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   朝合唱 
                       
    田井幸子                   
                                                                                   平成20年5月1日付け 島根日日新聞掲載

 今年成人した次女が中学生のころだから、七、八年も前のことだ。
 当時、その学校はかなり荒れていた。器物破損、授業妨害・放棄、喫煙、服装や言葉の乱れ等々。朝の通学時間帯、校門前にパトカーが止まっていたこともある。
 学校側は、この有様を保護者とともに考えたいと、いつでも自由に出入りできる参観日を設けた。さらに、数人のグループで校内パトロールをすることに決まった。輪番制で全員に回ってくる。私も会社を休んで参加した。
 最初は、刃物を持っている生徒がいるかもしれないと恐ろしかった。心臓部分だけでも護りたいと、何かでガードして行くことを本気で考えた。
 実際に先生からは、パトロールは、ただ見て歩くだけにしてください。目に余る者がいても決して注意はしないでと念を押されていた。その場で注意した方がよいと思う場面もあったが、自分はともかく我が子に何かあってもいけないので、言葉に従った。パトロールが終わると、各自が日誌をつけることになっていた。直接言えない分、思い切り書くことができた。
 私は日ごろ考えていることもあったので、予めワープロで作成したものを、ノートに貼り付けようと準備していた。そのうえで、当日の様子と感想を追加するつもりでいた。
 回ってみると、校舎は予想以上に散らかっていた。教室の机も椅子も乱れ、生徒の姿勢もぐにゃぐにゃだ。もちろん全員ではないが、どうしても悪い方に目が行ってしまう。五年前、長男が通っていた同じ中学とは思えなかった。
 掃除の時間も先生方のほうが熱心で、生徒は不真面目という印象を受けた。先生は怒るでもなく、ただ手本を示すかのように黙々と箒を動かしておられた。
 大きな声が聞こえたので振り向くと、制服以外の格好をした女生徒がいた。髪の毛は金髪に近く、玉蜀黍みたいな頭だ。廊下にしゃがみこんでいたのを先生に注意され、駄々っ子のように寝転がった。ふっとおかしくなった。生徒に危害を加えられるのではないかと恐れていたのに、目の前にいるのは甘えたいだけの欲求不満な子供ではないか。もちろん、そう決め付けるのはよくないし、私の見方が正しいとも言えないが。
 パトロールを終え、日誌を最初から読んだ。どの親御さんも現状を嘆いたり、驚いたりと同じような気持ちの人が多かった。しかし、具体的に何をどうすればいいかという意見は少なかったように思う。私も見たまま感じたままを記入した。ただ、読書をすることについては大賛成だったので、「朝読書」を続けてほしいと書き加えた。
 その後、体育会系の先生が大量に配置されたと噂された。問題の三年生も卒業していった。勢力がそがれたのか、強い先生に押さえ込まれたのか、学校は徐々におだやかになった。パトカーも来なくなった。パトロール隊は解散し、「朝読書」は継続された。
 三年後、三女が入学式を迎えるころには、かなり静かな雰囲気になっていた。友達同士の小さなトラブルはあるが、物騒な話は聞かなくなった。それでも保健室や心の相談室は、順番待ちの状態らしかった。
 自分の娘がカウンセリングを受けていると聞いたときには、本当に驚いた。それまでは他人事だと考えていたのに、いざ自分の身に降りかかると、どうしていいかわからなくなった。原因を突き詰めても、それを取り除けば解決するという単純なものではなかった。完治するのに約一年かかった。
 心を育てるのは難しいとつくづく思う。私自身はどうだったか。四十年も昔のことだけれど、当時私の周りには、登校拒否も保健室登校する生徒もいなかった。心のサポートをしてくれる特別な人もいなかった。それでも、何とか乗り切れた。「甘えたいだけの欲求不満な子供の心」をうまく制御できたと思う。
 思い出したことがある。月曜日の朝、全校朝礼のとき全員で合唱をしていた。歌集を持って行き、その月の歌を四回練習して仕上げるのだ。季節にふさわしいきれいな曲が選ばれていたように記憶している。
「浜辺の歌」も「早春賦」もこれで覚えた。一週間が、何て清々しい気分で始まったことか。音楽の先生は歌詞の意味と、そこに込められた思いを生徒に伝え、美しいメロディーが心を満たしていった。ごく自然に。
 どうしてもっと早く気づかなかったのだろう。読書もいいが、ある意味孤独な作業だ。全員が同じ歌を歌うという行為、耳から入るやさしい言葉。誰かが気持ちを包み込んでくれたように、ほっと暖かくなりはしないか。
 今度パトロール日誌が回ってきたら「朝合唱」を提案しよう。すでに中学生の母ではなくなったが、少年による凶悪犯罪を耳にするたび、考え込んでしまうのである。

◇作品を読んで

 学校の現場を伝えるエッセイを読ませてもらうのは、久しぶりである。数年前のこととはいえ、現在の学校が抱える問題点が的確に指摘されている。
 かつて穏やかだった学校での朝の心和む合唱を思い出し、それが、現在の日本で薄れてしまった徳育につながるのではないかと、作者は考えたのではないだろうか。
 昨年の秋、文部科学省はシンボルマークを制定した。羅針盤をモチーフにし、希望に満ちた未来を目指すという願いが込められているようだ。揺れる船の上で方位を知るという羅針盤が、現在の教育や社会の様相を示していると見るのは、考え過ぎかもしれない。
 いずれにしても針路を間違えず、再生への取り組みを期待したいという作者の願いが、作品に結実している。