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   デジタル&アナログ
                       
    天従勝己                   
                                                                                   平成20年8月14日付け 島根日日新聞掲載

 デジタルの腕時計が、一時期大流行したことがある。
 それまでは「時計」といえば、長針が文字盤の真上の「12」を、短針が「1」から「12」までを指すことが一時間の単位だと小学生のときに習った。
 正確な記憶ではないが、多分、一年生の二学期頃に、手作りの時計、それも材料が画用紙であったが、担任の先生が自分達の前で頭上に上げながら教えられた。その授業のなかで、長い針が「12」、短い針が「3」を指す時刻を「おやつのじかん」と教わったのを、私は今でも覚えている。
 幼少の頃は、「おやつのじかん」が待ち遠しく、一日中で最高の楽しみであった。
 そういう視覚を感覚として体感するのが、アナログの世界であると考えている。もう少し考えを推し進めると、人間であれば、「感情」というアナログに支配される部分と、0と1の数字、別の言葉で言えばデジタル的に判断すべき場合が入り交じっている。
 冒頭に書いたデジタル時計は、薄くて、軽くて、安価であった。だから数年の間に、姿を消してしまった。
 それに対して、永遠に、高価で気品の高い腕時計の代表格はアナログ。誰でも知っている、その名はロレックス。それも金色の文字盤とダイヤモンド入りの……。時折、新聞の折り込み広告で目にするのだが、私には到底手に入らぬ代物である。やはり、国産品のステンの枠、バンド型が似合うのである。
 現在は科学万能の時代で、しかも全てコンピュータで正確になんでも計算できる。ほとんど間違いがないようだ。間違うとすれば、キーボードによる入力ミスに気が付かなかった場合である。
 アナログ系の代表的なものは、日常生活では、棒状型の温湿度計、車のスピードメーター類だが、視覚的に慣れているので、そのほうが便利のように思える。人間関係、たとえば近所付き合い、更には法事などもこの分野だろう。
 デジタル系はコンピュータであり、お金であり、ゴルフの点数ということになる。一概にどちらがよいのかと問われても、簡単には答えられないようだ。
 たとえば、ある人は早春の旭光を待ち望みながら拝むような気持ちで、早朝散歩を嬉々としてするだろう。また、冬季の真っ赤に染まった西の彼方に沈む落日を記念写真に撮ることに感動する人もいるのである。
 青春時代、過去に一度だけ感じたことだが、若い男と女の相性は、決してデジタル的に決められないということを確信している。それは、アナログの最も特徴的なものであり、「好き、嫌い、好き、嫌い」などと、到底デジタルで計算できないのである。
 あなたはアナログ派ですか、デジタル派ですかと、よく問われる。ケースバイケースで、上手く使い分けられる人間になりたい。
 昨夏もそうであったように、今年の夏も日本列島には猛暑再来の予感がするが、そのような温度や湿度に対しても、人それぞれに感じ方に差がある。それこそ薬罐の湯が沸騰状態という温度ではないが、「頭に血がのぼった」というときには、完全にアナログ的思考に満ちている。冷静という意味で、「寒い、寒い」という人は、デジタル感覚が働いていると妙なことを思ってしまう。
 ともあれ、人間は「頭寒足熱」のほうが、道理に合っているなどと言えば、これもデジタルとアナログのなせる技なのかもしれないのである。
 結局、私はアナログ、デジタイル共に、適材適所というのか、双方を上手に使い分けることが大事だと思う。

◇作品を読んで

 作者はパソコン教室に通っておられると聞いた。どうやら、それがこの作品を生み出した要因の一つで、アナログとデジタルについて考え、それを生活に当てはめてみた。書かれているように、アナログとデジタルの是非ということは、数字で表示する時計が出現してからであるが、いずれに軍配が上がるというものでもない。
 作者は、アナログとデジタルの是非、長所や短所を人間や生活にたとえて考えてみたのである。
 レコード盤などがそうだが、アナログ記録の劣化は避けられない。だが、人間はもともとアナログと考えれば、劣化が最大の問題と言えるかもしれない。