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  おばあちゃん、百歳おめでとう

                        篠原紗代                   
                                                                                   平成19年3月1日付け 島根日日新聞掲載

 祖母は二〇〇七年の今年、二月で満百歳になった。五十六歳の兄が祖母の初孫で、当たり前のことだが、五十六年間おばあちゃん≠ネのだ。もちろん、祖父の妻であったし、母の母でもあるが、孫がいるということで、社会的にはおばあちゃん≠ネのである。人生の半分以上をおばあちゃん≠ニしてすごしてきた。
 祖母は祖父とともに、長い間、松江に住んでいた。
 親の都合で、兄弟のうち私だけが祖父母に預けられたことがある。一か月か半年であったか忘れたが、しばらくの間だった。幼稚園へ行く前のことである。
 毎朝、祖母とパンを買いに行くのが日課になっていた。五十年も前の松江の駅裏は淋しく、中心部なのに土の道だった。木造の小学校もあった。ほんの三百メートルくらいの距離を、遠い遠いパン屋さんだと思った。今でもパンを焼く匂いを嗅ぐと、祖母に手を引かれて歩いた当時の景色が蘇る。
 私が高校生のころ、祖父母の家に泊まりに行ったときのことである。祖父の机で勉強をしている最中、インク壷をひっくり返した。机から私のベージュのスカート、畳までがネイビーブルーに染まった。
 祖父は外出中だった。祖母が飛んできて、呆然としている私を尻目に、さっさと始末をしてくれた。すぐに拭いたので、どこにも青い色は残らなかった。机はきれいになり、服や畳も、気をつけないと分からない程度の滲みしかない。
「おじいさんには内緒ね」
 祖母に言われて、びっくりした。きちんと謝ろうと思っていたのに、誤魔化すみたいで後ろめたい。わざとやったことではないし、祖父の家を汚したことは事実なのだ。謝るのが当然だろう。
 祖父は、怖い人ではなかったが、几帳面さは筋金入りだった。私が片付けた布団の入れ方が気に入らず、押入れから引っ張り出して入れ直した。だが、叱りはしなかった。優しく言うのだ。
「紗代ちゃん、こうやってしまうんだよ」
 布団の角がきちんと揃っていて、前面もでこぼこがなく見た目に美しい。
 食事をしていて、皿にソースをたっぷり残してしまったことがある。ニカッと笑って私に言った。
「そのお皿は、舐めてきれいにしなさい」
「おじいさん、変な躾をしないでください」
 祖母がたしなめた。
 インク事件は、細かいことが気になる祖父だから、気がつかないなら知らせずにいたい祖母の配慮なのだろう。祖父には黙っていた。

 私は、結婚後、東京に住んでいたことがある。祖父に死なれた祖母も、叔父の居る東京に出てきていた。すでに、七十歳を超えていた。
 中野にある私の住まいへ遊びに来たことがある。叔父と一緒にやって来て、祖母だけが残った。品川まで独りで帰るという。私の家は地下鉄丸の内線沿線だったので、山手線に乗り換える新宿まで送って行った。
 ホームは人で溢れかえっていた。続けざまに何本も電車が入ってくるのに、どれも満員である。電車が来た。多くの人が降りたので空席はできたが、乗る人も多い。身体の大きな若い人たちに挟まれながらも、祖母はなんとか乗った。新宿から品川までだから、山手線の半周である。座れたら楽だが、動作の遅い年寄りでは無理だろう。
 案の定、席はすぐに埋まってしまい、ホームを向いて立った祖母の前の座席は、十センチほどの隙間しかなかった。背の低い祖母は、つり革につかまるのも大変だ。転ばなければ良いがと心配した。すると祖母は、くるっと向きを変えて背中を見せ、お尻を左右に振りながら、わずかな隙間に座ろうとした。両脇の人は、自分の上に座られたら困るからだろうか、詰めて、隙間を広げてくれた。
 見ていた私は唖然としてしまった。
「おばあちゃん、しっかり都会人になってる。東京でもちゃんと暮していけるわ」
 座席に着いた祖母は半身を翻して、ホームにいる私に手を振った。既に扉が閉まり、動きだしている電車に向かって、私も手を振った。

 以来、祖母とは会っていないが、写真や手紙、電話のやり取りをしている。毎年、敬老の日が近づくと、心ばかりの贈り物をしてきた。喜んでくれるのは何か、と思案するのが楽しい。
 百歳の今年、誕生日にプレゼントをした。祖母はピンク色が大好きである。手編みの得意な私は、奇抜にならないよう、落ち着いたベージュピンクの毛糸でマントを編んだ。寒いときに気軽に羽織ってくれれば嬉しい。
 祖母はいま、茨城に住んでいる。足腰が弱って杖を必要とするが、頭は冴えたままだ。電話で聞く声には張りがある。
 おばあちゃん、元気な百歳おめでとう。 

◇作品を読んで

 若かった頃の祖母、百歳の祖母の姿が生き生きと描かれ、おばあちゃんに寄せる作者の優しい思いが目に見えるようだ。インク壷事件、電車の座席への割り込み、作者の作った贈り物などにまつわるエピソードが、それを助け、さりげなく入れ込まれた短い会話文も、全体にめりはりを持たせている。
 小説のように、かっちりとした構成がさほど求められていない随筆は、気楽に力を抜き、日常から題材を拾い出して書けばよい。作者は、そのことをよく承知しているようである。
 だから、祖母の百歳という年齢に視点を当て、それを巡る思いを楽しみながら綴ることができるのであろう。