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    大歳の夜
                       
     林 亜沙                   
                                                                                   平成19年12月27日付け 島根日日新聞掲載

 今日は、大晦日だのう。大歳とも言うが……。オラも九十九歳になって、元日がくりゃあ、百になる。もう何年も生きちゃあおれんが、除夜の鐘までに話を一つしておいちゃろうかいなと思うだども、どうかいの……。
 孫の真砂子も曾孫の順太郎も聴いてくれるかや? そうか、んじゃ、短い話だが、してやろうて。オラが死んじまっても、こげな話をしてくれた婆がいたことを思い出してごせのお。
 出雲の北山を越えたところに坂浜≠ソゅう村があるじゃろう。昔、昔、そのまた昔のことじゃ。そこに、貧乏な漁師がおったのよ。それはなあ、オラの父親の、そのまた父親の、そのまた父親のことだが、貧しい暮らしをしてござったが、正直者で、年がら年中働いておった。坂浜村では一番の孝行息子、一人息子じゃったが、父親はとうに死んでしまってな、おかあと二人で暮らしちょったげな。
 大晦日の二日前じゃった。おかあが病気になって寝込んでしもうた。看病もせなあならんし、仕事に行かなあ、医者に診てもらうゼニもない。一所懸命に働いておったんじゃ。
 大歳の夜、海は穏やかじゃったが寒い晩だった。おかあが寝床から息子を呼んで言ったそうな。
「いま夢を見たわいな。お前が大漁だ、大漁だと言って魚を船いっぱいに積んで戻ってきた夢だった。もしかして正夢かもしれん。明日は元日だが、夜が明けたら漁に行ってみい」
 息子は、いつも貧乏をさせちょるから、妙な夢を見たんじゃろと思うたが、おかあが何度も言うもんで、元日の朝陽に両手を合わせてから出かけたそうな。
 正月の海は穏やかじゃった。水の底まで透き通って、それはそれはきれいな海じゃった。網を投げ込もうとした、そのときのことだった。小さな波がきらっと光ったとや。夜明けの太陽さんのせいだろうと思うたが、網を投げようとするたんびに光るんじゃと。
 海の底をのぞいて見ると、もば≠フ揺れてるのが見えた。真砂子も順太郎も、もば≠ソゃあ分かるかや? 海草のことだがの、その中で、きらっとまた光った。おおかた貝じゃろうと思った。けどな、きれいな貝ならば、寝ているおかあが喜ぶかもしれんと、冷たい海に飛び込んだ。冬の海じゃで、そらあ寒いわなあ。じゃが、おかあの顔を思い出したらサブイことなんかありゃあせん。潜っていった。掴んでみると、なんじゃったと思う? ゼニよ、それも山ほどあるんじゃ。
 息子は何度も何度も潜っては取り、潜っては取りしたそうな。どこか知らんがよその国の見事な細工物もあっての、それはそれは立派なもので、おかあの見た夢は、ほんに正夢じゃったと思うたそうな。
 家に戻って数えてみると、五百両から千両くらいはあったというんじゃ。そんで、息子はの、ほれ、オラの父親の、そのまた父親の、そのまた父親は、おかあを医者に連れて行ったら、なんでか直ぐに治ったとや。
 金持ちになった息子は、貧乏な村の人にも分けてやり、村中が仲良く暮らすようにしてやったげな。だから、坂浜村は小さいが、いまでもええとこらしいで。
 真砂子も順太郎も、おかあや年寄りの言うことは聞くもんじゃ。そんで、近所の人には、よくしてあげてごせよ。オラが言いたいことは、そおほどだ。

◇作品を読んで

 この話を一攫千金と読むか、懸命に働けばいいことがあったり、年寄りを大事にすることは大切だなどとするか、それは自由だ。
 人として一番大事ものは何かというアンケートで、「家族」と答えた数が第一位だったというテレビの番組があった。作者はそんなことも思いながら、この作品を書いた。
 北山を越えた所にある漁村に、このような事実があったわけでもないし、坂浜という場所はありもしない。全て作者の創作である。だが、こういう話は、古くから助け合って暮らしてきた集落には、伝えてきた大事なこととして残されているのではないだろうか。いまそれが、少しずつそれが失われていくのは残念である。 

読者の皆様、いつも「青藍」をご愛読いただきありがとうございます。
どうかよいお年をお迎えください。