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  こおろぎの独り言               森 マコ  
                                                                         平成18年6月1日付け島根日日新聞掲載

「いってきまーす」
「ちょっと、裕子――待ちなさい。上着は?」
 登校しようとする娘の裕子の背中に向かい、大声を出す。
「母さん、今日は、最高気温二十七度よ。Tシャツで充分」
 押し殺した声で、近所に遠慮するかのような返事が返った。
 大丈夫なのだろうか。寒くは無いのだろうか。そう考えながら、自分の着ているチョッキの襟を無理に合わせる。
 五月も下旬に入った。だが寒い。私だけが、寒く感じるのだろうか?
 炬燵に入りなおして、エアコンのスイッチをリモコンで入れる。エアコンまでも入れるのかと、さらに押す。ちょっと寒い。そろそろ、炬燵を取り上げてしまおうかとも思うのだが、その意欲が失せてしまうような、天候だ。私には、寒いからだ。
「さてと……」
 今日は、どんな格好で仕事に行こうかな。昨日、「背中に懐炉を張って」と裕子に頼んだ時に、
「母さん、体がふやけるよ」
 と、うんざりされたのを思い出し、長袖のシャツは季節に合わないのかと苦笑する。
 仕方なしにのろのろと炬燵から抜け出し、半袖シャツに着替えて、上着を乗せる。やっぱり、今日も、懐炉を貼ろう。またもや考え直す。上着を脱ぎ、懐炉を二枚、肩から腰へと順に貼り付ける。
「ほんと老婆だよ。老婆また良し」
 自分の体に、指差し点検をしながら、独り言をたれる。

 ちちち……チチ……。
「おや、太郎こおろぎ?」
 このごろ、やたらと独り言が多くなった。クスリと笑う。声を出しているわけでは無い。笑っている自分の姿を想像している私が面白いのだ。ただそれだけ。誰かにこの様子を見られたとしたら、恥ずかしい。でも、誰もいない。幸運とでも言うべきなのだろう。
 チチチーーーピーチッ。 
 やっぱり、鳴いている。何の虫の鳴き声だろうか。確かめたいのだが、その、時間が今は無い。出勤時刻が、間近に来ているから。それにしても、この頃は、よく耳が聞こえるようになった。
 夜の、鳥の一声。
 蛙の、音。
 救急車の、ピーポー。
 コウモリの羽ばたき。
 ご近所のベランダ越しの話し声。
 がみがみと響く、母親の説教の声。
 家族が、この四月から、遠方で別々に暮らし始めた頃からだ。春からやたらと、世間の音が耳に入ってくるようになった。一人で居る時間がたっぷりと取れるようになったからだろう。要するに暇?
「母さん、都合が悪くなると、耳が聞こえなくなるのだねえ」
「はあ? 裕子ちゃん、何の事。何か言った?」
 本当は聞こえているのだ。しっかりと。特に、同僚が得得と説明する業務内容、オヤジの愚痴、裕子の不平などなど……。
 ピーチチ……クー。
 ああ、今日も、いい天気になりそうだ。
 耳が歳をとってしまったのだろうなあ。
 今西祐行の「童話太郎こおろぎ」には、困ってしまったさよちゃんを助けるために、いたずら坊主の太郎がこおろぎの鳴き声を真似ると書いてある。
 私の耳に聞こえてくる、こおろぎの鳴き声? 加齢による難聴? いやいや、確かに聞こえる。難聴ではなくて、幻聴かな?
 太郎こおろぎではなくて、加齢こおろぎ。
 懐炉を「やっとこさ」で、痛む肩に貼り終えた。さあさあ、もう一枚、夏の陽焼け防止のジャケットを着込むと、口紅を塗る。
「懐炉を貼って、口紅かよおー」、「耳だけ年寄り、加齢こおろぎ」と呟きながら、炬燵のコードを引っ張った。
 炬燵が言った。
「痛いー、乱暴な人ねぇ」
 やっぱり、聞こえる。声無き炬燵の声が。
 ガーンと玄関を乱暴に閉め、バーンと車のドアを閉じた。
「行ってらっしゃいね」
 車のエンジンが辛うじて、話しかけてきた。
 かくして、耳年寄りの一日が始まるのだ。ああ、加齢こおろぎが鳴いている。

◇作品を読んで

 文章を書くために最も大事なことと言えば、「何のために、何を、どのように」ということである。他人に見せることを目的しない日記ならいざ知らず、書くことは、何かを自分以外の人間に向かって知らせたい、訴えたいという願いである。それは動機であり、文章を書き終わるまでの原動力となる。「何を」は伝えたい核心部分である。
 伝えたいことはしっかりしていなければならないが、それをどう表現するか、どう書くかということが次の大事なことである。
 物語とは人間を描くことだとすれば、この作品に登場する母親、つまり書き手でもある私が、赤裸々に自分をさらけ出すことである。
 それは読み手の共感につながり、書き手と連帯しようという思いに至る。いつも特異な視点で書き綴るこの作者には、それがあるように思う。