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   オール電化 
                       
    柳楽 文子                   
                                                                                   平成20年4月3日付け 島根日日新聞掲載

 去年の夏のことだった。電気料金が二万八千円、お風呂の灯油代が一万四千円、ガス代が一万円弱の、合計五万円以上になっていた。ガス屋さんから残高不足で引き落としが出来ませんでした≠ニ一枚の通知書がきた。
 婆ちゃんの私は,暑がりの寒がり。光熱費は娘の担当。
 汗をかき、気持が悪ければ、お風呂で何も気にせず流しっぱなしのシャワー、真夏三十三度も気温があれば、エアコンの設定温度を二十六度にし、いい気分で過していた。
 六人の家族の麦茶はガスを使い、日に何度も沸かす。料理もガスで作る。
 夏休みは孫が友達を呼んで、エアコンを付けテレビを付け、ゲームに夢中。
「コラ、電気代が沢山かかるからエアコンを止めろ」と言えば「婆ちゃんも止めたら」と反撃する。
 仕事から帰った娘にガス屋さんの通知書を見せた。
「働けど、働けど暮らしは楽にならず」とつぶやきながら考え込んでいる様子だ。
 帰って来た娘の主人と夕ご飯の後、相談したらしい。
 娘の合理的な言動は、並み居る人間の中で特別発達していると、日ごろから観察していた。
 約一週間後、二人で考え抜き、意見が一致した模様だ。
 我が家も、婆ちゃんは年々年寄りになるし、危ないことがあっては遅いのでオール電化に踏み切ることにしたと、大本営発表が皆に言い渡された。
 決断したら次の手配は素晴しく早い。
 あくる日には、電気工事の人たち四人、水道工事の人二人が朝八時にやって来た。
 屋根裏に入り電線を何やらする人、土間にものすごい音で穴を開ける人、電信柱に上がり何やらする人、どでかいタンクらしき物を据え付ける人、水道管を取り替える人、もう一個ブレーカーをつける人、土間にコンクリを塗る人。
 我が家は一日中大騒ぎだった。ほぼ一日で電化が仕上がった。
 使い方を散々聞いたが今一つ飲み込めない。娘がメインだから「はい、はい」と聞いていた。
 その日から娘は変身したかの如く、私や子供にエコ生活の特訓を始めた。
 深夜料金になると、なおいっそう安いらしい。洗濯機は夜中の十一時から、乾燥機も同じく、ジャアージャアーガラガラとやりだすようにタイマーがセットしてある。午前八時までは電気代が安いから、それまでに朝ご飯を済ませるように、夕方の五時を過ぎると時間のかかる、煮物、炊飯器のスイッチオン、と私は娘に申し渡された。
 長生きしていると、何が登場するのか、興味津々である。
 しかし便利この上ない。風呂自動をポンと押せばやがて可愛いお嬢さんの声で「お風呂が沸きました」と案内が聞こえる。ガスの時はしょっちゅう鍋を焦がしていたが、鍋を調理器に載せていても、水分が無くなると自動で電熱器が切れている。タイマーをかけて置けば、更に大丈夫だ。
 娘のチェックも相当厳しい。お湯を何リットル使用したかが、一目で分かるようになっている。歯磨きの間、お湯は閉めること、出したままにでもして置けば、非国民扱いだ。
 今年の冬は灯油代がゼロ、ガス代もゼロ、問題の電気代が二万円だった。
 五万円から一挙に三万円も安くなったことに、娘は満足らしい。
 半年余り節約の講義を受け、孫三人と私はかなりくたびれた。だが、家庭を預かる娘が今度は何を要求するのかと考えると、そうそうボケてはおれないぞ、と尻を叩かれた思いだった。
 頑張るぞーと誓いを新たにし、娘の健闘をそっと祈っておいた。

◇作品を読んで

作者は、平成十四年春に文学教室を発足させた時の参加者である。その後、いろいろな都合で休んでおられたが、この四月から復帰されることになった。その申し出と同時に、作品の幾つかが、「勢いで書くものだから、どうかな? と思いながら……」というコメントと共に送られてきた。
 勢いというのは大事である。それが何をもたらすかと言えば「自分の声で書く」ということであり、生きた文章、その人ならではの個性ある文章を生む。
 その次にすることがある。言葉が浮かんだら、これでいいのかと自分に問いかける。そうすると、自分なりの言葉が書け、自分の文章が出来上がる。
 そんな話が文学教室では語られるのである。作者の今後の作品が待たれる。