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  梅田にて、ヨシ子
                        田 井 幸 子  
                                                                         平成18年6月9日付け島根日日新聞掲載

 ヨシ子は、その時、腹を立てながら歩いていた。
 ゴールデンウィークを利用し、社員旅行で大阪に来たのはいいが、ちょっとした行き違いから、若い子二人とはぐれてしまった。梅田繁華街のど真中である。メールも繋がらないまま、ファッションビルの出入口で一時間も待たされた。絶え間ない人の流れをずっと見続けたせいで、目は乾ききっていた。座るような場所もない。
 何回目かの電話でようやく捕まえることができた。
「どこにいるの? 何してたのよ」
 出かかる角を押さえて言う。
「……エミちゃんが買おうとしてた服の売り場がわからなくなっちゃって。それで、六階から一階まで全部歩いたんだけど。のどが乾いたし疲れたから、地下へ降りて――」
 のんびりとした声の言い訳。気に障った。
「じゃあ私、これから映画でも観てくるわ。あなたたち二人で買物すれば」
 結局ひとりになった。
 のけ者扱いされたようで、どうにも怒りの虫が収まらない。今ごろは――お局さまと一緒はいやだわ――とかなんとか言っていると思うと、目はつり上がり、鼻の穴は膨らみ、考えれば考えるほど、口は固く結ばれるのだった。
 だから、男が後ろから声をかけてきたとき、体がピクンとするほど驚いた。
「すみません。ちょっといいですか」
 柔らかな声だ。
(私は地元の人間じゃないから、道を聞いても知らないよ)
 そんな気持ちで、無愛想に振り返った。
 目が合うと、男のほうも驚いたように少しだけのけ反った。 
 色白で、年の頃は二十代後半と見た。清潔そうな身なり、髪もきれいに整っている。背が低く思えるのは、歩道より一段下った車道に立っているせいかもしれない。
 それだけのことを素早く読み取ったヨシ子だったが、
「あのう、おひとりですか? よかったらボクとこれからお茶でも飲みませんか」
 という男の声を聞いたとたん、体が固くなってしまった。
 言葉が出てこず、頭は即座にイヤイヤをしていた。男から身を守るようにして体は傾き、足は速度を上げて前へ進んだ。何か聞こえた気もしたが、それきり追っては来なかった。
 振り切った――と思うと、急におかしさがこみ上げてきた。
 ナンパされた。五十女にナンパしかけた男がいた。あはははははは。
 思い切り笑いたくなる。自分をも含めて。
『よかったらボクと、これからお茶でも飲みませんか』だって。
 使い古されて軽くなってしまった言葉を、男は決められた台詞のように言った。
 それにしてもヨシ子の顔を見たときの、あの表情は一体……。今度はなんだか気の毒になってきた。
 男は一瞬ひるんだが、呼び止めた手前、引っ込みがつかなくなったのだろう。どこかのマニュアル店員のように決まり文句を並べるよりしかたなかったのだ。
 まったく、あのときの自分の形相ときたら、普通にしていてもオバサン顔なのに。
 ヨシ子が足早に立ち去ったときは、正直ほっとしたのだろう。
 背中に届いた弱々しい声の中には、安堵の響きもあった。その証拠に、二度と声をかけてこなかったではないか。
 こうなってみると、少し惜しい気もしてきた。どうせあてもなく歩いていたのだし、デート商法なら引っ掛かったふりをするだけでもよかったのに。あり得ないことだけど、恋がめばえるチャンスだったかもしれないし。
 もう、映画を観る気はすっかり失せてしまった。今のできごとを誰かに話したくなる。 
 数人いるメル友の中から、同い年の小夜子を選んだ。彼女ならメールを開くのが遅いから、返事はすぐに寄こさないはずだ。今は一方的に話したいだけだ。
『小夜子、いま旅行中だよ。私ナンパされたの。すごいでしょ。梅田にて、ヨシ子』
 時計を見ると、四時少し前だった。
 ホテルに入るには早すぎる。歩き出したヨシ子は三番街の地下通路に小さく下がった看板に目を留めた。占いの館≠ニ書いてある。
 そこだけは周りの喧噪から取り残されたように、ひっそりとしている。
 ふっと入ってみる気になった。
「恋愛運を観て下さい」
 五十二才、独身を貫いてきたヨシ子だったが、今なら思い切って言えそうだ。

◇作品を読んで

 友人と出かけたが、はぐれてしまった。待ち合わせる場所に相手はなかなか現れない。五十代のヨシ子は苛立つなかで、思いがけないことに男に声を掛けられた。男が顔を見てどう思ったかはともかく、ヨシ子は少しだけ舞い上がる。私ってまんざら捨てたものでもないんだわ、という気持ちがうまく表現されている。
 この作品は、短い小説である。随筆にもなりそうな素材だが、もしそうであれば、自分の思いを主体にして書くことになり、小説になるか随筆になるかは、作者のエピソードに対する目の位置の違いということになる。
 しかし、小説と随筆は付かず離れずであり、いわゆる私小説などはどちらとも言えないものもある。要するに、書き手がどう考えて作品を構成したかである。