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  命を繋いだ愛犬コン
                        野津 ツルミ  
                                                                                     平成18年8月17日付け島根日日新聞掲載

 犬を飼おうと考えたのは、手術をする大病に見舞われたことが大きな原因だった。二〇〇一年八月のことである。
 手術後、「病気にならない健康的な生活は何か?」を模索した。中年を過ぎ、仕事中心の生活は、運動不足と肥満をもたらしていたからだ。食生活の改善、運動不足の解消、楽しいこと、興味のあることに挑戦し、気分転換を上手く生活の中に取り入れ、暮らし方を変えてみることに決めた。
 だが、難しいのは、運動の時間を毎日のように取ることである。世話をするのは大変かもしれないが、犬を飼う。その犬と一緒に、毎日の散歩をすることで、運動が自然に習慣化できるのではないかと考えた。
 ちょうどその頃、川本に勤務していた息子が、保健所から雑種の子犬を分けてもらうことになった。息子は、可愛い顔の雑種の柴犬を選んでくれた。いずれ処分される運命にあった犬だから、器量が命を救ったということになる。
 寒い頃であり、玄関の片隅に箱を置き、コンと名付けて飼い始めた。こうして命をなくしたかもしれない柴犬が我が家の一員になったのが、二〇〇二年二月のことだった。
 それからが大変だった。コンに振り回される生活が始まったのである。吠えるたびに、食べ物が欲しいのか、それとも散歩なのか考えねばならない。考えあぐねていると、要求が満たされるまで吠え続けた。子犬の時期に規則正しい生活習慣を身に付けさせ、躾をすることが必要だと知った。人間も動物も、躾の必要性は同じであり、息子達への躾の足りなかったことを、改めて反省させられたのである。
 暖かい季節になり、庭に造った犬小屋で飼うことにした。コンは成長するにつれ、運動不足のせいなのか、日に何回も散歩の要求をして吠えるようになった。コンは、常に家族の動向を目で追い、いち早く気配を察知する。散歩への要求パワーを全開にして、一気にテンションを上げ、忙しく動き回り、猛アピールを始める。格闘の日々が続く。あまりの喧しさに、散歩の準備だということを気付かれないよう息を凝らし抜き足差し足で近づくのだが、すぐ分かって、歓喜の雄叫びが始まり大興奮だ。
 こうしたカンだけは物凄いものがあり、命賭けてる……≠ニいう感じだ。とうとう、散歩命のコン≠ニ渾名がついてしまった。いつしか、「大将、今日散歩に出た?」が、家族の合言葉になった。犬様を大将にしては、始末が悪い。家族内の順位は、最下位なのだということを分からせる必要があった。そこで、ルールを決めた。
 夕食一回の食事は家族が済んでから、散歩は一日一回、時間は家族の都合を優先させ、コンのペースにならないようにした。空腹や食べ物の要求は殆ど無く、まるで、食べてあげてるといった風情である。
 保健所で処分されかかったとはいえ、食べ物に苦労がなかったのか、それとも多くを望まない動物の潔ぎ良さなのか、慎ましく、天命を生きる≠ニいうことを見習いたいところだ。
 しかし、散歩になると大違いだ。用事で私が出かけたり、雨降りで散歩に連れ出せなかった日は、食べ物には目もくれず、食べようともせず、「今日は、未だ散歩に行ってないよ」と言わんばかりのアピールで、まるでハンガーストライキをするが如しの有様である。
 コースは、防犯パトロールを兼ね、近くの小学校周辺にしているのだが、「可愛い〜いッ」、「触ってもいい?」と小学生に言われたり、「利口な犬だね」と知らない方に誉められたりすることもあった。「コンちゃんは、お利口だって……」と言えば振り返り、分かったような顔をしているのもおもしろい。
 犬と暮らしていると、表情や動きから心が見えてくるようになって、苦笑させられることがしばしばだった。散歩が済めば、落ち着いて満足した様子を見せるので、分かり易い性格ではある。散歩の要求で吠え続けていた頃は、倉庫に入れたりもしたが、やっと聞き分けも良くなり、最近は言葉のトーンで理解し、状況の判断も出来るようになった。「大きくなったなあ」と感心する。
 犬なりの成長と、試行錯誤でやってきた最小限の躾が身についてきたのかな? と思っている。それにしても、犬は応用が効かないので、決めた通りに繰り返し躾けることで、身につくようになるのではないかと思う。小さな子供の躾にも、共通することかもしれない。
 時を同じくして、近所の家でも犬を飼い始めた。庭に放された時は、道路を歩く人にひっきりなしに吠える。迷惑この上なしということになる。だが、そう言ってしまえば、罪のない? ワンちゃんが可哀相である。
 それはともかく、当初の期待どおりに、犬との散歩は運動不足解消の役割を十分に果たした。本来の役割でもある番犬やペットとして家族の癒しにもなり、心の安定にも一役買っている。
 子犬の頃の無駄吠え? に神経をすり減らす思いもしたが、成長と共に物分りも良くなり、家族の一員として期待以上の存在価値と重要な役割を果たしていることに気付く。
 生命の危機に直面し、危うく一命を繋ぎ止めたコンと私との不思議な縁を感じる。「この世の出来事というのは、全てにおいて意味のあることなのだろうか」と思わないでもないが、命≠ノ感謝し、元気で散歩や好きなことが長く続けられる幸せな余生を送りたいものである。

◇作品を読んで

 家族の一員やパートナーになる犬と出会えるのは、幸せなことである。よい友達になり、家族同様の存在になることが出来る。作者は大病をしたことから健康の大切さを知り、犬との散歩を思い付いた。しかし、折よく子犬が手に入ったものの、その日から格闘の日々≠ェ続く。
 タイトルにもあるように、愛犬コンと暮らしながら、お互いの命を繋いだ℃メ同士の連帯感が生まれる過程がよく描かれている。
 文学教室受講者作品集「青藍」は、今回で二百作となった。もちろん、背景には何十倍もの作品がある。美しい宝石も、最初は原石であり、磨くことよって輝きを増す。弛まない玉磨きによって、珠玉の作品が生まれ続けている。