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   お座敷用の女
                       
    高木さやか                   
                                                                                   平成20年6月5日付け 島根日日新聞掲載

 私が生活を営んでいる町内会は、二十四軒で成り立っている。
 三十数年間、家数の増減はない。いたって変化がないのは、宅地造成による発展もなければ、衰退の陰りも見られないということにほかならない。
 町内会行事も「前へ、ならえ」で、淡々と消化してゆく。誰も不平を言わず、実に平和な自治会だ。
「前へ、ならえ」の大行事は、毎年の元旦に二十四人が揃う新年会、五月第四週目の日曜日に勢揃いしての、日帰りレクレーションである。
 今年のレクレーションは、玉造の温泉旅館であった。温泉にゆったりつかり、ほんわか気分の後は、懇親を兼ねた宴会だ。出席者は例年通り、おおよそ男女半々でバランスがよい。男女の釣り合いは確かによいが、お座敷の場を盛り上げる芸の幅の広さ、飲みっぷり、食べっぷりは断然女性集団に軍配が上がる。五十の年齢を幾つも飛び越えた、強者が集まっている。女が三人寄れば姦しいというが、我らの軍団はその三倍以上のパワーで構成されている。
 滅法カラオケが上手い歌い手が一人いる。彼女が「花街の母」を歌いだすと、他の二人が傍らで姥桜ならではの品を作り舞台狭しと踊る。それを肴に男性無芸集団は、一日アル中≠ノ変化するだけである。
 昔のレディース集団は、膳に次々と載る料理を余す所なく、ピラニアの如く食べ尽くす。板前は、洗い濯いだような器に自信を持ち、なお一層腕によりを掛けるに違いない。
 常連出席者の女性は、飲む、食べるにはどんな服装がよいのか熟知している。ウエストの総ゴムが多少疲れかげんのスラックスだ。私も当然そうである。
 誰が発案ということもなかったが、芸達者の十人がいつしか集まり、○○町内女性部を結成した。会費は月五百円。一年に一度、蓄積した六千円で思う存分のリラックスデーを設け、日ごろの不満を棚卸することにした。会長は、年長者から順送り。
 こういう趣旨にはどなた様も野暮なことは一切言わず、一本締めで即決の運びとなり、普段、姑と同居の嫁さんは大感激で音頭取りの中核となった。
 こうして立ち上げた会も今年で八年目を迎えた。女性陣は、かなり金銭感覚が発達している。無料の送迎用バスが利用でき、温泉に何回入ろうと金を必要としない所だけ利用する。奇麗な建物、料理の器、お刺身が生か冷凍かなどなど、十人の中には結構目利きがいるので面白い。
 戦前、戦中、戦後生まれと年齢には大きい差があるが、お座敷芸の楽しさを求める目の輝きには、年齢の差は全く関係ない。
 年配者は、その時代に流行った歌謡曲を懐かしそうに歌う。歌詞は時代を反映しているから、戦後生まれには少なからず生きた勉強にもなる。
 今は姿を消したが、昭和二十年から四十年近い頃には、地域に青年団活動があり、若者は青年団に入っていた。この時代に青春だった人は、ヤクザ踊りがすこぶる様になっている。戦後っ子は「合羽からげて三度傘」の歌に合わせ、必死に振りを覚える。また一つ芸域が広がる。
 一番の年少者は、子育て中に覚えたピンクレデーの「ペッパー警部」を披露する。負けじと最年長の婆ちゃんが、腰を振り振り真似をする。BWHの太さに段差がない、三ヶ所メタボ体型の婆ちゃんの、ユニークなダンスに大喝采だ。現代の八十歳は、今盛んに青春を取り戻している。アッパレアッパレ。
 日頃の不満はこうした一日で御破算となり、明日への活力として蓄えられていく。
 一日愉快に過ごし、嫌なことを総て忘れた帰りのバスで、最年少の涼子さんの「○○女性部という名は、感覚的に田舎のイメージがある」という発言に話題が集中した。
「松江で毎年あるレディースマラソンにちなんで、フラワーレディースはどう?」と私。会長さんの明子さんが「ドライフラワーズがしっくり合う」と言ったので大爆笑だ。
 しかしよく考えると、ドライフラワーはこれ以上枯れることはない。寿命が果てしなく続く。ピッタリの名称決定は、来年までの宿題となった。
 お金を頂くお座敷に――という声は掛らないが、芸を披露する場は相当ある。お嫁さんを迎えた家へ、女性がお祝いにいく慣習がある。ここで我らのお座敷芸が目一杯、一挙に花開く。元旦にある新年会のトリを飾るのも恒例になった。
 こうして仮称ドライフラワーズは先細りすることなく、いつまでも存続するに違いない。
 お座敷用の女達は、今日も生き生きと活動する。

◇作品を読んで

作者の作品が面白く読まれるのは、ユニークな視点で捉えられた内容からばかりではない。適切に使われた言い切り、読点の置き方による息継ぎ、短い文と長い文の混在、意表をつく語句などが、読み手にアピールするからでもある。そういう点から言えば、題名もよく考えられているということになる。
 誰にもいろいろな体験があるが、それはその人の実感であり内向きのものである。外向きにするのが文章を書くことであり、それによってその人にしか意味のなかったものが他の人にも広がるということである。