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  桜に寄せて
                                  遠山 多華  
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 いつからともなく、玄関周辺の朝の清掃は私の受け持ちになった。終えて、門の外に出る。
 ぱっと視界が広がり、満開の桜が目に飛び込んで来た。朝陽に桜が映え、その爽快さに思わず息を呑んだ。
 孫娘の中学校入学祝いに、知人から苗を頂いて植えた桜だ。その孫娘は、既に四十路に入り、高校の長女、小学校六年生と四年生の男の子を持つ母である。
 幹の太さからも、二十年を越す樹齢を察することができ、毎年のように花が咲くと、贈り主への感謝を新たにする。
 箒を杖に、桜に寄せる憶いを暫し辿った。
 はっきりとした記憶はないが、三十年、いや四十年も昔のことかもしれない。主人も私も若かりし頃、旅行が唯一の楽しみであった。温泉巡りを兼ね、主に京都、奈良方面を歩いたものである。海外には、殆ど出なかった。
 桜を見ながら、静御前の歌を思い出した。
――しずやしず しずのおだまき くりかえし むかしを今に なすよしもがな 
  吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の あとぞ恋しき――
 鶴岡八幡宮社前で源頼朝に白拍子の舞を命じられた静御前は、こう歌った。
 満開の桜はもとより、葉桜にも、それぞれを愛でた思いもある。
 南九州、鹿児島県の知覧町で桜を見たことがある。
 再び、巡り来ない青春を敢えて国のために捧げて散った勇士達が、かつて居た。その最後の遺書などが展示してある「知覧特攻平和会館」を訪れた時、生来、感傷的な主人は目を背け、たまりかねたのか外に出た。私は、後を追った。折しも桜は満開であった。桜が咲くたびに、思い起こす一齣である。
 最近は気候の変化のせいか、桜の開花が早くなった感がある。
 今市の大和紡績周辺の桜が、十五日頃には訪れる人達のために開放されていたように記憶している。大社神苑の桜、平田の愛宕山なども、手弁当を持っての花見の憩いの場でもあった。
 一畑電鉄出雲科学館パークタウン前駅から、徒歩で約十分か十五分のところに、一の谷公園がある。公園開きには、娘が小学校一年生の時、桜の苗木を植え、イベントの音楽会にも参加した記憶がある。一度、花のあるうちに訪ねてみたいと思うことしきりである。
 木次の桜並木は、斐伊川の清流に沿って約二キロの桜トンネルが続く。川柳を始めて以来、師である尼氏に従って、観桜句会に皆勤したものだ。花のトンネルをくぐって句作りに挑んだ楽しさは、忘れられない。
 三刀屋には、川の両岸と隣接する三刀屋城址が桜の名所となっていて、異色とも言える緑色の花を咲かせる「御衣黄」が約二百本もある。古い昔から植えられたものか、相当の樹齢に見える。その緑の花の下で、弁当を開いたこともあった。
 彼岸桜を筆頭に、枝垂れ桜、八重桜など、それぞれに趣はあるが、山あいにひっそりと咲く山桜の風情も捨て難い。一般的には、吉野桜は親しまれるようである。
 いずれにしても、桜は日本人の象徴として、いついつまでも愛し、讃え続けられる花である。
 日曜日には、孫も帰って来る。家族一緒に、桜の下で鍋を囲み、酌み交わすのも、また楽しからずやではないか。

◇作品を読んで

 桜は、文学作品の中によく扱われてきた。
 谷崎潤一郎の『細雪』では、「夕空にひろがってゐる紅の雲」と書かれ、水上勉の『櫻守』は、丹波の山奥に生まれた庭師が桜を植えることに一生を懸けた物語である。
 桜は世界各地で咲くようだが、日本ほど生活と結びついている国はないのではないか。しかも、桜は日本人の心意気によく合っている。寒い冬が過ぎ、春が来たことを告げる。だが、その命は短く、一斉に散ってしまう。見事に咲いて、一陣の風の中で消えるのも潔い。
 桜は、我々の心に入り込む不思議な力を持っているようである。
 この作品の作者は、毎年のように春の季節になると、それぞれの桜にまつわる思い出を反芻するのであろう。その時の気持ちをもう少し聞いてみたい。