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  身 辺 記
                           園山多賀子                   
                                                                                   平成19年6月7日付け 島根日日新聞掲載

四月某日
 季が移り桜が散り、バトンは牡丹に引き継がれた。潔く咲いて散る桜にくらべ、牡丹の風情はまた趣を異にする。「立てば芍薬座れば牡丹」と昔から言われた言葉は、まさに相応しい。
 例年のことではあるが、今年も大根島の牡丹句会≠ノ参加した。川柳を始めた当初から、『番傘』に所属しているが、いつも参加することに決めていた。
 かつて、大根島は陸続きではない孤島であったから、松江から船で行ったものだ。その頃の友達の多くは既に逝き、ただ思い出だけが残る。
 句会は、島の中央にある公民館だった。牡丹の華やかな由志園には少し遠いところにある。由志園に行ってみる時間はないというのが残念だが、要は句会なのだから仕方がない。バスの窓から見るだけだが、それなりに満足した。
 いつものことながら、会場は満席である。自信を持ったベテラン揃いの中に、馴染みの顔もあった。
 大会だから、兼題だけで席題はない。推敲した兼題よりも、席題での閃きが成果を上げることもある。
 全没は免れたけれども一向に映えない。参加者の秀句を頷きながら聞くのが精一杯で、それでも句会は楽しいのである。
 凝り性というのかもしれないが、この頃、限界を感じるようになった。百歳が近くなって、句会に出掛ける覚束ない脚を思う。
 それはそうとして、来年のことまで考える必要はない。今日一日と明日を思惟すればよいことである。

五月某日
 私の部屋は家屋の中心を離れ、奥まった場所にある。裏は、もう山の崖に面している。閑静で、年寄りが住むには相応しい。
 東側の明かり障子二枚から外が、視野の世界だ。早朝から陽が入り、家中でいちばん夜明けが早いのである。朝陽は六畳の部屋の中心まで明るく照らし、目覚める私を労るかのようだ。
 主人は在世中、別棟の二階を専用の居間にしていた。二階でコーヒーの沸く香りがする時間には、談笑しながら倖せを楽しんだものである。
 独りの生活に馴染むのに、主人が逝ってから八年を費やした。一緒に東北旅行をしたとき、買ってきた風鈴が快い音を送ってくれる。
 裏山の草も青々と伸び、それぞれの個性が窺われて楽しい。
 よく見ると、草の中に、一本だけだが五センチくらいで、茶褐色の穂のようなものを付けた樹がある。以前からあったと思うが、名も知らぬ。
 この頃、小鳥の姿をよく見る。雀より大きく、これも茶褐色である。どうやら山苺を漁りにくるらしい。一粒取って食べてみると、特殊な甘味が口いっぱいに広がった。人間でもそうだから、小鳥も好む筈だ。一粒だけ味見して、後は小鳥のために残しておく。来年も下刈りのときには、苺を取らないようにしておいてやろうと思った。
 茶色の小さい樹が、風にそよいで揺れている。
 一粒の赤い苺を咥えたまま、小鳥は飛び立った

◇作品を読んで

作者は長いものは書けないと言われるが、文章の長短で価値が決まるものではない。小説であれば、長編と短編では、まず書き方が違う。
 ほとんどの方が、短かければ書きやすいと言われるが、間違いである。短いものほど、難しい。切れ味のよい文章が必要だからである。
 身辺記は、作者の日常である。
 一つは、松江の八束町へ行ったこと、二つ目は自分の住まいから見た、ある日、ある時の風景だ。
 思い切って、不要なものを削ぎ落とし、これぞと思うことだけを書く。それが短い文の生命ではないだろうか。
 作者の短い文には、思いが凝縮されている。それでよいのではないか。