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  兎の目がなんだ
                        大田静間                   
                                                                                   平成19年3月29日付け 島根日日新聞掲載

 文学教室に通い始めて三年が過ぎる。書く技術を教わるのだが、文章にしてこれを試す題材が見つからない。
 季節の移ろいを実感すれば、糸口が掴めるやもしれないと、菜の花を嗅いでみても、春の息吹きの感動につながらない。テレビからヒントを得ようと、朝ドラを鑑賞するのだが、楽しい時が過ぎるだけで、後に何も残らない。
 私の脳はフィルターの目が粗いのか、みな素通りして、なにも捕獲してくれないのである。
 この間のことである。図書館でテーマ探しに関する書物を見つけた。日記をつける習慣が最短距離だとある。理屈では分かるのだが……。

 油断していたというより、を括っていた。
 昨年の暮、杉花粉の飛散予報が幾度となくテレビで放映された。前年対比で減少することをグラフで説明していたので、分かり易かった。
 私は数値で示されると、訳もなく信じてしまうところがある。すっかり警戒心が薄らぎ、明るい気持ちで年を越すことができた。
 今年は暖冬のせいか、例年より早く、二月半ばに春一番が吹き荒れた。この風が、杉の花粉を撒き散らしたのだろう。途端に、私の目は兎のそれに変わった。
 おまけに今年は、これまで少々の刺激ではびくともしなかった鼻腔がムズムズとし、くしゃみを連発するようになった。
 何のことはない。目と鼻がセットになった本格派の花粉症にかかったのだ。考えてみれば、安心するのが早かった。目の痒みにしろ、鼻のムズムズにしろ、花粉の量の問題ではないのだ。花粉が一粒でも十粒でも、痒いものは痒いのだ。
 確かに、テレビは花粉の飛散は減ると説明はしていたが、花粉症の人に朗報だとは言っていなかったようだ。
 二十年前、近所で不幸があり通夜に行ったことがある。その席で猛烈な目の痒みに襲われ、視界が霞むほどごしごしとやった。挙げ句、目に異物が入ったような違和感が残った。帰って、鏡に向かい腰を抜かした。
 白目の表面に分厚い皺ができ、下瞼をめくると眼球が茶色に濁り、ゼリー状にぶよぶよしていた。失明すると思った。妻に覚悟を求めた。
 まんじりともせず夜を過ごした翌朝、眼科を訪ねた。医師はいとも簡単に、花粉症の診断を下した。この年を境に、毎年辛い春を過ごすようになる。

 性懲りもなく、新年からまた日記をつけることにした。今年、古稀を迎えるが、過去何十回となく同じことを繰り返し、一度も続いた試しがない。成功の確率が限りなくゼロに近いのを承知していながら、また始めてみようかと思う気持ちが我ながらいじらしい。
 参加している文学教室で、日記の話が出た。聞いてみると、いずれも継続経歴のある人たちばかりである。私は恥ずかしさを隠し、日記を続ける秘訣について、教えを乞うた。
 沢山の助言をもらった中で、書くべきテーマを決め、そのことを一行でも残すというのがあった。大納得である。花粉症だ――と閃き、体調の記録に決めた。
 いつもそうであるが、不具合を感じ、医者を訪ね、兆候のあった時期を聞かれて即答できたことがない。日記にそのことを書いておけば、これから先、問診には明確に答えることができる。
 日記を書き始めて、既に三月に末である。過ぎた日をめくってみると、半月以上も目と鼻の記述が続いている。過去の日記継続記録が、三か月弱であるから、このまま花粉が飛散しているかぎり、記録更新は間違いない。幸い、花粉症を放置して、手遅れになった話は聞かない。
 既に古稀、最後の挑戦である。
 兎の目がなんだ。鼻が詰まるくらい我慢すればいい。

◇作品を読んで

 三日坊主という言葉通り、日記の継続は古くて新しい問題である。殆どの人が、一度は突き当たることではないか。
 気持ちがうまく書かれたこの作品を頷きながら読まれた方も多かろう。
 作者は、とりあえず体調の記録を主にしようと考えた。書かれているように、テーマをもって書き始めた。別の見方をすれば、形式ということになる。例えば、定点観測ではないが、窓から見える山々の、あるいは雲のようす、天候を書くのも一つの方法であり、それはそれで継続すれば大変な記録になる。つまりは、その人の日記の個性であり、生きた証でもある。
 作者からは、書くことを止めたとまだ聞いていない。どうやら続けられているようだ。
 ――と書くとプレッシャーになって、止められなくなるかもしれない。