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  天使のはしご
                                  三島 操子  
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 筆でさっとひと掃きしたような毛状雲が、宍道湖の夕日を惜しむように、空に残る余韻をまだ抱き締めている。背中の少し遠くを、仕事じまいに急ぐ車のタイヤ音が通り過ぎていく。
 毎日のように表情を変える宍道湖が大好きだ。住んでいるマンションの部屋からでも、湖を眺めることが出来る。が、その部屋に帰る気になれない。
 一羽、二羽……。水鳥の数が増えて来た。日暮れが近づき、どこからか帰って来たらしい。波に任せて気持ち良さそうに、羽根を休めている。ベンチに座ると、遠慮がちな木の冷たさが、腰から伝わってきた。足元を小さな風が転がっていく。秋は、小さな風の音から始まるような気がする。昨日に続く今日なのに、親切な風は、季節が変わったことを教えてくれた。
 午後、職場で耳にした噂に、胸ぐらをむんずと掴まれた。
 彼とは五年も付き合い、大切な人……だと思っていた。定期の異動で、京阪神を包括する事務所への転勤を祝ったのが、この間のような気がする。送るメールに、すぐに返事が返らないのが気になっていた。半年を過ぎ、陣中見舞いを兼ねて上阪しよう。そう思いながら、実行に移せないでいた。
 ざわめきは噂を耳の奥に放り込むと、どこかに隠れてしまったらしい。一瞬だった。確かめようと書類から顔を上げた。視線をそらす同僚に、本当のことだと分かった。
 お互いに大切な存在。そう信じていた人は、すでに父親になる予定だという。軽い目まいに襲われ、息苦しさに机上のパソコンにしがみついた。長い一日だった。こめかみの痛みだけが、今は身体を支えている。
 陽は静かに西の国に帰って行った。連なる山々は、残照を背にストーム・ブルーのシルエットになって、湖を抱え込むように左右に伸びている。
「おい。宮川じゃないか」
「……」 
 見上げたそこには、作業服を着た男が黒い切り抜き絵のように立っている。
「俺だよ。おまえ宮川だろ? 高校の時、同級生だった山口次男――何してるんだ」
「あんた……グッさん」
 仕事の途中か、微かに埃の匂いがする。高校の三年間、同じクラスだった山口次男だ。少し小太りでおおらかな性格だった。女子生徒には結構人気があった。みんなやまぐち≠ニつぐお≠縮めてグッさん≠ニあだ名で呼んでいた。
 十年を超える時間は、そんな彼を、一気に中年の雰囲気を漂わせた男に変えている。聞けば父親の土建業を継いだと言う。
 宍道湖岸の補修工事を請けて、今終わったところだそうだ。近頃は、下請けの叉下請けのような仕事しか廻ってこなくなり、厳しいとぼやく。だが、おっとりとした言い方が邪魔をするのか、そうとは見えない。
「でもね……。言っているほどには見えないね」
 言ったはなから、業界の状況をしっかりと聞かされた。気が付けば、湖岸道路を走る車のライトが帯のように流れていく。そんな時間になっていた。身体の横をすり抜ける北山風が、今日の出来事を預かってどこかに捨ててくれたらしい。こめかみの痛みが取れ、身体が軽くなっていた。
「お前な――。無防備な格好であんな場所に一人で座るな。おばさんになったら、自分に似合う場所を考えろ」
 別れ際に説教する。私はまだまだわ若あーい。大きく胸を張って叫んでやった。
 以来、独り言のような携帯メールが、舞い込むようになった。
 年越しは実家だ。三十歳にまた年を重ねる娘が、母には幸せ遠い子と映るらしい。その思いに、娘は結構傷ついている。だが母は気付いてくれない。母の濃厚な愛情には疲れる。おせちを土産に、三日ぶりで自分の部屋に帰った。ひんやりとした空気と、シンプルな空間が一番落ち着く所になっていることを改めて感じる。
カーテンを細く開けた時、メールが入った。グッさんだ。珍しい物が手に入ったから、一緒に鍋でもどうだ! 母には悪いけど、おせちに飽きていた。決まれば早い。外はまた雪が降ってきた。雪は北山風に押されて横に走って行く。
チャイムが鳴った。
 ダイニングキッチンが、こんなに狭いと感じたことは無かった。動くたびにぶつかる。グッさんの持ち込んだ段ボールから、白菜、ネギ、大根、米まで出てくる。なぜか竹炭も入っている。新聞紙に包まれた肉は、脂身が少ない。もっちりとした赤身のかたまりだ。
 手際よく鍋に収まって行く。近頃の土建業は、農業もするそうだ。多角経営だと言っているが、包丁を握っている手は、人を使う苦労を教えている。タッパーを開けたら涙が飛び出た。わさびの醤油漬けが入っている。今朝、近くの沢から採ってきて仕込んだそうだ。
 それ……泥棒――。
 山の神様からの祝儀だと反論してくる。めぐり≠ナ、春の神様からの土産という蕗の薹で味噌を作るそうだ。グッさんの周りには、神様が沢山いるようだ。手を出すと邪魔にされるので、サイドボードを開き、コップの用意をする。琉球ガラスのコップの横に、普通のコップを並べている。どっちにしょうか! 手が止まった。
 ……年の初めの目出度さよ。門松ひっくり返して大騒ぎ、後の始末は……俺がする……。台所仕事を鼻歌が手伝っている。包丁の音も歌に合わせて楽しげだ。正月というのに、肘の伸びたセーターに作業ズボン、太い腰回りに気兼ねしてかベルトもゆるゆるだ。赤いカシミヤのセーターに着替えたのに――。気付いてもらえるのは無理だろう。コロコロとめぐり≠フ音が微かな春の香りを乗せて転がってくる。
 琉球コップを、テーブルの上にそっと並べた。
 思いっきり肉がぶち込んである鍋から、太い湯気が上る。わさびは箸の先に少し取り、舌に乗せた。鼻の奥が、涼しい。琉球ガラスのコップに、本数限定の大吟醸の冷酒がよく似合った。やっぱり正月は酒だよ、と言いながら味を楽しんでくれるのが、嬉しい。蕗の薹味噌は、薄く切ったフランスパンの上に乗せた。器は唐草模様の古伊万里だ。味噌がパンの上に乗るんかい! 不満そうなのを意識して無視する。白菜の残りは、かつお、たっぷりのひたしだ。おおぶりのそば猪口に盛った。美味しい。肉はあっさりと、程良い噛み応えだ。冷酒が口からお腹までゆっくりと時間をかけ、はしゃぎすぎる気持ちを鎮めてくれる。
「この肉、美味しいね。何の肉」
「俺達が仕留めた、いのしし」
 え―― 。箸を置いてしまった。手を止めたままの、沈黙が長い。
「俺達は、イノシシの血を抜く時、手を合わせて感謝するんだ。そうだろう。命を貰ったんだからな。マーケットに並んでいる肉でも魚でも……感謝してるか! 俺達は勝手に命を食べて生きているんだぞ――」
 新鮮な感動を持って聞くことが出来る。田舎では、イノシシ被害に、耕作放棄地が増え災害を心配する所が出て来ているそうだ。頼まれて、グループで駆除活動していると話してくれる。本業と同じくらい力を入れて農地を集積し、営農をしていると言う。子供の頃の印象は消えていないのに、見上げるぐらいの大きな心の男になっていた。話の端々に、地域の頼られる存在である事が感じられる。見た目に少し気を使えば女性にもてるのに。グッさんの良さが分かってきた分、悔しい気がする。
 ご飯を食べないと、食事は終わった事にならないそうだ。炊飯器を開けたらご飯の中に炭が潜り込いる。父親が友人を集めて焼いている――道楽炭――と、笑い飛ばしてくれる。グッさんは、日々の暮らしに満足しているのだ。今日のグッさんは、とても頼もしく見える。「悪いけど」と言いながら、フランスパンから蕗の薹味噌を、がりがり剥いでご飯の上にのせた。こうして食べなくちゃ――と、ぱくつく。真似をした。蕗の薹の程良い苦さが口の中に広がり、納得した。美味しかった。
 後の始末は俺がする……鼻歌が出るのは癖らしい。手際よくキッチンが整理されていく。
 濁った空気を逃がすため窓を少し開けた。四階まで駆け上がる宍道湖の風は、優しくない。頬に突き刺すようだ。
「去年、俺達、三十三の厄年だったの、知ってたか!」
 ――厄年?
「去年のおまえの大失恋は、言ってみれば厄落としだな……。今年は良いことあるぞ」
 グッさんの丸い背中がこっちを向いている。
 ――そうか、厄年だったのか。
 かさこそと荷物を片づける音に変わって来た。グッさんはホントに優しい。また優しさを貰った。
 冬の空は重い。雲の隙間から、光芒が宍道湖に降りてきた。放射状に届く光が、手のひら遊びをしているような波を、優しく撫でている。ヨーロッパでは、こんな風景を『天使のはしご』と呼ぶそうだ。
 今年は良いことがある。胸の奥が、チクッと応えた。

◇作品を読んで

 郷土を舞台にした作品を読むと、心が和む。斐川平野、宍道湖など、出雲の風景があまりにも美しいからだが、作品に書かれた情景にそれが重なるからでもある。
 宍道湖の落日を背景にしたこの作品は、風景描写が見事である。特に冒頭の三段落は、思いを寄せていた彼がもう戻って来ないという悲しみが語られ、よく出来ている。「今はその部屋に帰る気になれないでいる。」という一文は、読み手を惹き付ける。
 そして、最後の段落は、グッさんが来てくれたマンションの窓から眺める宍道湖の風景で結ばれる。「今年は良いことがある。」という一行は、主人公とグッさんの明るい明日を思わせ、読み手は安堵する。
 タイトルに使われた天使のはしご≠ヘ、本文にも書かれているように、層積雲の隙間から光が射し込み、あたかも空と地を結ぶ階段のように見える現象で、天使の階段≠竍光芒≠ニも呼ばれる。宍道湖の風景描写とも相まって、的確なタイトルではないだろうか。