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  おいでやす人形
                           穂波美央                   
                                                                                   平成19年5月30日付け 島根日日新聞掲載

 過日、京都別院の一角にある、実家の墓へお参りに行ってきた。
 折も折、桜の時節とあって兄弟姉妹、その連れ合い一同で集まろうという去年からの話であったからだ。
 さすが東大谷の祖廟だけあって、無数の墓石が並んでいる。その中を縫うように、見慣れた石段を私達は登った。それぞれが、今は亡き人と連れ立って歩いた思い出を語りながら、また、亡母(●はは)が転倒した所などを指し示したりして、杖をついて歩く私を庇ってくれる。
 十九劃に立つ墓に、やっと着いた。賑やかに墓掃除を済ませて、線香の匂いの中で順番に手を合わせた。
 傍らには、徳川家康の側近で、江戸初期の京都の豪商、茶屋四郎次郎(●ちゃやしろうじろう)の長い年月を経た墓もある。
 祖廟を出て、八坂神社や知恩院の境内に接する円山公園の桜を見ながら散策した。
 夜桜見物のための敷物が、場所取りのためか辺り一面に確保してあり、足の踏み場もないくらいだった。
 公園の枝垂桜は有名である。日帰りツアーが企画されるほど賑わった樹が、今年はすっかり痩せ衰えていた。太い幹は骸骨のように見え、哀れな姿をさらしていた。枯れた枝は、恐らく切り落とされたのであろう。残っている枝は、かつての栄華を誇った名残りを見せるように精一杯の花が咲き、辛うじて往時を偲ぶことができた。
 枝垂桜は、必死に命を繋ぎ止めようとしている。その姿を見ていると、涙を誘われるほどいじらしく思え、心からエールを送り、再びこの樹と会える時には、回復していることを祈った。
 翌日、一つの願いを満たすため、京都タワーの土産品売り場へ行った。かねてから欲しいと思っていたおいでやす人形≠買うためである。いろいろ物色し、いちばんいい顔をしている人形を選んだ。
 舞妓姿の、背の丈二十センチくらいの土人形で、白く塗られたところに彩色され、着物、帯、頭の飾りなどに、紅色や紫色、金色などが描き加えられたものである。
 絹の赤い座布団に座って、「おいでやす」と上目遣いに小首を傾げ、三つ指をついて屈んでいる。
 その所作と円らな瞳が堪らなく可愛らしく、去年、七五三をした孫娘を見るようでもある。
 やっと手にした喜びと、我が家に迎え入れられる楽しみが心の中いっぱいに広がってきた。
 どうしてそれほどまでに、人形が欲しかったのか。次のようなことがあったからだ。
 実家へ行ったその都度、母が使っていた姿見の台の上に、この人形が飾ってあるのを見ていた。その愛らしさはもちろんだったが、どこがどうとも言えず母の姿が偲ばれ、心を奪われていたのである。いつかの機会に求めたいと願っていた。
 奇しくも、妹もそう思ったと言う。妹はすぐ近くに住む弟に頼んで、墓参の時に京都から買ってきてもらっていた。
 その思いを正しく裏付けるようなミステリアスな出来事が、暫くして起きたのである。
 妹の話は、こうである。
 部屋に飾っていた、その人形を何気なく玄関の下駄箱の上に置いた、その日のことである。
 親しい知人が訪ねて来られ、ドアをノックされた。中から「おいでやす」という声が聞こえた。
 それは、亡くなられたお母さんの声だったという。知人は、不思議に思って暫く待っていたが、その後、何の反応もないので、もう一度、声をかけた。
 ちょうど、その時、仏壇で拝んでいた妹は気配に気付いて応対した。知人から、その話を聞いて驚き、以来、その人形には母の魂が宿っていて、守ってくれているのだと思うようになった。
 それを聞いた私は、さもありなんと、ますますこの人形の虜になっていったのである。
 現在、我が家の玄関の正面にある飾り棚で、赤い座布団に座るおいでやす人形≠ェ、客を迎えている。
 あたかも、もう一人の家族が居るようで、出入りするたびに声をかけることにしている。
 ほのぼのと心が温まり、思わず微笑みたくなるのである。

◇作品を読んで

 作者は、京都へ墓参に行き、その翌日、おいでやす人形≠買った。欲しかった理由が、書かれているように不思議な話である。
 自分で体験したことでないと信じません、と言う人もある。目に見えない霊的とでもいう体験があったとしても、疑うのが普通である。だが、こういう神秘的なことが、あるいは起こるかもしれないというのが、極めきれない人間の世界のようだ。
 実際に人形を見せてもらったが、じっと見つめていると、そういう気もしてきた。
 作者の作品には、平成十四年九月に載せた『円を描く僧』という、不思議な体験を書いた短い物語がある。