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  土佐寒蘭
                                   天従 勝巳
                                                                          島根日日新聞 平成17年11月24日付け掲載

 平成八年五月に逝った養父満雄が元気な時に綺麗な花を咲かせていた、三、四鉢のシンビジュウムが、誰の手入れもなく庭の片隅に投げられるように散らばっていました。五、六年もの間、植え替えもされず、鉢の上端からバブルが溢れるように根詰まりの状態になっていたのです。
 私は、平成九年八月に出雲にやって来ました。何か仕事を探さなければと思いながら、翌月の中旬頃まで、時を過ごしていたのです。
 仕事も無かった私は、半日ばかりかけてシンビジュウムの植え替えをしました。二年目から花が咲く黄色と茶色の二種類でした。
 今では、毎年のように咲いて目を楽しませてくれるのです。株分けして、十三鉢にもなりました。この頃、ホームセンターなどで売っている大きな花ではなくて、今から十五年、もしくは二十年も昔の小花のシンビジュウムです。しかし、幾種類かある内の、何という名前なのか未だに分かりません。
 ある朝のことでした。驚きと感激がありました。
 土佐寒蘭の花が一茎ですが、高さ四十五センチほどに成長し、八輪のサラサ系の花を付けていたのです。
 鉢の名札を見ると、「00・09・P」と書かれていました。平成十二年の九月です。ちなみに、「P」とは、ポッティング、つまり、鉢に土を入れて植えたということなのです。名札には、「野根山採取」とも書かれていました。
 その当時、毎年一回は郷里の室戸に帰っていたので、その途中、南国インター入口にある土産店で三鉢買ったのを思い出しました。二年経っても花は咲かなかったのです。
 もちろん、土佐と出雲は気候も環境も違うので、駄目かな? と思っていました。そのこともあって、数年も経つと水やりや肥料をやるなどの世話をすることもなく、記憶から消え去っていました。そんな状況で、また二年が過ぎました。
 私が寒蘭を見たいと思ったのは、亡父達吉が、生前、三、四十鉢ほどを庭の夏蜜柑の大木の下に孟宗竹の垣囲いを作って育てていたことを思い出したからです。亡父が花を見てどんなことを感じていたのか、自分でも育てて咲かせてみれば分かるかもしれないという気持ちからでした。
 六年前の三鉢のうちの一つが、誰の世話も受けずに一茎に八輪の香り高い綺麗な花を咲かせたのです。今年の新しい葉の様子から推測すると、来年も一茎の花が期待できそうです。
 六年振りに咲いた土佐寒蘭を見ていると、もう少し花を大事にしたらどうだと、亡父が語りかけているような気もしてきました。

◇作品を読んで

 寒蘭の学名をシンビジュウムカンラン(Cymbidium kanran)といい、自生地は九州、四国、紀伊半島など黒潮の影響を受ける照葉樹林である。蘭に限らないが、園芸植物の鉢を貰って作っているうちに、たいがい枯らしてしまうことが多い。コツというものがあるのかもしれないが、それよりも植物への愛情が大事だということを花好きの人からよく聞く。
 寒蘭は高価であり、しかも、不思議な植物で、栽培の基本を忠実に守っているうちは順調に育つものらしい。寒い時期に咲くので、寒蘭と呼ばれ、その自生地の名を付ける。この作品は、土佐出身の牧野富太郎博士によって命名された土佐寒蘭にまつわる話である。
 枯れたと思っていた寒蘭が再び咲き、作者はそれに感動した。そして、亡父を思い出し、今度こそ大事にしようと思った気持ちが淡々と書かれている。
 なお、左上の挿絵は、筆者の画である。→注 ホームページには掲載しない。