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  松山文学旅行
                        遠山多華  
                                                                                     平成18年8月31日付け島根日日新聞掲載

 八月十二日、土曜日は朝から生憎の雨だった。文学から生まれる地域連携松山大会≠ノ参加する。
 出雲から三名、宍道から一名の四名が松江駅に向かった。いずれも、川柳の同人である。松江駅で、松江しんじ湖番傘川柳会≠竍川柳塔まつえ吟社≠ネど川柳の愛好家と合流した。主催者や添乗員を加えると四十名ばかりになり、貸し切りバスは満員になった。
 松江からは、私より一歳年下で九十四歳の女の方が、息子さん夫婦の助けを得て車椅子で参加されていた。円満家庭であろうと想像し、微笑ましかった。小学生の孫娘を連れて参加された方もあり、いずれも異色だと思った。バスの中は、明るい談笑が絶えず、和やかで睦まじい旅である。ほのぼのとした思いに浸った。
 瀬戸内に向かって走るうちに、いつしか晴れてきた。瀬戸中央自動車道から松山自動車道に入り、松山市の四国海産物センターで昼食を摂った。中心街は静かで椰子の木が繁り、南国の風情がある。新築らしい老人センターが目に入った。四国も福祉に恵まれている。そんな情景に目を惹かれるのも、齢のせいかもしれない。
 道後にある松山市立子規記念博物館を見学し、古くから四国は文学に関わりが深いことを知った。今年は、漱石の小説『坊っちゃん』が誕生して百年目にあたるという。
 時間の都合で、松山城は下から仰ぐ。この三月に出来たばかりの松山城行きロープウェー東雲口駅舎で川柳展示を見学し、表彰式に臨んだ。
 私の入選句は、次の四句である。
  縁結び御礼参りも忘れない
  寒牡丹亡夫の追慕が深くなる
  陽に映える甍の波の接続詞
  無防備な脚庇い合うギャル神輿
 交流会は国際ホテル松山≠ナあった。乾杯のビールにほろ酔い気分である。アトラクションは伊予万才、水軍太鼓、野球拳で盛り上がった。音痴で何の余技も持たない私は、ただ拍手を送るばかりである。
 道後温泉のホテル、ルナパーク≠ナ泊まる。松江の柳友と二人のツイン部屋だった。ベットは両手を横に伸ばしても十分な広さである。ゆっくりと休むことができた。
 翌朝、ホテルを出て、甲子園で高校野球を観戦する組と、武道館で行われていた高校の俳句大会を覗く二手に分かれた。私は、俳句の方にまわった。
 さすがに松山は俳句の街である。高校生の格調高い作品に驚いた。心に残った句は、次の九つである。
  沈黙の涼線涼し丸ポスト
  涼しさも運ぶ車掌の白いシャツ
  眼を閉じて涼しさ待てり正座かな
  蓮根の穴ポッカリと風涼し
  星より薄に届く着信音
  カタカナが平安調の花の下
  朝顔の種や地下鉄乗り換えず
  夕立の一粒源氏物語
  カナカナや柱時計の針のずれ
 帰りのバスでは窓から見る景色にも見飽きて、うつらうつらとしていたが、しだいに車内に暑さが籠もってきた。どうやら冷房の故障らしい。貰ってきた団扇の出番である。バタバタという音に、眠りも覚めてしまった。暫くして代替えのバスが到着してほっとした。
 あれやこれやの手違いで、松江に帰着したのは暗くなった午後八時を過ぎていた。しんじ湖温泉駅へ車を廻してもらい、五十分待ってやっと電車で川跡駅に着いた。
 旅装を解いて、風呂に入って寛ぐ。疲れなかったと言えば嘘になる。このあたりが、年貢の納め時かもしれない。

◇作品を読んで

 平成十一年五月、今治と尾道間、約六十キロの瀬戸内しまなみ海道≠ェ開通した。それを契機に、松江から高知を結ぶ高速道路計画沿線の松江、尾道、今治、松山、高知の五市が連携し、文学をキーワードに、各市が特徴的な事業を行うことで、都市間交流を盛んにしようという企画が始まった。作者が参加した「五市文学ルート・文学から生まれる地域連携」は、その一つである。
 作者は最高齢であったらしいが、車椅子で参加された一歳下で九十四歳の方、孫娘を連れた方など、それぞれが文学に興味を持って生き甲斐とされているようだ。
 松山の風景を背景に、いろいろな方の話を聞いて書かれたら、内容がより深まるのではないかと思う。
 小説『坊ちゃん』の発表は明治三十九年で、今年が百年目である。坊っちゃん≠ェ卒業した物理学校(現 東京理科大学)は明治十四年創立。坊っちゃんが生きていたら何歳になるのだろう。