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  神在月の扉
                        浅田実香里                   
                                                                                   平成19年2月1日付け 島根日日新聞掲載

 一年前の正月のことである。干支三周年記念なのか、幼稚園から中学校まで同じ時間を過ごした仲間との同窓会があった。
 私は結婚八年目の人妻。子どもは、いない。同窓会の知らせを聞いたとき、出席することをためらった。同級生の殆どは結婚して子どもがいるので、話が噛み合わないと思ったからだ。結婚しているが子どもはいないというと、相手が遠慮という距離を持つのに、ほとほと疲れてきた。
「……いや、待てよ」
 危機はチャンスともいえる。チャンスは転機を迎えることもある。何が危機なのかというと、私の仕事が、だ。同窓会で仕事に繋がるチャンスを掴むことができるかもしれない。
 ホームページ制作の仕事に就いて六年、フリーになって四年が過ぎた。近い将来、制作業者から請け負っていた仕事がなくなり、自分自身で営業をしていかなければならなくなることは薄々感じていたので焦りがあった。ちょうどその時に届いた同窓会への招待状。
「幸運の女神は前髪しかない」
 幸運の機会を、女神の前髪に例えてある。チャンスは訪れた時に掴まなければ、二度と巡ってこないという意味である。幹事さんに出席のメールを送る。ためらっている時間はない。
 同窓会には特別ゲストとして、小学校の時に担任だった先生が招かれていた。私たちと同級生ではないかと思うほどに眩く綺麗だった。私は、女神の前髪を掴んだのだ。
 出雲の、ある和菓子の老舗を先生に紹介して頂き、ホームページ制作を任せて頂くことになった。出雲大社とご縁の深い、まんぢうの製造、販売店だ。創業は明治三十一年。今から百年以上も前から商売を営まれている。
 まんぢうは、大国主命の御神徳にあやかろうと俵を型取った滋養豊富、風味高雅なお菓子である。古くから出雲の神々のご縁担ぎに一役かってこられた老舗の仕事をさせて頂けることは、私にとって大変光栄だった。肩書きもなく会社にも属さない私を信頼して頂き、嬉しかった。これも、再会という恩師とのご縁≠ノ恵まれたからである。
 老舗の専務さんに、まんぢうへの想いを尋ねた。
「地元のお客さんはもちろんのこと、出雲大社さんへ参拝された人々が出雲の土産として当店で作ったまんぢうを買ってくださり、喜んで食べてもらえたらそれでいいんです。まんぢうを通して出雲や出雲大社さんのPRになれば、さらに嬉しいですね」
 ただ利益を求めるのではなく、出雲と出雲銘菓であるまんぢう作りに誇りと情熱を持った経営者の言葉として、私の心に響いた。
「私は自分の仕事に誇りを持っているだろうか。単なるお金儲けになっていないだろうか」
 背筋にピリリと喝が入った。
 出雲大社にて神迎祭が行われた日、参拝の帰りにご縁まんぢうを求めて店に立ち寄った。
 神在祭の参拝後、実家にある仕事部屋に戻りパソコンに向かって仕事をする。合間にまんぢうを少しずつ爪楊枝にとり、口に運んだ。一口一口を丁寧に味わう。口溶けの良い白あんは甘すぎず、ふんわりとしたカステラはとてもまろやかだ。ご縁が、頭のてっぺんからつま先まで行き渡るようだった。
 悲しくもないのに涙が頬を伝わる。途方に暮れかかっていた心の内を、まんぢうに見透かされたようで恥ずかしくなった。
 ちっぽけな私だがホームページ制作を通して、人のお役に立てることがあるかもしれない。ホームページを作ることにより、情報量が少なく不便な田舎でも無限の可能性が広がることに気づき、希望が湧き出た頃を思い出した。沈んでいた仕事への意欲が蘇る。
 窓を開け、夜空を眺める。参拝しているときに降っていた小雨は止んでいた。私の雨降り心もすっきりとし、星の輝きが見えてきた。夜空の向こうに、私に与えられた役割の扉≠思い浮かべる。
「きっと、何かがあるはずだ」
 干支四周目に入った戌は、頭を低く下げ目を剥き、後ろ足で土を勢いよく蹴る。神在月の夜空のもと、戌はまんぢうを口一杯に頬張り役割の扉≠開ける鍵を求め、歩むことを決めた。

◇作品を読んで

 ホームページ制作の仕事をしている人をウエブデザイナー、クリエーターなどと呼ぶ。この近年、急激に伸びてきた業種で、それだけに、必要な経験や能力、技能は日々進化している。ということは、単に小手先の技術というものばかりでなく、ウェブデザインやデジタルデザイン、グラフィックアプリケーションに対する総合的、専門的な能力が問われるはずだ。
 作者は自分の仕事について危機感を持ち始めていたところ、同窓会で仕事先を紹介され、地元企業のウエブを担当することになった。その喜びと希望、また自分の歩みを振り返ってみようとしたことを書こうとした作品である。