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   悪趣味
                       
    津井輝子                   
                                                                                   平成20年7月24日付け 島根日日新聞掲載


「実は私の家には、……お風呂がないんです。ゥゥゥ」
 なんとも珍妙な言い訳であった。
 テレビ画面いっぱいに映し出された初老の男性。涙声。しかし、その目に涙はない。芝居がかっている。
 整形外科院長の自宅にお風呂がないなど、誰が信じるか。
 新聞、テレビなどで報道された、例の点滴作り置き医院のことである。患者を死に至らしめておきながら、お風呂の発想がどこから出てきたのか。不謹慎と知りつつ笑ってしまった。
 テレビは、視聴率を稼ぎたいのだろう。各局、競ってこの場面を流していた。物まねや一発ギャグと錯覚しそうなくらい、何度も何度も。
 船場吉兆のささやき女将≠熕助ェと沸かしてくれた。誰が付けたか面白半分のネーミングはハンカチ王子∴ネ上の傑作だ。まるで幼稚園児と教育ママを並べたようなお詫び会見は、何度見ても飽きなかった。問題の核心は別のところにあるはずなのに、ささやき女将≠セけが妙にクローズアップされた。
「頭が真っ白になって……。頭が……真っ白に……」
 若手芸人のコントより、余程笑えた。
 ちょうどこの一件が終焉を迎えるころ、院内感染による死亡事故が起きた。院長はマスコミの格好の餌食となった。実際の記者会見は、もっと長かったはずだ。映像はほんの一部分しか流されない。
 私は想像する。院長も初めのうちは神妙な面持ちで、淡々と嘘を並べることができた。ところが、ひとこと言うたびに記者からツッコミが入る。嘘はすぐにばれ、隠そうとすればするほど言動が怪しくなってくる。そのうち、庶民以下の暮らしぶりをアピールすべく「実は私の家には、お風呂がないんです」になったのではないかと。
 風が吹けば桶屋が儲かるではないが、『一日の来院患者が多すぎる』から始まり『点滴の作り置き』『看護師不足』『経費削減』『儲け主義』と決め付けられ、言うに事欠き、
「実は私の家には、……お風呂がないんです。ゥゥゥ」
 テレビ関係者は、いい画が録れたと満足したに違いない。罠にはめられたな。ベンツが二台あるというではないか。もちろん自宅に浴槽もあった。断っておくが、見たわけではない。すべてワイドショーからの受け売りだ。私は視聴率にかなり貢献している。
 人の不幸、滑稽なさまを見て密かに笑っているわけだから、これはもう相当な悪趣味である。いえ、私のことだ。品性のかけらもない。
 船場吉兆も外科医院も、悪いことをしたには違いない。けれど、秋葉原連続殺人に比べたら、詫びの姿勢があるだけまだ救いがある。
このところ毎日のように親殺し子殺し、通り魔殺人と、心も体も凍りつくような事件ばかりだ。たぶん私の心は冷たくなりすぎて感覚が麻痺し、ところどころ壊死してしまったのだ。思いやりや優しさ、柔らかくて温かい部分が一番先に。
 ワイドショーは、当分封印することにした。

◇作品を読んで

 作品に付けられたコメントに、テレビのワイドショーなどを見ない人は内容が分かるだろうかと書かれてあった。確かに、誰もが必ずワイドショーを見ているわけではない。言われてみればそうだが、それはさりげなく入れられたキーワードでカバーされている。
 最近、なぜか何とも言いようのない世の中になった。あまりのことに作者は呆れを通り越して笑ってしまった。その思いを伝えよう、文章にしようという意欲が湧き、書こうというエネルギーにつながった。だから、文章に勢いがある。
 文章は読み手へのメッセージであるという、書くときの姿勢から生まれる。どうすれば読んでもらえるかと考え、工夫を重ねる。作者の願う文章修行と思えた。