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   春夏秋冬日誌 MITSOUKO
                       
    森 マコ                   
                                                                                   平成20年1月24日付け 島根日日新聞掲載

 去年の夏は長くて厳しかった。そうではなくて、季節を感じる力が鈍ったのだろうか。そんなことを思っているうちに、夏から秋を飛び越えて、気がついてみると冬になっていた。
 私は、街路樹のケヤキの落ち葉を踏み、秋を感じている余裕がなかったことに落胆していた。通勤の途中に、慌ただしくくぐり抜ける街路樹も気づくと、骸骨になっていた。
 突然に、木枯らしが吹いた。もう今年も終わるのだと、そのとき思った。
 喫茶店は骸骨の並木の途中にあった。入り口が街路樹に面していて、たまに行っても、客は居ない。
 喫茶店のガラス戸を押した。
 客は二人いた。店には小さなテーブルが二組置かれていた。そのうちの一つに二人連れの女性が座っていた。私は空いている隣のテーブルに付いた。椅子に浅く腰掛けて、深く息をすった。そのとき懐かしい匂いを感じた。若い頃に使っていた、香水の「ミツコ」の香りだ。
 
 香水「ミツコ」は、一九一九年に調香師ゲラン家の三代目、ジャック・ゲランによって創作された。シプレー系の香水。シプレーとは主にオークモス(苔)、スパイス、ウッド(木)などを香りの基調にしている。パリ社交界の花形であったハンガリーの伯爵夫人、日本人女性グーテンホフ・ミツコをイメージして作られたとも言われている。

 二人の女性は、ゆったりとした動作で紅茶を口に運ぶ。化粧をしているので、七十代ぐらいに見える。実際は何歳になるのか分からない。紅茶のカップを持つ指に赤いマニュキアが塗られていた。
 外は寒い。だがここだけ春が先に来ていた。温室の花畑の中のような匂いがする。サフランの匂い。白い木綿のシーツの上に鱗粉を撒いてその上を転がっているようなさらさらとした心地よさ。幸せな気分だった。
 ミツコは二人の女性のどちらから立ち昇っているのだろうか。
 
 私の想像上の人、いつこさんは百と三歳。
 二十歳の頃にフランス人の恋人がいたという。恋人から香水をプレゼントされたそうだ。その香水を八十三年の間ずっと使い続けているらしい。
 香水の名前は「ミツコ」。
「香水はウイスキーの瓶ぐらいの大きさ。二本贈ってくれたの」
 一本は使い切り、今日、二本目の封を切ったという。
「残りのミツコを全部あなたにあげたいわ」
 二人のうちいずれかの女性が私に話しかけているような気がする。視線を私に向けるだけで、いつこさんの考えていることが伝わってくるのだ。二人のどちらかが、いつこさんなのだ。
 
「お母様、さあ時間ですよ」
 先に立ちあがった女性がステッキを連れに渡した。
 いつの間にか木枯らしは去っていた。雲の切れ間から陽が射し、残された二つの椅子を包んだ。いつこさんが座っていたのは、どちらだったのだろうか。

 次にその喫茶店に行ったのは、年が変わった二〇〇八年の二月のある暖かい日だった。
 二ヶ月ぶりに私は、ガラス戸を押す。わずかに開いた隙間から、「ミツコ」の香りが私の鼻腔をくすぐった。
 春は近い。

◇作品を読んで

 ゲラン社の香水「Mitsouko」の名は、日本流に言えば「ミツコ」である。小説『ラ・バタイユ』に出てくる「ミツコ」と、ミツコ・グーテンホフ伯爵夫人から名付けられたと言われる香水を背景として使った。
 作者の好きな香水「ミツコ」への思いから生まれた、少しばかり幻想風で、ちょっと気の利いた話に仕上がった。
 作者は多分、珈琲を飲みながら空想世界に身を置いたのだろう。「お母様、さあ時間ですよ」という台詞で二人の関係が分かり、女達はふっと消えて行った。残された椅子に、本当に女性達が座っていたのだろうか、と自問自答する。
 二か月経って再び訪れた喫茶店には、「ミツコ」の微かな匂いがあったという結末と、季節を思う書き出しは洒落ている。