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  騒 音
                        篠原 沙代  
                                                                                     平成18年9月14日付け島根日日新聞掲載

 我が家の近くに大学がある。
 毎日、夕方になると、部活動をする学生たちの声が聞こえてくる。管弦楽器の音も混ざっている。
 音楽好きの私は、楽器の音に耳が傾く。
 たいてい夕方五時に、金管楽器が『プァーッ』と鳴る。その度に、
「勉強は終った。さあ、部活の始まりだ」
 そうつぶやく。
 練習場所のある建物は、我が家から三百メートル位離れている。その間に、小さな森、並木、小川、道路、田畑がある。だが、建物がないせいか、音はしっかり聞こえる。
 休日や休暇中には、朝から、運動系の学生たちの声に混じって、楽器の音がする。
 毎年、夏休みの終わりに演奏会があるらしい。八月も末に近づくにつれて、練習時間が長くなる。夜も鳴り響く。蛙の合唱に代わって、虫の音があたりを埋めつくす頃、その虫の音の隙間から、管弦楽器の音が聞こえる。
 夜の十一時を過ぎてもやっている。
「頑張ってるわねぇ」
 風呂に入りながら聴き入る。おそらく音楽の専門家にはならない学生たちの、青春の一瞬を応援している私なのだ。
 音は楽器の種類によって、遠くへの響き方が違う。コンサートホールで聴くようには聞こえないこともある。金管楽器が響く。木管や弦の音は、金管の麓で鳴っている。全体練習をしているだろうに、バランスの良いハーモニーではない。地の底から打楽器の音がする。
「夜遅くまで鳴らして、近所迷惑だ!」
 突如、そう言う者がいた。「ハッ」とする。思いもかけない言葉だった。
 そうか……。好きな者にはうるさいと感じない音でも、興味のない者にとっては騒音なのか。家の中で、会話をしたりテレビをつけていたらほとんど聞こえなくても、嫌な者には煩わしい音なのだ。
 そこで考えた。
 来る来ないは別として、大学周辺住民を、演奏会に招待すれば良いではないか。失礼ながら、チケットは義理で買う人がほとんどだろう。客席が満杯になることも想像できない。学生オーケストラのコンサートは、演奏する学生にとって有意義なイベントなのだ。
 郵便受けに、コンサートの招待状を入れるのも良いだろう。いくらなんでも安売りのしすぎか。来場者人数の予想を立てるためにも、引換券をポスティングして、招待チケットと交換する方法もある。
 いつも練習音を聞かされている人たちが、「本番演奏を聴いてみよう」という気になれば、応援気分で日々の音を聞くはずだ。
 騒音がそうでなくなるのは、聞く人の心の持ちようではないか。
 オーケストラ音を、騒音と感じて欲しくない私の願いである。

◇作品を読んで

 騒音とは、その人にとって望ましくない音である。書かれているように音楽も時として生活を妨害したり、人に苦痛をもたらすものとなる。本来、静けさというものは、人の心を安定させるものとなっているからだ。
 大学から流れる音楽演奏を心地よく聴いていた作者は、近所迷惑だという声にはっとして気付いた。音楽が好きな人ばかりではないのだと。そこで解決策はないかと考え、面白いアイディアに行き当たる。だが、それにしてもと、また作者は気持ちの持ちようでどうにでもなりそうだと考える。その辺りの思いが、うまく書けている。
 自然界で起こる音や街中のざわめきを含めて、作者は地域の音環境を音の風景として、暮らしの中に取り込もうと考えたのである。