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   魚と私
                            大田静間                   
                                                                                   平成19年10月25日付け 島根日日新聞掲載

 何とも不格好な体型になってしまった。
 腹周りが八十八センチメートル、今流行のメタボリックシンドロームである。
 NHK番組のためしてガッテン≠ナ、お腹が張り出す過程を、悪玉コレステロールの模型を使って詳しく説明していた。
 肝細の私は、今にも血管が詰って、永遠に朝が来ないのではないかと、その夜はまんじりともしなかった。
 私は肝は小さいが、尻は軽い。翌日から通勤のバイクを止め、約二キロの距離を三十分かけて歩くことに決めた。
 だが、それからもうかれこれ半年になるのだが、一センチも縮まらない。答は明確である。食生活が野放しになっているだけの話である。私は、運動と食生活改善という二つのことを同時に進行させることができない。どっちつかずになって、計画倒れというのか、それが崩れるのは恐いからだ。だが今は、運動を持続しているという安堵感が支えになっている。
 町なかを歩くと、思いもよらぬ発見がある。歩く道筋に沿って、幅一メートルほどの側溝が続く。高瀬川の分流であろう、清流の絶えることがない。その流れに逆らって、小さな魚の群が隊列をつくり泳いでいる姿にいつも出会う。この話を近所の人にしたら、鮠だろうという。うぐいの仲間らしい。
 ある日、ふと気がついた。群は、きまって暗渠の出口にいる。きっと暗がりの中に、根城があるに違いない。
 梅雨明けに、一晩で五十ミリメートルを超す雨があり、狭い側溝は、道路に溢れるばかりの濁流になった。
 可哀相に、あの一家は大社の海に押し流され、海水の中でもがいているのであろうか。いやもう死んでしまったかもしれない。海に浮かぶ鮠の姿を想像して暗澹とした気持になっていた。
 数日が経ち、清流が戻って来た。驚いたことに、あの家族らしい姿が整列しているではないか。まさか、大社の海から遡って来たのではあるまい。斐伊川から、新たな一家が引越したのだろう。
 それにしても、体長も群れの数も同じようだ。もしや、暗渠の中に安全な住居があり、そこで一家は、激流をやり過ごしたのではあるまいか。
 後日、辺りに誰もいないのを確め、暗渠の中を覗こうと腰を屈めた。ところが、運の悪いことに、目の前の家から、ひょっこりと人品卑しからぬ、年齢七十ばかりのおじいさんが出て来た。
 怪訝な顔をして、「何か落とし物でもしたかね」と言う。
 私は曖昧な返事をして、そそくさとその場を去った。
 私の膨らんだ体型と全く異質な、すいと泳ぐ流線型をした鮠の群れが、笑っていたような気がした。

◇作品を読んで

 中年を過ぎる頃になると男女を問わず、たいていの人は肥満が気になる。作者は、ある日、自分の体型に気付いた。内蔵脂肪型の肥満? 肥満から、いろいろな病気が引き起こされてはたまらない。歩くことにした。効用は、たちまち現れた。残念ながら、腹周りが小さくなったのではない。それまで目に留まらなかった風景を知ったのである。
 作者は、川に泳ぐ魚が増水で流されたのではないかと心配したが、同じそれかどうかは別として、再び泳ぐ姿を目にして安堵した。
 終末にある、お年寄りと作者の情景が面白い。志賀直哉の文章を見るようである。随筆とは、見たり聞いたりしたことを形式にこだわらず、気ままに自由に書いた文章である。この作品は、題材はどこにでもあるという良い例であろう。(