚光を浴びたのである。歌詞に出てくる、じゃがたらお春≠フ哀しい物語に、惹かれたからかもしれない。
 イタリア人の父と日本人の母の間に生まれたお春は、十三歳で父を亡くし、養父と暮らしていたが、今から三百七十年ばかり前の江戸時代初期、十五歳のお春は国外追放され、肉親と引き裂かれて、ジャガタラ(現在のインドネシア・ジャカルタ)という当時は極めて遠い国へ渡らされた。異国の父を持つ混血児であるという理由、また、徳川幕府のキリシタン弾圧と鎖国令による海外往来の禁止によるものであった。
 その数年後、外国人の想い人になり、あげくの果てに遊女に身を落とし、日本に帰りたくても帰れない可哀想な女性となった。
 長崎にいた頃のお春は、曼珠沙華で彩られた阿蘭陀坂の一角に「お春姫」と呼ばれるほどの幸せな暮らしをしていた時もあったが、幕府の悪政で多くの渡来人と同じような運命を辿ったのである。
 真っ赤な曼珠沙華に囲まれて眠っている、日本の父や母に思いを馳せ、帰りたくても帰れない異境の地で、七十二歳の生涯を閉じたお春。長崎物語は多くの日本人の琴線に触れた哀しい鎮魂の歌である。
 曼珠沙華の花を見ると、じゃがたらお春≠口ずさみたくなる。

◇作品を読んで

 残暑が緩み始める頃から、真っ赤な花が咲く。彼岸の季節を彩る曼珠沙華である。作者は、その花から随筆の題材を思い付いた。幾つもある名前の数々、美しい花ではあるが、有毒植物であることや流行した歌などを興味深く綴っている。
 書かれているように、曼珠沙華は法華経に出てくる梵語で、赤い花とか天上の花という意味である。赤い花が天から降るがごとく、吉事がやって来るとも言われている。受け取る人によって様々であるのも面白い。
 作品の原文は、最後に『長崎物語』の全歌詞が書かれていた。文中への適切な引用ならよいが、そうでない場合は著作権によって保護されているので、日本音楽著作権協会の承認が必要である。歌詞は題材を補完するものとして的確ではあるものの、その意味で残念ながら削除した。歌集の奥付などのところに、日本音楽著作権協会の文字があるのも、そのためである。