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   毛虫の飼育
                       
    高木 さやか                   
                                                                                   平成20年7月3日付け 島根日日新聞掲載

 毎年五月の終わり頃になると、庭の椿に毛虫が集団発生する。
 亡くなった父は火バサミで綿花を挟み、それにライターで火を付け、毛虫の団体を火焙りの処刑にしていた。
 主人は団体様に殺虫剤を勢いよくシューと吹きかけ、ポロポロ落ちてゆくのを確かめていた。つまりは、火焙りで焼死させ、殺虫剤でのた打ち回わらせて薬殺。
 二人とも毛虫の命より椿の葉っぱが大事なんだなーと、あまりいい気持はしなかった。私は密かに二人のことを、「刺客」と命名していた。
 平成十六年、二人の「刺客」は相次いであの世に旅立った。息をしなくなった人間はただの物体と化し、千二百度の電気炉でコンガリと焼き上がり、多額の金銭を使い花園の天国へ旅立った。
 毛虫の命と、大好きだった主人や父の命を同列に扱う自分が正常かどうか、一応疑ってみたが、生き物が生命を失うという事実には全く変わりはない。同じ命なのにと少々神経過敏になっていたかもしれない。
「刺客」様の三回忌が終わった時期が、ちょうど毛虫がお見えする五月であった。惨たらしく散っていく毛虫たちの命には、どんな供養が最適か考えた。毛虫たちはどんな生涯を送るのか、研究の価値がありそうだとふっと閃いた。
 椿の木に、長さ二十センチの糸を出して必死でしがみ付いている、ちっこい毛虫御一行様を見つけたのだ。空の果実酒の容器の底へ椿の若葉を敷き詰め、十匹ほどの可愛い毛虫が命綱としている糸を途中から切り、研究用に保護した。
 ブランコ毛虫はきっと卵で誕生すると思い、椿の根元あたりを天眼鏡でかなりな時間をかけて捜索したが、卵らしき物は残念ながら発見できなかった。
 本当は卵からの飼育が望みだったが、毛虫の生態が全く解らないので、インターネットで調べることにした。なんと「チャドクガ〜けむしの会」なる仲間がいた。全国には様々なことに興味を持つ研究グループがあり、私のおつむは正常だとほっとした。
 家族や近所の人達に毛虫の生態を尋ねようかと迷ったが、馬鹿にされそうな気がしたので、一人で密かに学習することに決めた。もしかしてと思い、五年生になる孫の『学研の図鑑』の索引で「け」を見たが、毛虫はなかった。
 ネット画面をプリンターで印刷し、それを教科書にしてやる気満々になった。毛虫の卵は、葉の裏に薄い真綿状の中で一塊になってできると記されていた。教科書通り、椿の葉の変わった形を丁寧に探した。「アッター」、探し回った十分後、遂に見つけた。その近くの葉っぱが、かしわ餅のようになっているのも見つけた。そっと葉を開き加減にして覗いたら、糸を生産していたので、そのまま様子を見ることにした。翌日が楽しみだった。
 朝になった。
 卵一族のお屋敷が乗っている枝を、十センチくらいの長さにして丁重に切り取った。大きいインスタントコーヒーの空き瓶に若葉を入れ、その新しい住居へお引っ越し願った。
 父が愛用していた天眼鏡まで出動させ、探し回った卵はすぐ上の枝にあり、一つ学習できた。百聞は一見にしかずは、全くその通り。
 以前、研究用に取っておいた果実酒ビンの中にいる幼い毛虫は、我が家の田んぼに移動させた。行く末は果たしてどうなるか心配だが、毛虫のたくましい根性に望みをつなぐしかない。
 空いた瓶に卵一族の二度目となる住所変更をさせた。日々どんな変化を遂げるのかを見るという、もう一つ楽しみが増えた。
 外の木にぶら下がっている、一センチほどのブランコ毛虫団体は成虫になるまで、紫外線の強い太陽に、雨や風に、さらにはどんな試練にも耐えるであろう。室内の毛虫の卵と自然の中で育つ毛虫たちに、どんな違いが生じるか? これもまた楽しからずや。
 何にでも興味を持つことで認知症にもならず、娘が呆れるくらい長生しよう。独自の脳トレに励もう。そんな誓いを新たにした。
 孫達の朝顔成長観察と婆ちゃんの毛虫成長観察の勝敗は、おそらく互角であろうと思っている。
 こんな事が虫類嫌いの娘に知れようものなら、私こそ蒸し焼きにされる。ドンマイ、ドンマイ。

◇作品を読んで

 椿に付くのは「チャドクガ」で、毒毛を持っている。触れれば痒かったり、湿疹が出たりするが、死んだ毛虫はもちろん、風で飛ばされた毒毛に触れても同じようになるらしい。
 毛虫の季節は終わったが、もし大量に発生し成長したら、枯れ果てた椿は無残な姿をさらすのだろう。
 毛虫とはいえ生きているのだから、可哀相な気もしないではないが、椿を大事にしている方なら、この作品を読んでなるほどと納得されるかもしれない。
 毛虫がいたらおおかたの人は、とりあえず駆除するのだろうが、作者は生態観察を始めた。そのあたりの落差が面白い。