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  桜相撲に光と影を見た
                           出海 広敏                   
                                                                                   平成19年5月17日・24日付け 島根日日新聞掲載

 桜相撲≠ヘ、鳥取県倉吉市の恒例行事の一つで、正しくは、桜杯争奪相撲選手権大会≠ニいう。
 佐渡ヶ嶽部屋の先代親方である元横綱『琴櫻』関が倉吉市出身で、その縁から途切れることなく続き、今年で二十九回目を数える相撲大会である。
 有名な『琴欧洲』関が去年に続いて倉吉に来るというので、一度間近で本人を見たくなり、ボクと妹、弟の三人で、見物に出掛けた。
 四月二十八日、二十九日にわたって催されたこのイベントはとても印象深く、色々なことを考えさせられる二日間となった。
 打吹天女伝説で有名な打吹公園に近い会場の野外相撲広場は満員御礼で、狭い敷地内に千五百人もの観衆が集まっていた。
 会場のすぐ下にある陸上競技場では、市内の小学校対抗陸上競技大会があり、普段ならあり得ないほどの車でごった返していた。仕方なく近場の駐車場を走り回って空きがないかと探し回った。
 漸くの思いで車を止め、公園の散歩道をゆっくりと歩きながら、椿ヶ平と倉吉博物館を横目に相撲広場へ向かった。距離としては大回りになったが、逸る気持ちを静めるには十分だった。
 公園内のちょっとしたアニマルパークに立ち寄り、猿山に遊ぶ猿や鹿の寛ぐ姿、ミニブタや山羊の檻を見て回った。幼い頃の懐かしさが不意に甦り、心が弾んだ。
 打吹山の麓にある相撲広場は、既に黒山の人だかりが出来ていた。
 土の階段を上がったその先には、『桜相撲』と書かれた看板のある大きな正門が建てられ、沢山の人々がその下をくぐって客席を目指している。
 登山道側と陸上競技場側には、食べ物や相撲グッズを扱った複数の屋台が並ぶ。南の空の頂きに太陽がたどり着く頃合いで、小腹が空いていたものの、まずは席を確保する必要があると思った。ボクらは観客席へ急いだ。
座る場所を見つけてホッと胸をなで下ろし、土俵へ目をやると小学生の部はいよいよ大詰めで、個人決勝戦の真っ最中であった。白熱する大一番に思わず息を殺した。
 チビッコ力士達が力の限り闘う姿を誰もが固唾を呑んで見守った。勝敗を分ける最後の一手が決まると同時に、木々の葉が揺れると思えるほどの拍手がわき起こった。
 彼らの戦いはこれからである。桜相撲は、後日、両国国技館で開かれるわんぱく相撲全国大会鳥取県予選」を兼ねているのだ。
 惜しくも勝ちを逃した子供達には、その健闘を称えよう。見事全国への切符を手にした子供達にはさらなる活躍を期待したいと思う。
 決勝戦が終わった直後、場内アナウンスの声が響いた。
「場内の皆様にお知らせします。午後のぶつかり稽古は、予定通り一時三十分より行います。繰り返しお知らせいたします……」
待ってましたとばかりに、東西の客席が俄に慌ただしくなった。
 ボク達もそうだが、観客の多くは佐渡ヶ嶽部屋力士とチビッコ力士達によるぶつかり稽古を目当てに集まっているからだ。
 一緒に来た二人は開始時間まで余裕があるため、昼食を摂りに公園内の喫茶店へ移動した。ボクは席を人に取られたくなかったので、会場にとどまった。
 どのくらい経っただろうか。不意に誰かがボソリと呟く声が聞こえた。
「あれぇ、琴欧洲でないかぁ……?」
 期せずして発せられた一言に皆が辺りを見渡す。ボクも目で追いながら探した。
「ほんにだぁ、おんなるがな」
 別の方からも声が聞こえた。ボクは焦った。
 近眼の自分に苛立ちもしたが、周囲に遅れること数秒、何とかその姿を視界に捉えることができた。
琴欧洲関は、関係者用のテント内にいた。関脇に昇進したばかりの琴奨菊関や、現佐渡ヶ嶽部屋親方の姿もある。当然ながら、遠目から見てもその大きさが十分に伝わってきた。
「本物だがなぁ……」
どうしようもない感動が沸き上がり、携帯電話に手を伸ばした。
 昼食に行った二人に一刻も早く知らせようと思った。
「どこおっだいや。琴欧洲――来とるぞ」
「わかっとる。もうすぐ着くわ」
 せわしない兄貴と対照的に、弟のほうは普段通り落ち着き払っていた。
 観衆が期待に胸膨らます土俵上で、いよいよ子供達と佐渡ヶ嶽部屋力士によるぶつかり稽古が始まった。五人一組で関取の前に横並びで整列し、一礼して双方が仕切りに入る。親方の一声で、一斉に子供たちは関取に向かっていった。
 みなが歓声を上げた。琴欧洲関が片手で子供達の回しを掴んで持ち上げては土俵の外へ運ぶ。
「おおーっ!」
 感嘆の声が沸き起こった。ケータイのカメラやデジカメのシャッターを切る音は鳴りやまない。客席の興奮は延々一時間半かけて続いた。
 稽古が終わって一息つく間もなく、琴欧洲関は地元テレビのインタビューに応じたり、握手や記念撮影を求める人達への対応に追われていた。
 イベントの終わるやいなや、迎えに来たバスの方へ他の関取共々、そそくさと去っていった。
 妹が、後ろ姿を目で追いながらボクに囁いた。
「なんか愉しくなさそうだった」
 思いがけない一言に、ボクは一瞬躊躇した。そんなことは微塵も感じなかったからだ。妹は稀に勘の鋭さを見せる。人の気持ちが感覚的に理解できてしまうらしいのだ。
「何で、そがにぃ思う?」
「だって、嫌々そうにしてるのが手に取るように分かったもん」
 桜相撲で琴欧洲関に会えると、一番楽しみにしていたのは妹である。落胆ぶりは相当酷かったが、よくよく考えてみると思い当たる節は確かにあった。
 一つは屋台だ。ぶつかり稽古を写そうと場所を移動していたところ、調理をしている人の真後ろで煙草をくゆらせる、店員の姿が目に入った。煙の臭いが食べ物に付いたらどうするんだろうと、ボクは首を傾げたくなった。
 もう一つは、ぶつかり稽古後の観衆の動きだ。ボク自身も大いに反省しているのだが、佐渡ヶ嶽部屋力士ご一行様≠乗せたバスが会場を去ったと同時に、まるで蜘蛛の子を散らしたように、次々と皆が帰ってしまったのだ。
 鳥取の県民性を表すものに、『煮えたら食わぁか』という言葉がある。
 ――鳥取人の遠慮深さは筋金入り。鍋を囲んで勧められても、『煮えたら食わぁ』と言って、誰かが手をつけるまで食べない! 用心深さもあるというが……。
 アクタスソリューション発行の『なるほど・ザ・県民性』という書籍にある一文である。耳が痛い。
 宴会の席で、乾杯の音頭の後、用意された料理になかなか手をつけない。「おい、食べんのか?」と、誰かにせかされるまで手をつけない。慎重というか、目立ったことをすると周囲から反発や批難が起きないかと常に気に掛けているため、何事にも消極的だ。まさに言い得て妙である。
 桜相撲もしかりだ。主催者側の努力、奮闘ぶりには目を見張るものがあった。
 前日の夜、市街地中心部のイベントスクエア『倉吉未来中心』特設ステージで開催された桜相撲前夜祭も、所々ぎこちなかったが、様々な創意工夫が見られて十分楽しめた。
 天女のコスチュームに身を包んだ四組の出場者が、それぞれのパフォーマンスを披露する天女コスプレコンテストの後、地元小学生による和太鼓の勇壮な演舞に合わせて、これまた地元のダンスサークルが華麗なブレイクダンスで魅了した。
 お目当ての力士達がステージ上に現れると、場内の空気は一気に歓迎モードになった。数名の小学生と倉吉の親善大使、『打吹天女』の女性によって花束が、親方や琴欧洲関、琴奨菊関に贈呈された。割れんばかりの拍手の後、相撲の東西に見立て、地元の園児達が二組に分かれての綱引き、最後は親方と関取達が紅白餅の餅撒きをされて幕を閉じた。 
 よくよく考えてみると、大いに疑問が残る。前夜祭において、目に見えて頑張っているように感じられるのは子供たち≠ナはなかったか? 
 コスプレコンテストに出た幼児や、綱引きをした園児達はそれぞれが一生懸命に頑張ってはいたが、イベントの主旨をきちんと理解した上で参加しているとは到底思えない。
 反対に、ボクを含めて、見物に来た大人達は単なる冷やかし≠ニ賑やかし≠ナその場に居合わせているにすぎず、用がなくなった途端にみんな帰っていった。
 つまるところ全部他人事なので、初めから距離を置いているようにも見受けられる。目新しい催し物があると一斉に集まるが、終わった途端に無関心になり、自分には無関係だからと散り散りになるのだ。
 前夜祭や桜相撲に限ったことではない。誰かが発案して新しい事を始めると便乗して持ち上げる素振りは見せるが、失敗や行き詰まりが生じた途端に、一変して「それ見たことか」と言わんばかりに手のひらを返し、批難に転じるのだ。
 この行事から、一抹の感慨を覚えたボクだけだろうか?

◇作品を読んで

 鳥取県の中央に位置する倉吉市は、街の中を流れる玉川沿いに残る、江戸や明治期に建てられた赤瓦の白壁土蔵群、シンボルになっている打吹山の公園などで有名である。
 倉吉にお住まいの作者は、往復四時間ほどをかけて島根日日新聞文学教室松江教室に来られるのだが、その熱心さには敬服するほかない。
 作品は、妹と弟の三人で桜相撲≠見に出かけたときのことが、ていねいに書かれている。地方ではめったに見ることない大相撲の関取、相撲大会のようす、ボクを含めた観客の動きを見ながら、作者は自分なりに鳥取県民性を喝破し、人としての心が欲しいと思ったのである。