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   荷物造り
                       
    穂波 美央                   
                                                                                   平成20年8月7日付け 島根日日新聞掲載

 昨日の作業のせいなのか、疲れをいやというほど知らされた今朝であった。体が重く、ベッドから起き上がれない。七時になっても八時になっても、トイレに立っては、また横になることの繰り返しだ。
 九時にやっと気持ちを取り直し、いつも床の中でするストレッチを始めた。足を骨折した時、リハビリのために始めたことが今も続いている。
 昨日の作業をふり返ってみると、今までにないスタミナの欠如を感じる。六月中旬以来に引いた風邪の延長線か、喜寿を数えるせいなのか。恢復には、ひと月かかるといわれる。その間、また過労を加えると、それだけ延びるというのか。淋しくなってくる。
 昨日は朝食も摂らずに、野菜物を子供達に送ってやろうと畑に出た。胡瓜、茄子、トマト、隠元、人参などを篭に入れ、縁側まで幾度か通って運んだ。それだけで済ませばよかったのが、更に、肥料を撒き、土寄せをした。ついでにと、薩摩芋、おくら、ごおや、もろへいや等々も同じようにやっておいた。
 たった一人で作る菜園のことである。相応なだけ耕作しているものの、一人では食べ切れない程の収穫がある。捨てるわけにもいかない。周囲の家
も同じように野菜を作っておられるので差し上げるのも憚られる。遠くに住んでいる子供達に宅配便で、適宜、送っているのが常である。その都度、何軒か分の荷造りをする。
 何を馬鹿げたことをと、思わないでもない。宅配料で野菜は買えるのだから、反対にこちらの収支を考えると、何をしているのかと割り切れない思いもする。と言って、止められないのが親馬鹿というものか。
 結局、四軒分の荷造りとなった。かねて収穫してあった玉葱と馬鈴薯も貯蔵が出来るので、多目に入れた。娘のところへは、米も入れたので箱一杯になる。
 ここからが私の特技と言うべきか。隙間を利用し、あれこれ詰め合わせてゆく。そのうちに、段ボールの蓋がはみ出し、当たり前には出来なくなった。そこで、はみ出した中味に合わせて高さを同じくし、折り目を付けて蓋をすると真ん中が空いてしまう。別の空箱を解いて補えるだけの蓋を作り、すっぽり覆ってテープで貼り合わせる。
 これを一人でしなければならない。技術はもちろんだが、力もいる。こうして、つぎはぎの荷物造りが出来上がる。仕上げに、四方をビニールテープと紐で絡み、持ち上げて運べるようにするのが、私の荷造りの特許とでも言えるか? 
 荷造りしたものは、縦、横、高さで宅配料が決まる。なるべく節約をしたい。合わせて百二十糎の箱と、百糎の箱が四ヶ出来上がった。郵便局から送ると重さは関係がないため、ゆうパックに専門にしている。直接持ち込むと、百円の割引きがある。更に、一年以内の前回送り状を持参すると五十円を差し引いてもらえるのだ。
 ところが、この重い荷物を運ぶのにも一工夫がいる。二つの車輪に荷台と取っ手が付いた、荷物運びの便利なものがある。取っ手を傾けて引いていく。車に荷物と一緒に積み込んで、郵便局の駐車場から受け付け窓口へ運び込む。重くて持ち上げられない場合は、局員さんに頼むとカウンターを回って出て来てくださる。時には、親切なお客さんが手伝ってくださることもあり、ありがたさが身に沁みる。
 今回はパラオに行き、麺類を荷物の中に付け加えたので、ひと手間余計に掛かった。その上、お中元の時期でもあり、その他の送り先には、例年、デラウエアのぶどうをまとめて送っていたが、今年は石油の高騰、経営者の高齢化もあり、いつものぶどう園が廃業され、他の品物にした。それやこれやで注文を済ませ、一気にこの夏の送り物の始末を付けた。さっぱりした気分で帰宅をしたのが、十八時を回っていた。
 帰宅後のひと仕事である植木の水やり、犬の散歩、夕食の準備、仏さんを拝んだり、シャワーをして、やっとゆっくり座ったら二十一時が過ぎていた。夕食を摂り、日記を付けて寝床に入ったのが、二十四時を長い針が回ろうとしていた時刻。
 一日やり終えた安心感から眠りに落ちたのだが、夜中にトイレに立つと体が重く、異常な疲れを感じた。
 そして、今朝を迎えた事の顛末≠ナある。
 一年一年と加えられる月日の重みを体が答えているのだなと思うと、先々の不安が走って来るのを押さえ切れなかったのである。

◇作品を読んで

 自分史を書いてみたいという人が多い。なぜ書くのかという答えは一つ。自分の生きてきた証を記録したいからである。
 価値観が異なる次の世代に、自分が存在した意味を知って欲しいという思いが、自分史作りの底を流れている。
 作者の人生の中で、国を挙げて未曾有の体験をした昭和時代が最も長い。書きためたそれらの事柄を、いつか自分史としてまとめてみたいと考えておられる。この作品もその一つだろう。大変だった荷物造りを通じて、月日を重ねて年老いたという実感がうまく書かれている。我、かくありきという記録である。