TOPページにもどる   ウエブ青藍トップにもどる

   金の草鞋 
                       
    天従勝己                   
                                                                                   平成20年5月15日付け 島根日日新聞掲載

 学生生活も、あと残り一学年を残す春――。それも葉桜の季節であった。
 広島県廿日市、常国寺境内の片隅に学生向けの木造二階建てのアパートがあった。二階の和室、六畳一間が私の下宿だった。そのお寺は、庫裡にも大学生を住まわせていた。同じ学年生が七名も居た。
 廊下の突き当たり、一番奥の部屋に、徳島・阿南市出身のT・H君がいた。彼は歯科医のご子息で、私よりも二つか三つ、年上のように思えたが同学年である。背が高く、色白で、言葉遣いも優しかった。金持ちの医者の一人息子である。
 T・H君は、真空管のアンプを組み立てて、レコードを聴きながら、独り静かに過ごす鷹揚な人柄だ。だから、休日の麻雀遊びでは、牌をツモってしげしげと見たり、うーんと唸ったり、リズムがいつも遅かった。
 周りの者が彼の打ち方を評して、「天皇麻雀」と言い、悪戯と冗談を交えて「ハヨ、ハヨ、切れヨ!」とか「まだかいな!」と、スローさをせかしながら楽しむのが常で、麻雀の楽しみの一つであった。
 当時、私達は夕食を歩いて五分くらい離れたS食堂で摂っていた。代金を店の人に勘定してもらい、各自の大学ノートに記入しておく。支払いは、仕送りの中から月に一回の精算で済ませていた。
 ある休日。快晴の朝であった。洗濯をし終わった時、T・H君から「ちょっとお茶飲みに付き合ってヨ! 彼女を紹介してやるから」と声をかけられた。「いいよ」――もちろん即答である。
 普段着と幅広の下駄履きで素足のまま、約十分ほど歩き、国道二号線沿いの喫茶店麦≠ノ着いた。
 T・H君に続いて店内に入った。四人掛けのソファに、彼が付き合っている、背は少し低いが丸顔のポチャ美人。その隣りに初対面の女(ひと)が、座ったまま笑顔で「こんにちわ!」と会釈した。私の真向かいである。
 彼女達は、県立病院の看護婦だった。会話が進むにつれて、私は、その女(ひと)より二歳年下ということに気付いた。なんとなく、彼女より年上の方が以後友達として付き合うのにベターかなと判断し、自分の年齢を三つ程サバ読みして言った。
 そのときの二つ年上の女(ひと)は、私の妻になった。
 年上の女房は、金(の草鞋を履いてでも探せという諺がある。
 縁があって、出雲で暮らすようになり、もう十一年が過ぎた。
 休日、静かに一人で庭を眺めている時、初対面から四十一年が過ぎ去ったのだと、今更のように思う。
 格言、金言や名言には一般論も多いが、金の草鞋の諺通りになったから、やはり幸せを感じる結果が出たのだと納得しているのである。

◇作品を読んで

同じ下宿にいた友人に紹介されたのが、現在の奥さんであるという。作者は、麻雀仲間であるT・H君のことよりも、「二つ年上のひと」のことを言いたいのだが、おそらく読者も、出会いの後にあった青春の日々、あるいは、諺の信憑性を裏付けることになった、伴侶との幸せな人生などを知りたいのではないだろうか。
 作品は、書き直しをすればするほどよくなる。作者は手書き派なのだが、このところパソコン教室に通っておられるという。理由は、推敲をし、修正するのに便利だからだということだったが、手書きとパソコン派には賛否両論がある。作者がパソコンに熟達されたとき、文章が、作品がどう変化するのだろう。ともあれ、書き続けていただきたい。