TOPページにもどる   ウエブ青藍トップにもどる

    ネルと天花粉
                       
     穂波美央                   
                                                                                   平成19年12月20日付け 島根日日新聞掲載

 今の若者に「ネル」と問えば、分かる人はどれだけいるだろう。「天花粉」も同じで、きっとキョトンとした顔をするのではないか。
「綿ネル」の俗称がネルである。ネルは「フランネル」の略で、紡毛糸で織った柔らかな起毛織物である。日本では略して「フラノ」。毛織物の一種で、それを「本ネル」と言った。
 一般にいう綿ネルは綿糸を材料とした生地で、両面または一面だけ起毛した織物なのだ。下着や寝巻に向いている。柔軟で弾力もあり、保温性に富み、冬の衣類として重宝したものだ。
 天花粉は、黄烏瓜(きからすうり)の根から採った澱粉を精製した白色粉末で、粒子が細かい。そのために、汗疹(あせも)などの予防や症状の軽減に用いられ、産まれ子から成長するまで首筋から両脇下、オチンチンの周りの皮膚の重なるところに気前よくぽんぽんとはたいて塗り付けたものだ。特に、夏の汗押さえには、さらさらと一時的にもさっぱりしたものだ。襁褓(おしめ)かぶれにも付けていた覚えがある。それが、今の子育てには使われなくなった。薬効の功罪半ばなのか。医学的に奨励されなくなったので、指導範囲から外されたのであろうか。
 筆者の子育て時代は、すでに半世紀近くも以前になるが、まさに今昔の感である。
 当時、出産祝いに貰った物といえば、おおかたが布地で、一つ身が仕立てられるだけの長さの品物だった。
 一つ身とは、並幅の布一枚で身頃が縫える。産衣(うぶぎ)や乳幼児の和服のことで、後ろの中央に背縫いがないから仕立ても手軽で、母親の針仕事の一つになっていた。
 ネルも例外ではなく、可愛い柄物や無地のピンク、白と様々で、用途に合わせることが工夫のしどころだった。
 生後間もない子が、まだ寝ているぱかりの間は、一つ身の着物で差し支えないが、だんだん成長してくると運動も激しくなり、前がはだけて始末に負えなくなる。やがて、這い這いをする、歩くようになると、ネルの出番である。「モンペ」、今で言うパンツを縫い、着物の裾からすっぽり穿かせていた。
 上衣はスモック風に仕立て、着物の上からエプロン式にして、後ろを紐で結ぶと、前の方の汚れも防ぐことが出来た。何より温かくて一石二鳥の服装で、洗濯が容易であった。
 子供だけではない。大人にとっても冬には欠かせない温かい寝巻や襦袢、女の「御腰」として使い、おなかを冷やさないようにと、産後には必需品として必ず用意をした。
 それらは、今でも捨て切れずに箪笥の中で、手に取られないまま下敷きになっている。
 御腰とは、ショーツを穿かない女の人の下ばきで、「湯文字」とか「湯巻」と言っていた。耳慣れない人も多い言葉である。
 男性は「褌」を穿いていた。亡夫も結婚した当初の頃は使っていて、一メートル位の長さの晒し木綿に紐を付けて縫った記憶がある。遠い昔語りである。
 ところで、先般、通販雑誌に成人女性のネルのパジャマ三組が、五千円を切る値段で出ていた。中国製と書かれてあり、なるほどと頷けた。
 ネルという言葉と廉価に惹かれてよく見ると、綿百パーセントでピンク、グレー、ラベンダーと気分の安まる色である。柄行きは小花をあしらったもので、デザインもギャザーたっぷりとゆったりしたシルエットだ。ただ、衿なしなのが気がかりである。首周りが寒いのではと思い、一度は見逃したが、ネルというのがイチオシとなり電話で注文したのである。
 思ったより早く届いた。包みを開けると、なかなか手触りも着心地もよさそうである。ズボン丈が長いので、サイズに合わせて切り落とした。
 ミシンを取り出した。ミシンといえば、最初の機械は足踏みから始まり、二、三回と買い替えているが、さすがに近頃はめったに使わない。
 最新型のミシンは操作も進歩し、いろいろな機能が付いて便利になった。使い方がその都度変わるので忘れてしまう。日を改めて、指導員を呼んで習得。かくして、ズボン丈は三着みな快適な長さに縫い上げた。
 切り捨てられたズボンの切れ端を見て、有効に活かす方法はないかと考えた。衿ぐりにもってゆけばいいのでは、とのアイディアが浮かび、スタンドカラー風にすることにした。 ね
 両足の切り落とした細長い布を継いで、衿ぐりに縫い付けてみると、何とちょうどよい長さで立衿の幅もよく、嬉しくなった。出来上がってみると、衿具合もぴったりである。首周りもぬくぬくとして、格好も悪くない。ホックを付けて三枚とも、一気に仕上げた。ネルの温かみは、着心地抜群だ。ひとりウキウキ大満足。
 その夜は、足元から首筋までほんわかとした気分で、夜の静寂(しじま)の中、ささやかな幸せの眠りに落ちていった。

◇作品を読んで

 天花粉、襁褓などの懐かしい言葉をちりばめた、作者ならではの作品である。その時代の匂いが立ちのぼり、情景が広がる。
 このところ何とも言えない雰囲気や、ぬくもりの感じられる言葉が、品物と一緒にしだいに消えてゆく。井戸がなくなり、「井戸端会議」が死語になって、「向こう三軒両隣り」の付き合いも稀薄になった。普段に下駄を履かなくなり、「下駄をあずける」という喩えが分からなくなる。
 作者は、日本語を大事にしたいという思いで、この作品を書かれた。その人でなけねば書けない題材があり、文章がある。長い人生の経験者でもある作者に、「ささやかな幸せ」のためにも、ぜひ書き続けてもらいたい。