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  うどん
                        天従 勝己  
                                                                                     平成18年9月7日付け島根日日新聞掲載

 高知へ帰省した。二年振りである。
 高速道路・高知道の南国インターを出た。室戸方面に向かい、約一時間ばかり走る。既に昼時を過ぎていた。
 カーナビが安芸市の国道五十五号線沿いにある国虎屋≠表示する。フランスにも支店を持つという有名な店だ。
 戦国時代、土佐に安芸国虎という豪族がいて、拠点とした場所が今の安芸市である。国虎屋≠フ名は、そこから取ったのだろう。
 看板が左手前方に見えた。
 店に入ると、土間に九寸、約三十センチ角の大黒柱が、どっしりと天井を支えていた。壁側には、八畳二間などの客間が続いている。そこには、厚さ十五センチ程もある原木で造られた食台が、平行に二卓並んでいた。一卓で八人ばかりが座ることのできる大きさだ。土間にも同じ厚さの食台がある。腰掛けは、全て丸太を輪切りにしたものだった。
おしながき≠ノ目を遣り、月見うどんを注文した。女店員が伝票を持って来て、私の前に裏返して置いた。薄赤い文字で、うどんについての話が書いてある。

 娘の嫁ぎ先の婿が家に来ることになった。夕食のもてなしの手料理をふるまった。最後に手打饂飩≠フ膳を下女が差し出した。婿は美味そうに食べながらこれは美味いぞ。ところで何という名かね?≠ニ下女に尋ねた。下女は、はい。小糸と申します≠ニ自分の名を聞かれたと勘違いして答えた。次の日、家に帰った婿は、礼状を義理の両親に出した。
――昨日のご馳走は美味かった。殊に、夜半の小糸の味は格別でした。もう一度、味わってみたいほどでした。――
 礼状を読んだ妻の里の父親は、けしからんと怒り、その次の日に娘を連れ戻したという逸話がある。それほど、饂飩は高級料理だったのである。
 
 二回、読み返したところで、「おまちどうさま!」と声がした。
 女店員が運んで来て、私の前に置いた。その器は、なんと直径が三十センチ近い、茶色のどんぶりばち≠セった。まるで、小さな洗面器を連想させられるような大きなものだった。
 竹筒に入った一味唐辛子を振りかけ、一気に平らげる。手打ちのせいで歯ごたえがよく、汁も一滴も残さず頂いた。どんぶりの底の真ん中には、浮き彫りの『虎』という字がはっきりと書かれていた。
 隣に座っていた先客二人は、汁を残して帰ってしまっていたので、虎の文字は見えなかった。
 私は外食時も、家でもご飯は一粒も残さず頂くようにしている。後片付けをする人にとっても、その方がよいはずである。
 店の大将も、空になったどんぶりの底にある虎の文字を見てくれたと思う。器は特注だということを客が分かってくれたのだと思ったのではないか。
 高知の方言に『いごっそう』というのがある。気骨がある者とか頑固者という意味で、土佐人の代表的な気性を表す言葉である。店の大将の『いごっそう』さを表しているなと思った。
 次の帰省時には、うどんと大将の気性を、もう一度味わってみたいものである。

◇作品を読んで

 作者の古里は高知と聞いている。そのせいか、書かれる作品によく登場する舞台が四国である。
 この作品には、里帰りの途中に出会った有名なうどん店国虎屋≠ナの出来事が書かれている。国虎屋はフランスにも店があり、経営者の息子さんがやっているという。そのせいか、作者が立ち寄った安芸市にある店は、赤い座布団が印象的で外国人受けしそうなインテリアで彩られている。
 作者は、メニューの裏にある話に気が付いた。それを読み、作品に使おうと考えたのではないだろうか。そうであれば、取材という目があったということになる。
 作品を数多く書き続けていると、自然にそういう姿勢が出てくるのではないかと思う。できれば、店の大将≠ニ話をし、それを聞かせて欲しかった。