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   アナグマの願い/前編
                       
    北山 一星                   
                                                                                   平成20年9月4・11日付け 島根日日新聞掲載

 島根県西部にある山間の小学校。銀杏の散る朝だった。
 登校してみると、子ども達が慌ててやって来た。
「先生、変なものがいます」
 動揺している子ども達について行ってみると、裏の便所にある簀の子板の上に、焦げ茶色の狸を大きくしたぐらいの獣が居た。大きく腹を上下して、速い息をしている。何という獣だろうと顔を見ると、狸に似ているがもっと口や鼻が突き出ている。
 手をその口の前にそっと出して見ると、力ない目で一瞥し優しくゆっくり舌で舐め始めた。が、途中で大きな呼吸をして息が絶えた。
 地元の猟友会の方が始末に来られた。この地方ではハミダヌキと呼んでいるアナグマだと知った。飼育していた鶏の小屋の周りでミミズを掘っていたらしいが、数日前、周辺にかけられた除草剤が一緒に口に入り、死んだようだと言われた。それにしても、最期に私の手のひらを舐めてくれた優しさはとても心地いいものだった。手のひらには不思議な感触が残った。
 翌年、単身赴任を終えて出雲市内の学校に異動し、桃色の杏の花散る自宅に帰ってきた。
 新しい学校での勤務が始まり、慌ただしく過ごしているうちに暑い日が続く夏がやって来た。
 そんなある日、自宅近くの公民館から電話があり、畑の草を交通安全のため、刈取って欲しいとの事だった。二年前、農業をしていた父が倒れ、畑は荒れ放題のはずである。行ってみると、大人の背の高さはあるセイタカアワダチ草が繁茂していた。道路を横断する運転手には、一方から来る車が見えないだろうと思った。
 早朝五時、草の中に入り鎌で切り倒した。はあーはあー息を吐きながら汗びっしょりなって奮闘したが、二時間も掛かったのに畑の八分の一も終わっていなかった。草刈りの機械を持っていないし、使ったこともない。困ってしまって、近所のおじさんに日当を払い、畑全部の草を刈ってもらった。
 次の年から、私と畑の雑草との戦いが始まった。周りの畑の真似をして、若葉の爽やかな五月、なすやピーマン、トマトなど畑の中央に植えた。草も小さく、何とか畑として見られたのは六月までだった。七月になり、久しぶりに畑へ行って見ると、長雨で雑草達はすくすくと成長し、中央の野菜はどこにあるのかわからなくなっていった。
 長年農業をやっておられる近所のおじさんに相談すると、除草剤をまいたらどうか、二、三ヶ月もすれば、また安全な野菜がつくれるからということだった。
 私は、そのことにカツンときた。自分の畑の土が汚染されると思った。栽培した野菜にも、少しは除草剤が残留するだろう。他人が食べるものだからと軽く考えられたな、と腹が立つ。そのうち地下水まで汚染されるのではと、不安が広がる。
 強い決意を持った私は、エンジン付きの刈払機を購入した。この便利な機械を使い、早い時には二週間で草刈りをした。夏の夕方、涼しい時に刈った。汗びっしょりの濡れたシャツが張り付いた体を、蚊が容赦なく刺した。
 しかし、雑草達も負けなかった。猛暑でくたびれた体を励ましながら畑に行ってみると、草の丈は、もう膝までの高さになっていた。溜め息をついていると、中学校時代の同級生が優しい声を掛けてくれた。
「僕が畑を耕作してあげようか。耕耘機でもないと大変だろう」
 私は丁寧に断り、刈払機のエンジンをかけた。隣の畑との境界をやろうとした時、そこの草がカラカラに枯れているのを発見した。私が憎悪している、除草剤がかけられていた。
 隣の畑は、土が柔らかく耕され雑草が一本もない。なすやピーマン、トマトが虫食いのない青葉を付け、勢いよく育っていた。私の畑から雑草が入り込んでくるので、困っているのだろう。境界の枯れた草は、私の畑の草を何とかしろとの警告だった。それ以後の草刈りでは、まず隣との境界から草を刈っていった。
 家から少し離れた畑なので、鍬や刈払機を自家用車に乗せて通った。作業で体が汗でじとじとしてくると、一体自分は何のために草を刈っているのか、自己嫌悪に陥った。自分は周りの人から、草だらけの畑と嘲笑されないためだけに働いているのではないか。
 周りの田んぼは稲穂が金色に色づき、実りの秋を迎えた。畑の雑草もやっと生えなくなって、私の仕事も春まで休業となった。
 今年こそはと、次の春には近所の人にトラクターで耕してもらってから、いろいろな野菜の苗を植えた。大切な夏には、父親が亡くなったり、母親が亡くなったり、五年間雑草との戦いに連敗を続けた。
 今年の梅雨、伸びた草を刈っていると、不思議な感触があった。何かが刈払機の歯になる円盤にコツンと当たるのだ。上部を切られた草の間を覗いてみると、太ったトノサマガエル。この何十年、見た事もなかったトノサマガエル。あっちにもこっちにも、草の間に沢山のトノサマガエルが息を潜めている。
 ジャガイモを掘り起こしてみると、一鍬一鍬にミミズが二匹、三匹とうごめいている。いつの間にか、切った草と土が混ざり合って豊かな土壌が作られていた。トノサマガエルは、ミミズを食べに来ていたのだ。
 夜の食卓には、この時掘ったジャガイモを茹でた。塩をかけただけだったが、ほっこりとして初めて食べる美味だった。みそ汁に入れても、スープに入れても、ジャガイモだけが際だって美味しかった。
 不意に、石見地方の小さな小学校でのアナグマ事件を思い出した。あれ以来気になっていた事件の意味が分かってきた。死を目前にしたアナグマが必死に訴えようとしたことがはっきりしてきた。ミミズが沢山いる土が欲しかったのだ。ミミズもカエルもアナグマも人間も、仲良く生きていける自然を守って欲しいのだ。アナグマはそんな願いを、私に託して死んでいったような気がする。
 日差しがキラキラする八月。私の畑の草の間から、黒くて大きな爆弾スイカが覗いている。この成果も豊かな土壌のお陰である。右手の手のひらに、あのアナグマに舐められた時の優しい感触が蘇ってきた。

 ◇作品を読んで

 文学教室に参加されている方は主婦であり勤め人であったりするのだが、作品をひっさげて新聞の文芸欄に登場するというのは、「もう一つの顔」である。専業主婦、勤めなどの傍ら、時間を見つけて文章を書く。「もの書きの顔」を持つということだが、大袈裟にいえば「二足の草鞋」である。
 作者はかつてアナグマの死に出合い、何年かして畑の雑草と格闘する。二つのことは何の関係もないことだが、環境問題というテーマのもとに結び付けられて一編のエッセイとなった。冒頭に登場したアナグマは、終末で再び顔を出す。構成がうまく、読み手の共感を呼ぶ。書き手になる近道は、身近な体験をまず文章にしてみることである。作者は別の「顔」を持ち、文章を書くことで十分に楽しんでおられる。