TOPページにもどる   ウエブ青藍トップにもどる

  寒 鯖
                                  天従 勝巳
                                                                         平成18年2月9日付け島根日日新聞掲載

 魚偏に青と書いて鯖である。
 夏鯖は寒鯖と違って、石斑魚とも言われるが、川魚のイダが猫またぎ≠ニ呼ばれるのと同じで味が悪い。猫またぎとは、猫もまたいで通るほどの不味い味の魚という意味である。だから、夏鯖は鮮度が落ちやすいので、値段が安い。さばを読む≠ニいうように、あまりよくない意味にも使われるので印象が悪い。
 寒鯖は秋頃から秋刀魚と並び、庶民の食卓にも載ったり、ごく普通の食堂でのおかずにもなる。鯖寿司も美味く、大好物の一つでもある。私の故郷は高知だが、そのこともあって子どもの頃から魚を食べることが多かった。それも、太平洋で釣れる新鮮なものであった。
 蛇足だが、関鯖はカンサバではなく、産地の呼び方でセキサバと読む。大分の辺りの関の漁場で獲れるものを言う。
 親から聞かされたことがあった。鯵は、麦ワラ鯵というように麦が黄色く色づく頃から夏場にかけて脂が乗って旨い。秋の終わりから年末にかけては、師走の貧乏鯵となって、それこそ味が落ちる。日本海の魚も旨いが、昔の瀬戸内の魚も小味があってよかったと言っていた。
 自慢ではないが、私は刺身、煮付け、塩焼きでも一口食べれば、料理された時の鮮度が大体分かる。
 磯魚に宿貸すな、とも聞いていた。要するに、一日経つと旨味が落ちるので、磯魚は釣れた日の内に料理をしなければいけないということである。逆に、回遊魚の青魚は、そうでもないようだ。若い頃、広島の倉橋島で生け簀のハマチを刺身で食べたことがある。身が硬すぎて旨くなかった。
 最近、出雲地方にもセルフ方式の食堂が、一、二軒店開きをしている。「あきまへんわ」という口癖の知り合いの社長と一緒に行った。店に入り、盆と割り箸を取り、ガラスケースに置いてある惣菜の前を奥の方へ順次移動しながら、自分の好みのものを載せていく。注文を受ける従業員はいない。いわゆる省力化であろう。そう思っていると、あきまへんわ社長が厨房の従業員に向かって言った。
「なんで、この鯖はシッポと上しかないんや」
 秋刀魚が丸ごと一匹と、鯖の切り身の焼き物の皿が並んでいる。上≠ニは、胸ヒレの付いた部分である。
「真ん中はないんか?」
 秋刀魚も鯖も、一皿が二百五十円である。従業員は、少し笑いを浮かべて愛想よく言った。
「あら! そう言えば……。言われるまで気が付かなかったわ。仕入れ先から切り身のまま入ってくるのを焼いてるんです。すみません。今度、上司が来たら聞いておきます」
「大阪の食堂じゃ、真ん中もちゃんと並べてあるんで……。注文する時も、上、中、シッポとはっきり言いよるで」
 社長は、まだ不満の様子である。
 私は砂ずりの部分が好きなので、その皿を手に取り、次に野菜の小皿を取って盆に載せた。鯖の真ん中が台形のだから、上やシッポよりも容積が多いのだろうと思った。社長はシッポの皿。次いでレジの前に移動すると、係が必ずミソ汁かブタ汁はいかがでしょうか? と声を掛ける。右手を横に振る。ご飯は、大、中、小どれでしょうか? とまた聞く。「大……」と答えると、大盛りにしてくれた。茶碗は、どんぶりの少し小さ目の一種類である。値段は全て百三十円。
 揃ったので係に金を払う。五百円玉を出すと、お釣りがいくらかあった。あきまへんわ社長も、少し釣り銭を受け取ったようだ。節約デーで、二人でどちらがより安いかという競争だったのである。
 食事が済むと、盆は洗う係の前にある棚に載せる。
「ごちそうさん」
 私は必ず声掛けをする。ありがとうございます――と返ってくる。当然のことではあるが、それを実行するように気を付けている。
 このような店は、毎日、自分でメニューが選べるし、また、ご飯は二升釜で炊くので美味い。家で、二、三合を電気釜で炊いたのより確かにいい。
 店では、野菜は刻んだままを仕入れる方式のようだ。少しでもゴミを減量しようとしているのだろう。従業員教育もしっかりしているから、これから流行(はや)るのではないか。 
 ともあれ、私はどこの食堂に行っても、この季節になると寒鯖に目がいくのである。

◇作品を読んで

 何でもいいから文章を書いてみませんか? と問えば、ほとんどの方から書くことがないという言葉が返ってくる。本当にそうだろうか。書けないと最初から思ってしまうと、当然だが先に進まない。
 作者は、常に自分の身近なところから題材を拾い出す。それは植物のことであり、今回のように食べ物であったりする。
 この作品のように、まず自分が知っていること、例えば、そのことについての知識を原稿用紙に書いていく。ペンを走らせているうちに、書く内容が広がるものである。
 文章力があるというのは才能から生まれるものではなく、文章の基本を身に付けることから始まって、少しでもいいから常に書くことで得られるのではないだろうか。今年は、何とか頑張って書いてみようというのが、作者の目標であると聞いた。