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  嘆き壷「それがどうしたのさ」
                        曽田依世                   
                                                                                   平成19年1月18日付け 島根日日新聞掲載

 嘆き壷を持っています。嘆き壷という名前は自分で付けました。嫌なことや困ったことが起こったときに、嘆き壷の口に向かって話しかけるのです。
「それがどうしたのさ……」
 話しかけは、こう始めます。すると、気持ちが和らいできます。さっきまでイライラしていた自分自身が凪いでくるのです。私の脳みそは、どんな仕組みになっているのでしょうか。きっと、単色でしかないのだろうと呆れます。
 嘆き壷を持つまでは、単色を人にぶつけていました。どうでもよいようなことを、率直に言っては失敗ばかりでした。失敗は成功の素、と誰かが教えてくれたのは遥か昔のことです。私は成功に結びつけようとあれこれ言い訳をしました。でも言葉は、いったん口に出すと一人歩きするのです。この歳になってようやく分かってきたことです。
 そこで、嘆き壷を作ったのです。嘆き壷に吐き出した言葉は、封印してしまいます。

 名刺を拾いました。誰が置き忘れのでしょうか。あるところの電話の横に、はらりと置いてありました。電話をかけた人が置き忘れたのだろうか。最初、そう思案しました。このまま放置したほうがよいだろうと、そのままにしておきました。そのうち、忘れてしまったのです。
 一ヶ月が経ちました。名刺はそのまま、電話の側から動いていませんでした。迷子の名刺ではなくて、捨て子の名刺だったと思いました。名刺は新しいままなのです。なぜなら名刺の角が擦れていなかったからです。一ヶ月間、誰も興味を持たないで、名刺に触れなかった証拠でしょう。
「捨て子の名刺は、根性太いなあ」
 私は呟きました。
「風が吹いても吹き飛ばされもせず居座って、でも誰も相手をしてくれない」
 名刺に書かれた名前の人の、性分を思いました。実は、名刺に印刷された名前の人を知っているのです。女性です。肩書きが三つあり、全ての職業が曖昧なのです。一番目はソーシャルアドバイザー、次は安来市のある派遣会社の、大層な役職が書かれています。最後の三番目はライターでした。それぞれに良い匂いをさせていた時もありましたが、本当は胡散臭かったのです。
 横文字の職業を名刺に印刷する女性は、したたかで、自尊心の強い人が多いのです。全てがそうだとは言いませんが、私は経験上そう思っています。
 名刺の女性は、路子さんといいます。
 これから、路子さんの風の噂を、嘆き壺に吐き出そうと思います。

「それがどうしたのさ」
 路子さんは、ごく普通の家庭婦人です。それなのに、名刺を作っては、人に配るのが好きなのです。誰にでも配っています。下手な鉄砲も数打てば当たる感覚なのでしょう。
 路子さんが勤めている会社の趣味の会が、茶会を開きました。路子さんが取り仕切り、全ての手配や段取りをしました。
 安来市にある会社ですから和菓子で有名な松江市に近いのです。ところが、菓子は松江から買わないで、中国から取り寄せました。西王母≠ナす。中国の西王母という長命の仙女が、三千年に一度実を結ぶ桃を漢の武帝に献上したという中国の伝説に由来する菓子なのです。
 常識から言えば地元の銘菓を手配して会席に使うべきでしょう。地元の菓子なら話の華も咲き、弾みがつくからです。
 路子さんは、西王母≠フ自慢をしました。菓子に関わる自分の人脈をひけらかしました。路子さんは、まるで(私が西王母です)とでも言いたげでした。
 正客さんはもちろん、集まったのは名だたる文化人でした。ですが、路子さんの茶会を誰も褒めませんでした。なぜなら路子さんのもてなしが悪かったからなのです。茶室の設えも、もてなし方も失敗でした。菓子の由来を話すべきなのに、路子さんは自慢話をしたからです。
 私は路子さんに、言葉をかけようかと一瞬思いましたが、黙っていました。茶道を嗜み、知識の豊かな方々の前で何かを言えば、こちらが損をするというのは間違いなかったからです。いっときは、路子さんに嫉妬した時期もありましたが、今ではその対象にもなりません。
 茶道の世界に限らず、所作で優劣をつける世界、それはたとえば剣道であったり、書道であったりと……。この世の中は、歴史を持った嗜みが沢山あります。優劣という言葉は適切でないかもしれません。資質の好みと言うべきなのでしょうか。
 路子さんは、宝飾品で体中を覆っています。この間も版画で有名な平塚運一氏の版画を買いましたが、飾るスペースが無いので箱のまま箪笥の横の隙間に押し込んでいるのです。買ったとは言わないで、クリスマスプレゼントに貰ったと言いふらしかねません。

 こんなことを壷に向かって呟き、更に「嘆き壷さん、壷の中身がもしも一杯になったとしたら、次はどの壷を使ったらよいのですか」と言いましたが、返事はありませんでした。もともと、嘆き壷は返事をしませんから……。

◇作品を読んで

 作者は、この作品で普段から自分が思っていることを何かの形に変えて訴えたいと思った。ここで語られている嘆き壺≠ヘもとより、路子さんの話も全て架空のことのようだ。
 西王母とは、中国で古くから信仰されている女仙であり、姓は楊、名は回で、九霊太妙亀山金母、太霊九光亀台金母、瑶池金母などとも言われている。
 茶道で使われる菓子にその名が付けられた西王母を出し、更に嘆き壺を登場させ、そこに思いを吐き出すことにしたが、どうやら壺は返事をしなかった。ともあれ、発想が面白い。
 人間誰しも悩みがあり、何とかそれを克服したいと思っている。作者は、それを書くことで昇華しようとしている。書くことの一つの意味だろう。