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   イチローと私
                         鶴 見  優                   
                                                                                   平成19年9月6日付け 島根日日新聞掲載

 西暦二〇〇〇年を迎える頃、私はある大きな病院の医療現場で働いていた。ITの世界では、二〇〇〇年は大変な年であった。コンピューターが二〇〇〇年の下二桁を読み、一九〇〇年として計算するのではないかという懸念だった。
 精密機器を多く持つ医療現場では、二〇〇〇年を迎えるに当たって随分騒がれたものである。医療機器の誤作動が起こす医療事故を恐れたのである。
 院内の全職種を挙げてマンパワーを導入し、役割分担を決めるなど機器の誤作動に備えた。私の看護の職場では、直接患者に影響が現れるために、更に慎重に具体的に対策を立てていた。幸いにも、大きなトラブルも無く、二十一世紀に突入した。
 巡り合わせとはいえ、歴史的な時期に自分が生きていることを、内心重く受けとめていた。ちょうどその時期、二〇〇一年の年半ばに受けた胃検診で異変が見つかり、手術を受けることになってしまった。
 病院のベッドで見る大リーグの野球放送には、随分慰められた。日本人選手の活躍に、どんなにか勇気づけられたことか……。
 特にイチローの多彩な技と記録に釘づけになっていた。日本人の誇りだと、わがことのように熱狂し、拍手を送っていた。
 イチローは、二〇〇一年四月から大リーガーになった。その同じ年の八月に、私は手術を受けた。イチローと私を並べるのは、いかにもおこがましいが、いわば大きな節目となった縁という意味で、忘れられない年である。 
 遠い存在のイチローなのだが、私が勝手に親近感を抱いている理由は、他にもある。
 弓子夫人は松江市の出身であり、実家は私の家とそう遠く無い場所である。その近くには、市営の競技場や広い運動公園があり、緑に囲まれた環境も素晴らしく、きっとイチローも気に入っているのではなかろうか。結婚当初には、イチローのランニング姿を見かけた人もあるという。
 大リーガーとなったイチローは、周知の通り、次々と大記録を打ち立て、目が離せない活躍ぶりである。
 今年、二〇〇七年七月のオールスターでは、日本人初の最優秀選手に選ばれた。三打席連続安打の二打席目は、逆転ランニング本塁打であった。
イチローは、(入った……)と思ったらしい。ゆっくり走っていた。途中慌てて俊足を飛ばし駆け抜けた。打って良し、走って良し、守って良し、何をしても、ビューティフルなイチローだ。
 並み居る大リーグの大物選手を尻目に、イチローだけが突出していた。
 凄い奴……のイチローだが、チームメイトの祝福を受けて少年のような笑顔を向ける。時折見せる茶目っ気たっぷりの無邪気さも、イチローの魅力の一つである。
 受賞後のインタビューでは、「出ましたねェー」とアナウンサー。「出しましたッ」と何度も繰り返し、訂正していた。
 イチローの本音とプライドが垣間見られて、何とも微笑ましい。やはりここは、ハッキリさせておかなければという完璧主義のイチローなのだ。
 オールスター後に、五年総額、百九億八千万円でマリナーズ残留という発表があった。破格の待遇は、メジャー入団後の実績と存在価値を裏付けるものである。世界一の高額契約となる日も近いことを信じている。
 内外ともに引く手あまたの中で、マリナーズ残留を決めたのは、「地元の声が重かった……」からと、義理人情にも厚いイチローである。
 野球界の革命児は、先端を走りつつ、「結局は、一試合、一試合の積み重ねに過ぎないのだ……」とも言う。
 確かに、大記録は一朝一夕に生まれるものではない。一つ一つのプレイに最善を尽くして、積み重ねて行く。それが、たまたま記録として残るのだとも言う。
「何て、すばらしい言葉なのだろう」 
 いたく感じ入ってしまう。置き換えてみれば、何ごとにも当てはまる金言ではなかろうか。
 それぞれに与えられたことを、一つ一つ精一杯、ベストを尽くすことの大切さを教えている。どのような生き方にも通じることである。イチローにして、そうなのである。 
 野球人として世界のイチローは、前人未踏の高い目標に向かって、進化を続ける一方、義理人情にも厚い。私は、その生き様にも注目している。
 勝手に決めたイチローとの縁を心に秘め、隠れファンとして、彼の存在は私の人生の大きな楽しみとなっている。
 イチローがよくやる股割り、膝の屈伸、バットを大きく振る真似をして、熟年の固くなった私の身体をほぐすのにも、一役買っている。
 二〇〇一年から続くイチローパワーは、これからも私の元気の源として続くことは間違いなしと言える。

◇作品を読んで

イチローは、作者も書いているように日本が生んだ野球の天才である。昭和四十八年の愛知県生まれで、まだ三十四歳。愛工大名電高校から日本のプロ野球界に入り、現在はシアトル・マリナーズで活躍している。何かの本で見たが、高校時代から父に鍛えられ、「巨人の星」みたいなもので辛かったというのは、イチローの話である。鍛えられなければ、大成しないということだろう。
 偶然だったが、作者は入院中にイチローとテレビの画面でだが出会う。平成十三年だった。イチローがポスティングという制度を利用してメジャーリーグ・シアトル・マリナーズに移籍した年である。それ以来、作者はイチローからパワーをもらい、隠れファンとなった。作者の思いが溢れている作品である。