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  愛情いっぱいの中で
                           田井幸子                   
                                                                                   平成19年6月21日付け 島根日日新聞掲載

 ある日、島根日日新聞文学教室の友だちから、こう言われた。
「田井さんの書かれた文章を読んでいると、子どもの頃、愛情いっぱいの中で育てられたんだなあって、いつも思うわ」
「えっ?」
 意外だった。父親を早く亡くし、兄弟もなく母ひとり子ひとり。寂しい子ども時代だったとずっと思い続けていたから。
「愛情いっぱい、愛情いっぱい……」
 その言葉は初めて聞いた英単語のように、ぎこちなく心に広がっていった。
「愛情いっぱい、愛情いっぱい……」
 言葉は勝手に渦を巻き、やがて一枚の古い写真を浮かび上がらせた。
 こげ茶色のオーバーコート、ピンクベージュのニット帽、白いタイツにチェックの靴を履いている私。白黒写真なのに、細部に至るまで何のためらいもなく色付けできる。
 日付は一九六一年。小学校へ上がった年。父を亡くした年。

 こどもの一時期(詳しくはわからない)、私は母の実家に預けられていた。
 そこには祖父母、それに独身だった、母の弟ふたり、妹三人が住んでいた。祖父母にとって私は初孫。おじやおばも年若く、初めて姪を持っためずらしさも手伝ってか、みんなで私をかわいがってくれた。
 一番下のおばとは、一回りしか年が違わない。もの心ついたときには金の卵として、すでに都会へ出ていた。他のおばも独立したり、お嫁に行ったりで思い出の多くを作ってくれたのは、やがて跡取りとなる下のおじであった。
 あるとき、映画に連れて行ってくれた。ディズニーの「一〇一匹わんちゃん大行進」だ。調べたら一九六二年七月、日本初公開となっていたから、私が七歳のときだ。
 当時、おじは車を持っていなかったので、どこに行くにもオートバイを駆けた。そのときもそう。背中にしがみつき風を受けて走る。ヘルメットもかぶらずに。
 駅前の映画館までは十分余りで着いた。切符を買い、中ほどの席に私を座らせると、「また迎えに来てやるけん。待っとれよ」
 と、おじは別のところへ行ってしまった。こどもと一緒にアニメというのが、照れくさかったのかもしれない。
 館内は満員だった。ざわざわする中で、私だけがとり残されたように静かだ。映画が始まる、ようやく観客の一員になれたような気がした。美しい画面と話の面白さで、しばらくひとりを忘れることができた。やがて終わり、明るくなった館内を人々が移動しだす。私も釣られるようにしてトイレに行った。席に戻るとニュース映画をやっていた。つまらないのでロビーに出た。おじの姿はない。なんとなく駅まで歩き、ちょうど止まっていたバスに乗って帰って来てしまった。
 あとから知ったことだが、映画は二本立てだったとか。ニュースを挟んで、また別の映画が始まったというわけだ。終わりを見計らって、さあ迎えに行こうと一旦家に帰ってきたおじは、私をみてあきれていた。
 私は、せっかくお金を出してくれたのに半分しか観なかったから、悪いと思い謝った。
 またあるとき、こどもの日だからとフルーツパーラーへ連れて行ってくれた。このときは、おばとそのこどもたちも一緒だった。
 何でも好きなものをご馳走してやると言われ、本物そっくりの見本が並ぶケースの前に立った。おいしそうなパフェやプリンの数々にさんざん迷って決めるには決めたが、字がどうしても読めない。ばなゝロイヤル≠ニ書かれた札がある。ゝ≠ェ読めない。けれど食べたい。おじやおばは話に夢中だし、注文したあとだ。残るのは私だけ。自分で言うしかない。
 とても小さな声で、
「ばなロイヤルください」
「ばななロイヤルですね」
 ウェートレスさんは、すました声で返した。私は赤くした顔をコクンと下げ、席に戻る。
 そのとき初めて、ゝ≠ェ前の字を繰り返す印なのだと知った。
 運ばれてきたばなゝロイヤル≠見ると、プリンにアイスクリーム、主役のバナナが小さくなるほどたっぷり生クリームが乗っていた。
 幼い従姉弟たちと、はしゃぎながら食べた。会話のある食卓は、私のあこがれであった。
 
 こげ茶色のコートは、洋裁を生業にしていたおばが仕立ててくれたものだ。帽子は手先の器用な別のおばが編んでくれた。靴は上のおじに買ってもらった。
 普段は何をしているのかよくわからないおじさんだった。帰るなり私をつかまえると急に、
「今から靴買いに行くぞ。お前の好きなのを買ってやるけん」
 と言って歩き出した。近くにげた屋≠ウんと呼んでいる店があった。といっても、その頃、すでに半分以上は、靴が並んでいたはずだ。おしゃれなこども用も結構あった。
 その中から赤と黒のチェックにしようか、薄紫色にしようかと迷っていると、
「二つとも買ってしまえ」
 気前よく買ってくれた。そしてまた、どこかへ行ってしまった。
 この写真を撮ってくれたのは、例のオートバイのおじだ。カメラが好きだったのか、それとも私がかわいかったのか、おじの手になる写真はアルバムの数ページを占めている。
 都会に暮らすおばからも、服やらオルゴールが手紙とともに送られてきたものだ。
 愛情いっぱい、愛情いっぱい。なのに私は写真の中で、悲しい目をしておざなりに微笑んでいる。なにも気付かなかった私――。
「このバチ当たりめ」
 遅ればせながら叱ってやった。

◇作品を読んで

教育関係の仕事をしておられる方から、この作品について、「家族が可愛がって育てている子供は、愛おしく思えます。愛を貰っていない子供には何か歪が見えるのです。作品を読ませていただき、たまらなく愛おしいという気持ちになりました。」というご感想をいただいた。
 冒頭に書かれた友達の言葉が作者の心に響き、古い写真を思い出させたというくだりは、非常にうまい導入である。
 作者は幼い頃の幾つかのエピソードを記憶の底から探り出し、深い愛をもらっていたのだと気付いた。「このバチ当たりめ」という自戒に作品のテーマを収斂させた構成から作者の力量を思わせられる。