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  夏のしずく
                        佐々 氷月  
                                                                                     平成18年7月27日付け島根日日新聞掲載

 夏と、約束のない休日を愛してやまない。
 どこからか漂ってくる潮風。
 街中にはためく氷≠フ文字。
 庭先で、静かにたゆたう風鈴の音色。
 部屋の中で立ちのぼる蚊取り線香の煙。
 吊られた蚊帳の古くさい香り。
 切り分けられた、みずみずしいスイカの匂い。
 夏の匂いがするものは、いつだって、甘酸っぱい記憶と切なさを連れてくる。
 スイカが、果物ではなく野菜なのだと知ったのは十歳の夏だった。
 空っぽの胃袋を満たすのは食べ物だけではないと悟った私は、十三歳の夏の中にいた。心の裏庭にしまい込んだはずのあの頃の夢≠ェ、ゆるりゆるりと甦ってくる。

 思えば、三度の食事よりも、チョコレートよりも、男のコよりも、本を読むのが好きな少女だった。お気に入りは、赤川次郎氏の推理小説と星新一氏のショートショート。思いがけない結末とユーモアあふれる文体に、まんまと、やられてしまった。将来の夢は、大胆にも、作家!
 いつか、人の心を打つ作品を書きたい。そう、本気で思っていた。
『作家になりたければ、出来るだけいろんなジャンルの本を、たくさん読むことだ』
 人気作家、赤川次郎氏の一言は、まさに、鶴の一声。素敵な活字中毒患者は、こうして作られる。

 それからは、食わず嫌いを止めて、古典から科学・恋愛小説に至るまでひたすら読み耽る日々が続く。次第に、書かれた文字を読むだけでは物足らなくなった私は、ちょっとした小説や詩を、日常的に書き綴るようになったのだ。
 なかでも、星新一氏の傑作を真似た『一週間』という短編は、記念すべき作品である。タイトル通り、一週間で書き上げた。
 曜日ごとに違う妻の元へと帰る。そんなモテモテ男の月曜日から日曜日を描いた、一夫多妻の話だ。残念ながら、元の原稿は紛失してしまったが内容が内容なだけに、しっかりと覚えている。平凡で幸せな結婚生活を営む両親には、とても見せられなかった。見せてはイケナイ気がしたから。
 この男の日替わりワイフは、皆、デキる女ばかりである。月曜は美容師の妻、火曜は空き、水曜は調理師兼栄養士、木曜は通訳、金曜は専業主婦、土曜はモデル――嗚呼! 
 なんて贅沢な結婚生活!
 例えば、月曜日。
 男は、モダンな造りの高層マンション七階に帰宅する。
「あら、アナタ、しばらく見ないうちに随分と髪が伸びたじゃない!」
 出迎えた妻は、と言うや否や、ドレッサーの前に夫を座らせ、ハサミを取り出すと、慣れた手つきでカットを始めた……という具合。
 書いている途中、仏心が何度も顔を出した。身から出たサビとはいえ、余りにハードな毎日をこなす男がさすがに可哀相になってくる。
 日曜日は、安息日とし、隠れ家まで用意した。週に一度くらい、女の居ない空間でゆっくり休養してもらうためだった。我ながら、心優しき中学生だったと思う。
 話の終盤で、過労のため倒れた男は、入院先の病院で美しい看護婦と出会い、またもや、恋に落ちる。男のプロポーズの言葉はこうだ。
「火曜日しか空いてないけど、僕と結婚してくれないか?」

 詩や文章が生まれる瞬間は、恋に落ちる瞬間にひどく似ている。
 予告編がない。不意打ちで、言葉の神は舞い降りる。しかし、神は降りても紙がない。当時、我が家では、阿呆のような会話が繰り広げられていた。
「お願い! 今すぐ原稿用紙を買って来て!」
「……今、忙しいから、後でね」
「だからぁ、欲しいのは、今なんだってば」
「なぜ、今じゃないといけんのだ?」
「降りてきたからだよ、神が」 
「……(絶句)」
 車に乗りこむ父の背中を静かに見詰めていた。こんなにも純真でまっすぐな子供に、勝てる大人など存在するわけがない。
 いつのまにか、幾つもの夏が、足音も立てずに通りすぎて行った。

 休日の昼下がり。うたた寝から覚めた、
 少女ではない私が湯船に浸かりながら読書に耽っている。あんな夢を見たのは、きっと、新しく変えたシャンプーと石鹸の香りのせいだ。頭のてっぺんから爪先まで、スイカの甘酸っぱい匂いが漂う。
 突然、思い立った。
 近所のスーパーで、スイカを買って来よう。夏本番には、まだ早いから高いかもしれないけれど、そんなことはどうだっていい。欲しいと思った時に、欲しいものを買えるのが大人の特権。美味しいご飯を食べて食欲を満たした後は、スイカのカクテルをちびちびやりながら、暑い夜をやり過ごそう。
 今夜は、私にしか書けない小説を書くのだ。目を開けたまま見る夢は、いつになっても終わらない。私の青春は、まだまだ続く。 

◇作品を読んで

 作品の中に登場するスイカのように、みずみずしい文章である。冒頭の二段落目からの六行は、意図的な体言止めの連続である。更に、十歳の夏=A十三歳の夏の中≠ニいうような対比的にあしらわれた言葉が、文章を引き締めている。
 少女の頃に見た夏の夢、そして、うたた寝からふっと目覚めて気付いた大人の夏の日が、ゆったりとした時の流れを感じさせ、一編の物語のようにも思える。
 中学生の頃に、しかも文字通り一週間で書いたという短編『一週間』の発想が面白い。原稿は既に無いということだが、心優しい十三歳の少女ではなく、大人の女として、もう一度書いてみたらどうだろう。
 人間や動物、事柄などに好奇心があり、ほんの少しだけ表現する感性があれば、紡がれる小説は走り出し、新しい世界を構築する。