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  花と生きる
                        天従 勝己
                  OTenjuu Katsumi 
                                                                                     平成18年11月23付け 島根日日新聞掲載

 今年も幸運なことに、土佐寒蘭の花が二鉢咲いた。
 一鉢は昨秋、六年振りに咲いたもので、もう一鉢は、今年の初夏、高知へ里帰りした時に土産として買ってきたものである。
 花を観ながら、故郷高知のこと、母の容態、姉や兄の病状の回復具合を心配しながら思い浮かべる。花を眺める時間的な余裕からなのか、家族のことを含めてふる里を思う幸福感も味わう。
 土佐寒蘭は、亡父が生前、三十鉢ほど集めていた。
 春に咲く花は、あでやかな色彩で人の目を惹くように競い合う。だが、秋の花は色合いが地味である。
 私は一年草よりも蘭系のほうが年中、葉の形状が楽しめるので好きである。特に、日本刀のように反っているシンビジュームの葉が好きである。
 出雲の亡き養父は元気だった頃、冬期になると廊下の日溜まりに置いて管理をしていた。
 私も育て始めてからもう九年ほどになるが、二十鉢を持つようになった。水やり、施肥、そして植え替えなどの仕事は年中欠かせない。時間をかけることと花に注ぐ愛情の気持ちが必要だ。 
 そうやって一年経つと、それに応えてくれるように、晩秋には花芽を出してくれる。根っ子の部分から小さな花芽がちょっと出たのを見付けた時は、内心(やったあ)という感じで、非常に嬉しい。
 観葉植物でも、室内に置いたままにしたりして無視すると、つまり、手抜きをすると葉が萎れたり枯れたり、花が咲かなかったりするのだと、かつて耳にしたことを覚えている。
 日常の暮らしにしても同じである。気は心というように、人と話をしていても、仕事で話を聞いていても、相手の話し方、接し方によって、その人の自分に対する気持ちが少しは分かるような気がする。
「春秋に富むおとこ」と、中学生の頃、同級生の女子生徒に言われたことを今でも記憶の片隅へ微かに留めている。
 彼女は今でも地元に住んでいるらしい。卒業してもう四十六年になるが、一度も会ったことがない。
 その頃、気候が穏やかな春や秋の日には浜辺に出て、砂浜に残された伝馬船に腰掛け、何も考えることなく遙かな水平線を日がな一日眺めていた。一時間、いや二時間も、静かな浜辺で波音を耳にしながら遠くを見つめていた。そういう時を過ごすのが好きだった。
 青い海とはいうが、太平洋のそれはオーシャンブルーである。南国土佐の空は、スカイブルーだ。空と海の境目を左から右に追っていくと、両端が僅かに下がっているように感じられる。
 出雲に住み始めた頃は、高知から広島、大田市経由で往復していた。中国山脈の谷沿いの曲線道路を二時間ばかり走ると日本海側に出る。九号線の田儀駅辺りで、車窓から左手に日本海が視野に入る。この水平線も同じで、僅かに両端が中央よりは下がって見えるのである。
 年々歳々花相似たりという諺がある。悠久に続く風景も同じだろうが、たとえば桜の花は、毎年のように綺麗に咲くのだが、人は年ごとに変わってゆく。自然の定めである。人間誰しも、それに抗することは出来ない。
 還暦二年生の私は、四季に喩えれば秋のような気がする。実りの秋である。来るべき冬に備えて日々を大切にし、心身を鍛えておかねばならないと思う。
 土佐寒蘭の花がその時季には間違いなく咲くように、それぞれの季節も巡り来る。寒蘭に負けず、訪れる四季を迎えながら花と一緒に生き続けていきたいと思う。

◇作品を読んで

文豪谷崎は、「まず言葉があって、然る後にその言葉に当て嵌るように思想を纏める、言葉の力で思想が引き出される」と、その著『文章読本』に書いている。
 作品を書く場合に頭の中ていくら考えていても先へは進まないことがある。まずは原稿用紙に向かって、ペンを置いてみることではないだろうか。第一行に何かの文字を書いてみる。その文字が次のそれを生むかもしれない。
 作者の故郷は高知である。年に何度かの帰省があるようで、その都度、何かのキーワードを持って帰る。この欄に載せた前作品は、高知の有名な「うどん」についてであった。いつも書こうという意識を持っている作者は、常にそういう目で物事を見ているようである。